荒田八幡神社
神戸市兵庫区荒田町3-99 ゼンリン


鳥居

交通

バス停神戸大付属病院前 西へ100m


祭神


應神天皇

摂社 稲荷社



拝殿

由緒 『平成祭CD』

 当八幡神社は古くは高田神社といい、荒田村字一町田に鎮座し、熊野権現を祀っていたからその森を権現の森といったが、のちに、すぐ西にある宝地院境内にあった八幡社を、神仏混淆をさけて、明治三十二年二月二十四日兵庫県知事の許可を得て、ここへ合祀して、荒田八幡神社となった。
 この土地は池の大納言平頼盛(清盛の弟)の山荘であり、治承四年(一一八〇年)六月三日の福原遷都のとき安徳天皇の行在所となった。いわゆる今日でいう皇居であり、今の境内に行在所跡の標石が建っている。
 この清盛の別荘については、高倉上皇の「厳島御幸記」に「申(さる)の時刻(時間)に福原に着かせ給う云々、あした(あらた―荒田)という頼盛の家にて笠懸(かさかけ)、やぶさめなど仕うまつらせ、御覧せらる。日暮れ帰らせ給う。」と記しているので広い邸内であったことがわかる。
 邸内は一段高く、昭和十三年七月の神戸大水害の時にも付近一帯泥海のなかに島のように見えた。こうした日本歴史の一端をにない、又神戸の史蹟として重要な役割を果し、「平家ゆかりの地」として日本国民から崇敬を集めている。ところが昭和二十年三月のあの神戸大空襲のため社殿を焼失してしまい仮社殿をさいけんし四〇年を経過したが、昭和六十年六月氏子崇敬者のなみなみならぬ努力により現在の新社殿建立をみている。
 昭和五十五年六月三日、神戸にとって歴史的意義のある福原遷都八〇〇年を迎え、神戸市及び郷土史家の手によって「福原遷都八〇〇年記念碑」が建設された。
 又、当神社は厄除の神として知られ古くから兵庫県下一円より厄除大祭(一月十八日、十九日、二十日)には参詣者で賑わっている。  以上



本殿



安徳天皇行在所址   稲荷神社
 

お姿

 街角の高台に鎮座。前方は荒田八幡公園になっている。
 境内から本殿は見えない。周辺の道路から見上げた。


お祭り

  10月 第三日曜日 例祭

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