佐渡國:9座 並小




羽茂郡[ハモチ]:2座並小

度津神社[ワタツ]
度津神社[わたつ]「五十猛命 配 大屋都姫命、抓津姫命」社名の[わたつ]から推測して古くは越後佐渡間の航海を司る[渡りの神]であったと伝えられる。 すなわち海童神を祀るとも伝えられる。しかし航海神として五十猛命は神功皇后の航海の守り神となっており、荒海を渡る人々が五十猛命を祀ったとしても不思議ではない。

佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞
度津神社略記
当社は佐渡国、延喜式内九社の第一にして、古来一ノ宮と称せられる。 文明二年(一四七〇年)六月の羽茂川大洪水に社地流失し、由緒、縁起、古文書はも とより別当坊に至まで悉く烏有に帰したるため、創立年月其の他詳かではない。 その後、今の地を卜占し新築御遷座申し上げたるものにして、明治四年、国幣小社に 列格仰出されました。現在の御本殿は宝永六年(一七〇九年)に、幣殿、拝殿は昭和 十二年、御造営申し上げたるものですが、幣殿拝殿は全部台湾アリ山産の桧で造られ 、其の形態、技法、共に日本建築の粋をあつめた御社殿であります。
新潟県佐渡郡羽茂町大字飯岡字一の宮583 玄松子の記憶

大目神社[オホマ]
大目神社[おおめ] 「大宮賣命」新潟県佐渡郡真野町大字吉岡字小河内大目林1284 玄松子の記憶


雑太郡[サハタ]:5座並小

引田部神社[ヒキタヘ]
引田部神社[ひきたべ]「大己貴命」引田氏は阿部氏と同祖で大彦命の後裔、同氏の子孫その祖神を祀ったもの。新潟県佐渡郡真野町大字金丸488番地丙 玄松子の記憶

物部神社[モノゝヘ]
物部神社[もののべ]「宇麻志麻治命」聖武天王天平年間物部氏の裔穂積老謫居の際小祠を建てて祖先を祀ったのが創始。新潟県佐渡郡畑野町大字小倉乙618 玄松子の記憶

御食神社[ミケ]
御食神社[みけつ]「大御食主神」新潟県佐渡郡畑野町大字宮川793番地 玄松子の記憶
大膳神社[おおぜん]「御食津神」新潟県佐渡郡真野町大字竹田字町561 玄松子の記憶

飯持神社[イモチ]
飯持神社[いいもち]「保食神」新潟県佐渡郡畑野町大字飯持236 玄松子の記憶

越敷神社[オシキ]
越敷神社[おしき]「埴安姫命」新潟県佐渡郡畑野町大字猿八字東平289 玄松子の記憶


賀茂郡[カモ]:2座並小

大幡神社[オホハタ]
大幡神社[おおはた]「大股主命」貞観三年もしくは延喜元年の創建。新潟県佐渡郡相川町大字大倉12 玄松子の記憶

阿都久志比古神社[アツクシヒコ]
熱串彦神社[あつくしひこ]「阿田都久志尼命 配 金山彦命」熱串はイツクシの意。新潟県両津市大字長江字社地854 玄松子の記憶


H16.12.8

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