天孫神社
滋賀県大津市京町3丁目3-36 ゼンリン

鳥居


交通案内
JR大津駅 北へ300m


祭神
彦火火出見命 配祀 大國主命、國常立命、帶中津日子命

 摂社 稲荷神社「倉稻魂命」、天満社「菅原道眞」

舞楽殿


由緒

 四宮大明神と呼ばれていた。当社は大津の南方の琵琶湖辺に鎮座して、海南の神とも呼ばれていた。
 鎮座は、桓武天皇が延暦二十年(801)、近江大津宮に行幸の際、湖南鎮護の神として海神にゆかりの深い 彦火火出見尊を勧請したことに始まるという。
 元亀年間(1570〜1572)栗太郡青地の城主の青地伊予守から所領の寄進があり、豊臣秀吉が大津城築城の際に、その余材をもって当社を修復した記録がある。
 当社は日吉山王と関わりがあり、山王祭には当社と日吉大社の間に大榊の神事がある。四月三日の夜当社より日吉大社に多数が赴き、大榊を持ち帰って拝殿に安置し、四月十四日の日吉山王祭にこの大榊を奉還する行事である。日吉大神の鎮座しかかわる神事である。天智天皇が大和の三輪明神を勧請して日吉射に迎えたことの再現と言われている。

社殿


お姿
 境内には桜が多い。春の桜花爛漫の姿は想像だにできないが、多くの人々が訪れる様子は目に浮かぶ。
 南端の鳥居をくぐると東側に摂社が並ぶ。
 境内の箒目はあざやかで手入れが行き届いている気持ちのいい神社である。

本殿

お祭り
  10月  9日 宵宮 10日 本祭 大津祭
曳山祭礼が行われる。

摂社群

『平成祭礼データ』
由緒


 当神社の御祭神は四座の他に塩土翁など、また小宮社として天神。稲荷などわ祭り、昔から安産。交通安全(昔は船、今は車)厄除などの神として崇敬も厚く、毎月の一日には交通安全祈願祭、又戌の日には安産腹帯の祈願祭などを行なわれています。
 当社は延暦(782年)に創立され、桓武天皇が近江に行幸された折りに海運の神である彦火々出見尊の霊を分霊し、当社に祭られたのが最初で、それ以後も朝廷の尊崇が厚く、大同(806年)三年十月には、平城天皇が近江に行幸された時には、当社を仮の御所とし、禊祓をされ、その後も後鳥羽天皇の時代(建久1190年)には、近江の国守護職・佐々木定綱の崇敬が厚く社殿を造営され、また神供田などを寄附された。そして時代の流れと共に、神社も暴徒その他火災などに合い、社領も奪われたりしたが、その後、元亀(1570年)には、栗太郡青地の城主青地伊予守により社領なども寄進され、又豊臣秀吉の時代には、坂本城の塞を大津に設けた時に、社殿などを再建し、当神社城家の守護神として崇敬された。
 そして明治時代には、明治天皇が御東行された折にも、当社に内侍が、奉安されたりして、同16年にも二品久邇宮朝彦親王殿下の御染筆の額を賜り、現在は本殿正面にあげられている。又同年山階宮晃親王殿下の御染筆の額は鳥居の額として賜るなど宮家の御崇敬が厚い。特に昔から十月十日の例祭は大変盛観の極で、徳川幕府の時代には大溝城主より神輿の渡行に随う鎗2本を出され神輿の警護に当った。
以上

参考 『日本の神々』、『平成祭礼データ』

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