相鹿上神社
三重県多気郡多気町相可464 mapfan

南側の鳥居

交通案内
紀勢本線相可駅 西400m


祭神
天兒屋根命 配祀 大彦命、伊邪那岐命、天忍穗耳命、天津彦根命、活津彦根命、熊野久須毘命、大鹿嶋命、巨狹山命、天穗日命、八衢比古命、久那斗命、火産靈命、宇迦之御魂命、菅原道眞、祭神不詳五座

拝殿


由緒

 伊勢国多気郡の延喜式内社の相鹿上神社に比定されている。「アフカノカム」の訓。現在は「おおかがみ」。延喜時代の祭神については不明と言わざるをえないと、『式内社調査報告』で岡田登氏は述べている。
 延喜神名式には、多気郡に相鹿牟山神社と相鹿木太神社の二社がある。斎宮式には、相鹿牟山、相鹿上、相鹿中、相鹿の四社の名が記載されている。相鹿中社は相鹿木太神社に、相鹿社は國乃御社に相当する。

 明治四十一年に近隣の神社を合祀している。その中には式内社の相鹿牟山神社「大鹿嶋命、臣狭山命」と伊蘇上神社「大彦命」など十八社を合祀し、伊蘇上神社の跡地である現社地に移転し、相鹿上神社と単称した。

本殿

 

 相鹿牟山神社二座「大鹿嶋命、臣狭山命」
 「アフカムヤマ」と訓する。旧社地は相鹿上神社の西南約800mの丘陵地である。縄文時代草創期から早期の遺物が出土する牟山遺跡の範囲に含まれている。

 伊蘇上神社「大彦命」
 「イソノカムノ」と訓するが、大和国山辺郡の石上坐布都御魂神社との結びつきはないようだ。櫛田川はかっては磯部川と呼ばれており、その上流に鎮座する故の命名と、『式内社調査報告』で岡田登氏は述べている。祭神についても、磯部氏の祖神の天日別命が妥当としている。

伊蘇上神社旧地の碑


お姿

 鳥居は東向きと西向きとがあり、境内には北向きの鳥居が二座並んでいる。 東向きの鳥居には享保十三年(1728)と刻まれている。伊蘇上神社の時代の鳥居。
 伊蘇上神社の旧地を示す石碑が立っている。その隣には猿田彦大神の石。
 玉垣がなく、低い石垣で囲まれており、何となくしまりがないと言うか、聖域の雰囲気に欠けているように見える。これは石垣だけではなく、境内には焚き火の跡が残り、竹製の箒などが散らばっており、殺伐な感じすら受ける。


お祭り
  7月 第4土曜日 例祭

参考 『式内社調査報告』、『三重県神社誌』、『平成祭礼CD』

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