名次神社
兵庫県西宮市名次町13 mapfan
交通
阪急 苦楽園 北東400m 廣田神社西900m
祭神
不詳であるが、水分神、祈雨神、天御中主神 などの候補がある。
摂社
稲荷社
鳥居
由緒
『萬葉集』0279 我妹子(わぎもこ)に猪名野(ゐなぬ)は見せつ名次(なすぎ)山角(つぬ)の松原いつか示さむ とある。
いまは跡形も残っていないが、越水丘陵(名次丘)、南郷山一帯は弥生時代から発達した場所で、周辺に遺跡が多い。早くから当地で祭りが行われていたと思われる。『地名辞書』に、「名次山は廣田大社の西の岡をいう。」とある。
『新抄勅格符抄』大同元年(806)神封とある。『延喜式神名帳』に、祈雨神八十五社の一とされている。
拝殿
たたずまい
明治41年、名次丘から現在地に遷座している。
正徳四年(1714)暴風雨のため、社殿が破損し、石祠に変えている。これが現社殿の隣に置かれているそうである。
前社地へも遷座してきているようだが、いずれも遠くではかさそうだが、場所は不明である。
夙川から松林が北に続いており、それを東に過ぎた場所が鎮座地である。
本殿
お祭り
6月15日 夏祭
10月11日 例祭
10月17日 秋祭
名次神社境内掲示板から
廣田神社摂社
名次神社
祭神 名次大神
創立年代は詳らかではありませんが、平安時代初期の文献に見られます。
『延喜式』では官幣の大社に列し、廣田社とともに祈雨に預かっています。中世には神祇伯。白川家の崇敬を受けました。明治十一年廣田神社の摂社に定められました。
もと名次山の景勝地に鎮座していましたが、明治四十一年に現在地に移転しました。
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参考 延喜式内者調社報告
r2 9 29
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