道意神社
兵庫県尼崎市道意町5-17 mapfan


鳥居 西側に東向きで社殿

交通

阪神尼崎プール前西400m



祭神


素盞嗚尊



拝殿

由緒

 承応二年(1653)大阪海老江の人道意翁当地を開拓し、間もなく郷里の八坂神社を勧請し、御鎮座。
 寛文九年頃は牛頭天王とも称するも現在は素盞嗚尊を祭神とし今日に至る。



本殿

お姿

 昭和十年中浜新田素盞嗚神社の宮地区画整理に伴い、当地に合祀。

 朱塗りの新しい社殿となっている。 説明書きはないが、阪神淡路大震災で被害を被り、再建したものと思われる。



摂社


お祭り

 10月 12,13日  例祭   

『平成祭礼データ』から



 承応二年、大阪海老江の人道意翁当地を開拓し、間もなく郷里の八阪神社を勧請し奉れり。寛文九年頃は、牛頭天王とも称されたるも現在は素盞嗚尊を祭神とせり、爾来氏神として村民の尊崇を受け三十余軒の宮座を組織し、毎年三人を選出して宮守を行い、三段余の土地附にて其の収穫を以て毎月旧暦一月二十六日春祭、八月一日湯上祭、九月二十六日秋祭を挙げ、氏子衆を招きて饗応し、若衆は寺子屋中丁稚中、相集まりて参道八十余に数百の献燈を奉納し或は奉納相撲を行い大いに賑はいたりという。
 明治六年八月村社に列せられ戌申証書発布後、春季例祭三月十三日秋季例大祭十月十三日に執行され、昭和十年中浜新田素盞嗚神社宮地区劃整理に伴い当社に合祀せり。
 前記道意翁姓を西村、名は九郎右衛門と称す博学篤農の長老なり、又鍼を能くす、承応二年春尼崎太守青山大膳亮様御鷹狩の砌道意翁宅に御休息相成りしを機に其の後屡々入座あり、翁の鍼を殊の外御意に召され、尼崎城にも伺候する間大いに信望を得たり、一日翁尼崎表開発の儀願出でしに直に内諾あり、依って翁は親戚たる大阪玉造鍵屋七郎兵衛と相談の上翁自身は隠居なるにより前記九郎兵衛及翁の子中兵衛次郎兵衛三人の名儀を以て、承応二年五月十五日願書差上げ同年九月二十三日許可せられたり。開発地は蓬川右岸海端の葭島砂浜の地にして太布脇と言へるより初め太布脇新田と称せしも、寛文の初め村民翁の偉業を讃へて道意新田と改称するに至る、即ち此の地なり。承応二年秋、工を起すや同志二十数人之に加はり、溝を掘り、堤を築き毎年工を進め、寛文六年頃には尼崎領随一の約七十町歩に亘る大新田開発の完成を見るに至れり。爾来村運は時勢の盛衰に随い或は封建制下重税に喘ぎ或は水禍に侵され、地内百姓共塗炭の苦を味いつつも不堯不屈、黙々として大地を倶に死したる農民史とも謂う可く、旧幕時代より稲作は元より綿及び赤芋を栽培に成功し就中赤芋は尼芋と称する特産物となりたるも、昭和九年室戸台風の惨禍に遭いて後止めたり昭和十七年二月十一日尼崎市に併合編入せられ今日に至る。
以上

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