大物主神社
兵庫県尼崎市大物町2-7-6 mapfan


鳥居

交通

阪神大物駅 南 200m



祭神

大物主大神、市杵嶋姫命、湍津比賣命、田心比賣命 配祀 天照皇大神、住吉大神、春日大神、荒神(こうじん)、菅原道眞、惠比須大神



拝殿

由緒

 三角州の尼崎は海ヶ崎、海士ヶ幸であり、大阪湾と瀬戸内海をつなぐ地であった。 神社は若干小高い所に鎮座しているようで、岩礁があって、祭りの場であったのかも知れない。

 創建は古く、太田田根子命の後裔鴨部祝が当地に奉斎したのが始まりと言う。

 若宮とも呼ばれていた。『平家物語』では、義経、弁慶が大物浦から船出、大風に流されたとある。謡曲「船弁慶」に語られる。 また境内には義経、弁慶の隠れ家の跡の石碑がある。

 市杵嶋姫命は厳島からの勧請、皮肉にも平清盛の願いだったと伝わる。平治元年(1159)のこと。

石碑



本殿

お姿

 拝殿の感じは三輪明神に似ているようだ。 本殿があるのだが、隣接するマンションの2F通路とほとんど接触状態、唖然とする建てられ方である。何か無ければいいがと思わずにはいられない。


お祭り
11月 6日 例祭
 

御由緒

 淀川の分流である神崎川の河口に形成された三角洲から進展した尼崎は海運の要衝であり、また、海の幸(漁獲)にも恵まれ「海土ケ幸」・「海ケ幸」と呼ばれ、今日の大物、北大物、昭和通一、二丁目、東大物、西大物、中大物、北城内、南城内、東町、初島一帯を指すのであります。このように古くから形成されていた、この大物の地に早くから神社が建てられていたことはうなづけるところで、この神社は恐らく水路を下る人達の守護神ともなったのでありましょうし、この地を通り大阪湾から瀬戸内海に船出する人達にも、早くより開けたこの大物の地にある「一の宮」に篤い信仰をささげたことと思われます。鎌倉の初め、大物ノ浦から船出した源義経主従も自分達の身に加護あれかしと祈りを捧げたことと推察されます。この「一の宮」がわが大物主神社であり、尼崎における神社の最古のものというよりは、全国を通じて屈指の歴史をもつ神社であり、尼崎の開祖神として久しくわれらの祖先の篤い尊崇の対照となって今日に至った誠に尼崎市民とは縁の深い格式ある神社であります。
  以上

『摂津名所図絵』尼崎大物社

参考 尼崎の神社

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