磐手杜神社
大阪府高槻市安満磐手町 mapfan



鳥居

交通

阪急高槻駅より北東1.5km



祭神


武甕槌命、天児屋根命、齋主神、姫大神、安閑天皇



拝殿

由緒

 紅葉山の麓で、桧尾川沿いに鎮座。
 もと安満神社と称し、後春日神社と称したが、明治四十四年近隣の神社を合祀した際、現在の名前に改めた。伝えられるには、天智天皇五年(666)藤原鎌足の勧請と云う。社殿は美しかったようだが、天正年中(16世紀末)高山友祥の焼くところとなり、僅かに神霊、神器を奉じて山崎に逃れた。元和八年(1622)社殿を造営した。
 役行者が建立、安閑天皇を祭神とする雲峰神社等を合祀している。



本殿

お姿

 桧尾川を渡ると神社は開けている。さわやかな印象を受けるし、現に境内は清掃も行き届き、摂社にもひとつひとつ祭神と働きが説明されている。社頭の森は古来磐手杜と要する歌枕の地として名高い。

 啼き石 社頭から高槻城へ動かしたら、夜になると鳴き声をあげるので、社頭に返したという。



夜啼き石


お祭り

  



安満宮山古墳の碑



 安満宮山は磐手杜神社の神域として守られて来ました。山の東のでっぱりを調査したところ、木棺を納めた小さい古墳が発見されました。その中に中国の魏の年号である青龍三年(235)の方格規矩四神鏡と三角縁神獣鏡などが一緒に出土したのは日本で初めてでした。
『魏志倭人伝』には景初三年(239)卑弥呼が魏の都に使節を送り、魏の皇帝は「親魏倭王」の印綬と銅鏡百枚を卑弥呼に送りました。その百枚の鏡の一部と考えられています。


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