酒滴神社
兵庫県三田市藍本1057 yaho

二の鳥居


交通

JE福知山線藍本駅 南へ300m



祭神
素盞嗚尊、八幡大神、春日大神

拝殿


由緒 平成祭CD
 貞観年間(859〜)に疫癘が大流行し人民多数がその災厄に遇うた。時にこの村の童子俄かに飛踏すること二丈許り、呼んで言うに「我は是れ素盞嗚尊なり。今疫気天下に流行す宜しく神酒を供え其邪気を救うべし。汝等早く香ある山に尋ね登り滴を飲んで其災を祓うべし」と言い終って悶絶した。村の老若男女喜んで酒を尋ね登ること五町余、谷があって両山の狭い所自然の岩石峩々として高さ丈余、上には松桧が翆を重ね下には流水藍を染め実に神仙の霊窟であってその岩石下に神酒が流出していてこれを飲むと疫気夢の如く熄んだ。それで「石山大宮」と号して斉しく崇敬した。
 長暦二年(1038)の春にまた疫気が人を悩ましたので、後朱雀天皇は当社の霊夢に感じて勅使を遣された。応永年間(1394〜)に将軍足利義持が熱病に罹って懊悩すること十余日も続いたが、当社に祈って滴を嘗めると忽ち平癒した。そこで楽器及び神領を寄進して奉賽した。後に後小松天皇がその事を聞召して石の華表を建てしめられた。その石の華表は今に残存している。元禄十三年(1700)九月二十一日、宗源宣旨を以て正一位酒垂大明神と号し、享保十二年(1727)十二月九鬼隆抵が社殿を再建した。  以上


本殿


お姿
 山裾に鎮座。 田園風景の中の神社である。

摂社
大歳社      惣領社
 
蛭子社    金比羅社
 
若宮八幡社  写真はありません。


お祭り
  10月 9,10日 例祭

酒滴神社 酒たれ伝説と信仰 と観光名所
  「素戔嗚命を祭神とします酒滴神社の縁起は、貞観年間(859〜)、国内で悪疫が蔓延したとき、『われは素戔嗚命なり』という一童子のお告げで山へ登った村人が、天然の霊窟から垂れ出る酒を発見しました。これを飲んだ人たちは、忽ちのうちに治ったので神まつりをし、岩山大明神として崇拝したことから始まったといいます。そして長暦二年(1038)春、又もや悪疫が大流行しました。  時の帝、後朱雀天皇は甚く心を悩まされていましたところ、或る夜夢枕に仙人があらわれて、この霊水を奨めました。早速都に取り寄せ、病人たちに服用させたところ、さしものはやり疫いも治ってしまいました。霊験あらたかな神をまつる社号を『酒滴神社と改めよ』と仰せられ、神領を御寄進なさったと伝えています。この酒滴岩は神社裏山の頂上近くにあります。  応永二年(1395)、丸部貞国が寄進造立した立派な石鳥居が馬場先にあります。県下最古の在銘鳥居で、県指定の重要文化財になっています。本社の随神門に掛かっている算額は、この村の住人、近世和算の碩学、下垣内市左衛門が文化八年(1811)に奉納した物の写しです。実物は収蔵されていて、三田市指定の重要文化財となっています。  門前通りはむかしから、丹波路の主要街道で、近世では藍新町宿場とて、賑わいをみせていたところです。裏に聳える虚空蔵山(592M)への道は、ハイキングコースになっていて、頂上からの眺望は、摂丹播を見渡せる絶景の地です。中腹には、十三詣りで知られる日本三体随一の虚空蔵菩薩をおまつりしているお堂があります。また、付近には夫婦岩、日出坂峠、西山の山桜など散策の好地も多くあります。

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