陽夫多神社
三重県伊賀市馬場951 mapfan

鳥居と広庭

交通案内
佐奈具駅東北2km


祭神
健速須佐之男命 配 五男三女神  合 天之火明命、火之迦具土神、香香背男神 など合神多し

平屋造の拝殿


由緒

 『日本の神々6』では主祭神を高松神と須佐之男命としている。 高松神とは聞き慣れない名前であるが『三代実録』に伊賀国の高松神の進階の記事がある。伊賀国阿拝郡の式内社。
 他にも文明五年(1473)の一条兼良の『ふち河の記』に、高松宮の名が見え、牛頭天王かと、している。

 式内社では伊勢国河曲郡に夜夫多神社(現在の祭神は大穴牟遲命)が鎮座、鎮座地が河曲、河合と河川に関係している程度の共通点がある。但馬国の養父坐神社も河合と言える地形に鎮座している。
 河合や川合は川船だけではない交通の要衝であり、有力豪族が押さえていた場所であった。 物部氏の有力社の石見国の物部神社、また現在でも神主が物部姓である大和国の広瀬神社などに見る通り。

本殿


お姿
 幅の広い拝殿前にこれまた広い庭がある。鐘楼が改築されていた。 この近辺の神社には鐘楼の残っているのが多い。神仏習合の名残なのか、往古には銅鐸を釣って祀っていたと錯覚する景色である。

 本殿へ昇っていくのに三つの石段がある。伊太祁曽神社を彷彿とさせる。身分によって使い分けがあったのだろうか。 拝殿真後ろの中央階段の途中に二本の巨木が生えている。見事な雰囲気。 本殿は木々に埋もれてよく見えない。神社らしい神社だと思われる。

 風の強い日だったので枯葉が多く落ちていたのが目立った。

 南側に御旅所があり、これは古墳であり、一時御神体として仏像が安置されていたと言う。

御旅所古墳


お祭り
 2月18日 祈年祭 [通称]裸々祭 [神事名]裸々神事
 4月20日 例大祭 [通称]春祭 [神事名]羯鼓踊
 8月 1日 祇園祭 [通称]祇園本祭
鳥居と鐘楼との間に宮井と言う井戸がある。普段は枯れているが、7月24日頃からわき出して、7月28日の井戸さらえの神事の時には水量は六割〜七割程度になり、祭り当日の8月1日には満水になると言う。 祇園祭りの日取りが八坂神社とずれているのはこの為と言う。(『日本の神々6』

由緒 平成祭礼データ

陽夫多神社御由緒
当社は延長風土記に「押盾天皇戌午国造多賀連祭之也」とあり、和名抄、伊賀風土記 によると伊賀河合郷の総社にして人皇第28代宣化天皇3年(西暦538年)に国中 に疫病が流行したので屏息祈願のため伊賀国造多賀連が同年創建したとある。以来病 気平癒の御霊験あらたかなるをもって藩主の崇敬厚く屡々寄進あり、又一般崇敬者の 参拝多しと、社記にあり。清和実録に高松神、延長風土記に薮田大明神の社号で記載 されている。又古くより「河合の天王さん」「河合の祇園さん」と呼ばれ、氏子崇敬 者から親しまれている。
以上

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