福応神社
兵庫県西宮市今津大東町1-28  Googlemap

鳥居

交通

阪神久寿川駅 南へ 高速の南側



祭神
八重事代主命
摂社
穴尾稲荷神社、松尾神社、金刀比羅神社

由緒
 創建年代は不詳。かってこの今津の浦に神霊が降臨し、「この浦のすがすがしき地に吾を斎き祀れ。されば万人守護し諸願成就を得さしむ」という神託があった。そこで浦人たちが浄地を選び、大和国三輪の里の古社から御神体を勧請して奉斎したのが始まりと伝えられる。
 下って第七十三代堀河天皇の嘉祥元年(1106)、仁和寺覚行法親王より代院室の格に列せられ、以後代々の祈願所となった。
 近世、文禄年間(1592〜96)に後陽成天皇の名代参拝があり、「福に応ずる宮」すなわち福応神社の社号を賜り、仁和寺の祈願所として別当真福寺を置くことになった。こうして皇室の深い崇敬を受けて明治維新を迎えた。
 戦災により社殿は焼失、さらに名神高速道路建設にともない、現在地に移転した。



拝殿

お姿

 福の神として、西宮神社、越木岩神社とともに”三福神”と並び称せられた。
 現在地は住宅街の中に七五三の旗が立っているので判別できると云う程度の狭さ。



本殿


お祭り

  10月 13日 秋祭  みこしだんじり が繰り出す。


『平成祭礼cデータ』

 創建年代はつまびらかにしないが、かつてこの今津の浦に神霊が降臨し、「この浦のすがすがしき地に吾を斎き祀れ。されば万人守護し諸願成就を得さしむ」という神託があった。そこで浦人たちが浄地を勧請して奉斎したのが始まりと伝えられる。
 下って第七十三代堀河天皇の嘉祥元年(一一〇六年)、仁和寺覚行法親王より代院室の格に列せられ、以後代々の祈願所となった。
 近世、文禄年間(一五九二年〜一五九六年)に後陽成天皇の名代参拝があり、「福に應ずる宮」すなわち福應神社の社号を賜わり、仁和寺の祈願所として別当真福寺を置くことになった。こうして皇室の深い崇敬を受けて明治維新を迎えた。
 明治十四年、県社に昇格し、昭和十五年には紀元二千六百年祭を記念して社殿の造営を行なったが、戦災により稲荷神社を残してすべてが灰燼に帰した。
 崇敬者の奉替により昭和二十六年に社殿を復興、名神高速道路建設に伴い昭和四十一年に現在地に移転した。
 現在、福の神として信仰を集め、西宮神社・越木岩神社とともに「三福神」と並び称されている。
    以上

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