五社神社
大阪市西淀川区中島1-2-8 its-mo

鳥居


交通

市バス 出来島大橋 から西へ100m


 
祭神

天照大神、豐受大神、速素盞嗚尊、住吉大神、加具土大神


摂社
金比羅宮
龍王宮
靖国社
水天宮神社
稲荷大神



拝殿

由緒(大阪府全志)

  元禄元年(1688)新山開発時の勧請なり。明治五年村社に列し、同四十二年六月神餞幣帛料供進社に指定せられ、同四十二年七月七日大字西島字イの割の村社住吉神社「住吉四柱神」を合祀せり。合祀せられし住吉神社は、西島新田開発当時の勧請なり。
 境内は参百八坪を有し、本殿・幣殿・神輿庫・絵馬所・社務所を存す。 末社に宇賀御魂社・事平社あり。 藤治明暦二年(1656)勧請にして、社祠は川床を築立てしものなりといふ。明治五年村社に列し、同四十年六月神餞幣帛料供進社に指定せらる。境内は弐百五拾壱坪を有し、本殿拝殿を有す。末社に事平神社あり。

平成祭CDから
 文化文政の頃、津田常則(平常則又は城常則ともいう。)と呼ぶ神官あり。此の人「此の世に住める人の病む「くさ」は悉に救ひ治むべし」との神勅を蒙り、疫病消除に霊顕あらたかにして、誰ゆうとなく当社のことを城島のくさ神様と呼ばれ、近郷から祈願に参拝する者の跡が絶えなかった。


本殿


お姿

 境内の北側に摂社が並んでいる。江戸時代の新開地であり、木々が比較的多い。


お祭り
 
   10月 25、26日  例大祭  

摂社 金比羅宮        龍王社

摂社  靖国社         水天宮神社 
 

摂社  稲荷大神

平成祭CD 氏神だより 五社神社の御由緒について

 徳川時代の中期、元禄のはじめ頃、川北地区の基盤をかたち造る中島新田、布屋新田・外島新田更にも又川向いの西島新田・出来島新田が神崎川の河口の川州の中から次々と開発されました。これら新田開発にあたられた土地の先輩達は、各新田の守護神として中島には五社大神を布屋・西島には住吉大神を勧請申し上げお祭を続けて参りました。その後、地区の行政区画の変動、神社の合祀などもありましたが、近時これら地区は住宅地区又工業地としての開発が著しく、昔の新田地帯としての農村風景は全くその面影が見られなくなりました。一方新しく当地に住居を構え、定住せられる人達も増加して参りました。
 元禄元年中島新田開発の時、五社五柱の大神達を勧請、明治四拾弐年六月村社に列格。文化文政の頃、津田常則(平常則又は城常則ともいう。)と呼ぶ神官あり。此の人「此の世に住める人の病む「くさ」は悉に救ひ治むべし」との神勅を蒙り、疫病消除に霊顕あらたかにして、誰ゆうとなく当社のことを城島のくさ神様と呼ばれ、近郷から祈願に参拝する者の跡が絶えなかった。
 以上
 

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