八幡神社
兵庫県尼崎市東難波町3-6-15 mapfan

鳥居
 

交通

阪神出屋敷駅北へ1km



祭神

八幡大神


拝殿


由緒
 当社は往古より著名な旧社であり、其の創建は仁徳天皇の時代とされている。
 仁慈海の如き仁徳天皇は当地に度々行幸遊ばれしに依り、当地の住民は天皇の御恩沢を蒙る事、他よりも一層深きに依り、天皇の御父帝に御座しませし応神天皇を当地に産土神として齋き祭りしと言う。

 この伝承にケチをつける気はないが、仁徳帝に感謝の心が大きければ仁徳帝を祭ればいいので、父親を祭る根拠は薄弱。強いて言えば、応神天皇・仁徳天皇同一説があるので、良しとするか。

 『摂津名所図会』には「祝津宮古蹟は欽明帝行宮の古蹟、今八幡宮にあり。」と記載されている。現在は難波熊野神社に石碑が立っている。


本殿


お姿
 本殿は東面。社域は正方形のようだ。周囲に楠木が取り囲むように植えられている。
 市指定文化財の本殿は見ることができなかった。 文亀元年(1501)の大洪水、元禄六年(1693)、文化十三年(1816)の再度の災厄に遭い、史料散逸焼亡した。
 応神天皇の時代、当地に居住した海部の部民が奉斎したと伝わる。

 本殿背後に摂社が並んでいる。それぞれに一本の木が生えている。


三社殿(天満神社、愛宕神社、須佐男神社)    稲荷神社
 

 菜切塚と呼ばれる塚があり、武内宿禰の墳墓の伝承を持つ。 宿禰は免位の後、難波宮松原の傍らに住み給ふ。宿禰薨後この所に葬る。宿禰の一子、この地に留まり、代々朝廷に仕えた。
 戦前は環濠のある前方後円墳の形状だった。現在も武内家があり、古文書を保存と聞く。
 


菜切塚
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お祭り

 10月 14日  例祭   

『平成祭礼データ』から

 当神社は往古より著名の旧社にして、創立は遠く仁徳天皇の御宇と伝えられ、仁慈徳尊き天皇は当地に度々行幸され、当地の住民は天皇の御恩沢を蒙ること他よりも一層深い為、天皇の父帝である応神天皇を祭神として祭祀申し上げたと云われております。そして当八幡宮は仁徳天皇の行宮即ち難波祝津宮跡地と伝えられ、昔より当地方の産土の神、又、無病息災、厄除開運の神として尊崇されている神社であります。又、当神社の鎮座地は現在地よりも東北の扶桑町(今の住友五社のあるところ)であったのが、今から凡そ四百年前に全村大火にあい現在地に鎮座し直されたのだと云われております。
以上

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