本住吉神社
神戸市東灘区住吉宮町7-1-2 its-mo

鳥居

交通

JR住吉 西200m



祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后 配 天兒屋根命、大山津見命

摂社
稲荷神社「宇迦魂命」
大海神社「豐玉彦、豐玉姫」楫取明神ともいう。
奥之宮「住吉大神」
塞神神社「八衢彦、八衢姫、久那度神」
大日女神社「天照大神」

拝殿

由緒

 いつ頃から箕面の活尾寺を上級領主としていたのか不明であるが、延喜式神名帳記載の神社ではない。この理由であるが、存在していなかったのか、神宮寺もあったようで祭祀を「宮坊主」が取り仕切っていたのか、王権が直接かかわる程の神社ではないと見なされていたか、いずれかか複合の理由であろう。

 当社で500円で頂いた『本住吉神社紀』によると「箕面市の勝尾寺文書(1247年)をひき、この時代に当社に奉仕していた津守氏が「大阪へ遷すもとの住吉」と意をもって、『本住吉』と謂ったと解説している。住吉大社の元社であれば、凄い格式と言える。尤もこの津守氏の意は当神社の推定と思われる。

 さて『日本書紀』神功皇后紀に出てくる住吉三神和魂の鎮座した「大津渟中倉之長峡」とはどこであるのかがこの神社の由緒に大きく関わる。ほぼ大阪の住吉大社鎮座地に比定する説が有力である。 神社が式内社、かっては墨の江と呼ばれた住吉の地であるが、本住吉付近には墨の江と呼ばれた形跡はない云々、と大合唱である。
 『日本書紀』には務古水門に帰ってからの卜いの託宣で、広田に天照大神、活田長峡国に稚日女尊、長田に事代主尊、次に住吉三神を大津渟中倉之長峡と出てくる。山陽線を西へ向かうと出てくる順序である。この延長なら長田の西方でもいいのでしょうが、長田に神々の託宣を代弁する神である事代主尊が登場しているので、西向きは長田で終わり、次は別の方向とも考えられ、やはり本住吉の地を主張するのは苦しい所です。

 『日本書紀』には和魂を祀れば、便(すなわち)ち因りて、往来の船を看(みそなは)む」とのたまう。と出ている。この「往来」と言う言葉であるが、大阪の住吉の場合には港として出船入船の雰囲気であるが、本住吉の地はその前を往来する言葉にぴったり当てはまる感じでを受ける。勿論往来することは出船入船が不可欠で、安全祈願は港で行うのが普通であり、大阪の住吉大社に分がありそうだ。

 駅から近い所に鎮座、境内地は広い。太閤検地以前はもっと広かったようである。 徳川時代に寺社領を寄贈されている。その御も洪水、戦争、震災と災害に遭ってきているが、現在も拝殿屋根を葺き替え工事中であり、氏子の人々の支えは大きいようだ。

本殿



由緒 平成祭礼データから

 「日本書紀」神功皇后摂政元年二月の条に<大津渟中倉之長狹>に住吉三神の和魂を <居さしむべし>とあり、その地こそ現在の鎮座地で、大阪の住吉大社は後にまつられたものである。
以上


お祭り


 3月13日 1日間 春祭
5月 4日 2日間 地車祭
 5月13日 1日間 例祭 夏祭
10月13日 1日間 秋祭 甘酒祭


日本の神々3(白水社)

公式本住吉神社
神奈備にようこそに戻る