桜宮(櫻の宮さん)
大阪市都島区中野町1-12-32 itsmo

鳥居

交通

環状線桜宮 南300m



祭神


天照皇大神
 配祀 譽田別尊 大雀命


摂社
早馬稲荷神社 倉稻魂大
目神八幡宮 天目一筒神
琴平神社 大物主大神
八幡神社 譽田別尊
菅原神社 菅原大神
住吉神社 墨江之三前大神
玉津嶋神社 素盞嗚尊
春日神社 天之子八根命
恵比須神社 夷子神
祖霊社 護國の英靈
産土八幡神社 譽田別尊 大鞆別尊 渡邊綱公 楠竜王大神



拝殿

由緒(大阪府史蹟目名勝天延記念物)

 創祀の年代由緒は詳ならざれども、舊と野田木橋古大和川堤堰に鎮座せしが、元和六年(1620)の洪水に社殿漂流して本地に近接せる社有地に着きたるを以って社殿を建立斎祀せしも、地盤低かりしかば、宝暦六年(1756)更に今の地に遷座せり。然るに明治十八年の洪水で際し社殿神域共に大破に及び、同二十四年債権せらりたるもの現社殿なりとす。かくて当社は明治五年郷社に列し、同三十九年神饌幣帛料供進社に指定せらる。(近隣の小社を合祀した。)

 境内は五百五十坪、本殿のほかに拝殿・神楽所・絵馬舎・社務所を有す。(氏地の紹介)

 『地名辞書』に、「按に櫻宮は神鳳抄摂津国中村御厨みして伊勢大神の舊由緒とす」といへるはいかにや。地は淀川に添ひ、明治十八年洪水前には、境内に林立せる櫻樹甚だ多く、春風吹きて花心将にその絳唇を開かんとするや、幾多の茶亭軒を連ね仮状を駢べて観客を待ち、花既に爛漫たるに至らば々として堤塘を蔽ひ、艶姿清流に映じて美極りなく遊客群をなして雑沓せしが、彼洪水の為に地已に荒れ櫻樹亦枯死する者多く、甚だ舊観を損しつつも対岸造幣局・泉布観の桜花と相映發して美観たるを失わずj東は沃野遠く連りて遥かに生駒・飯森の翠巒を望み、南は大阪城楼を樹木参差の間を仰ぎ秋は前川に銀波湧き、冬は四山の屏晶を望むべし。此地また祠前の堤下にもと小湾ありて青湾と呼び、其水頗る清淡にして最も茶を煮るに適せしが、今は既に之を失ひ、田能村直入の建てし標石を存す。



本殿

お姿

 桜宮橋の東詰を北上すると、公園側ではなく、道路を距てた所に南向きに鎮座。
 鳥居の横の桜宮の標石が目立つ。社殿は鳥居から一直線に並んでいる。何度か遷座を重ねているので、古社の趣はない。

 多くの摂社があるようだが、本社境内には稲荷神社などわずか。御旅諸もあり、また飛び地境内摂社がいくつかあるのだろう。

 桜宮と言えば造幣局の通り抜けが大阪の春の有名な行事である。対岸である。


お祭り

 7月 20日 夏季大祭

由緒 平成祭礼データから


 当社は、大阪市都島区中野町に鎮座しており、天照皇大神、八幡大神、仁徳天皇をお祀りしている。
 旧東生郡(ひがしなりぐん)野田村「小橋」(おばせ)櫻の馬場字「宮田」に氏神として奉斎せしが創祀の地にして、豊臣氏桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行ないたるという。かくして慶長十八年冬、再建せられしも、元和六年大和川の洪水により社殿流失して、中野村(現JR環状線「桜ノ宮駅」直下の地)に漂着、この地に祀りしも、寛文六年・延宝二年の水渦にかかわり、社域低地なりしを以って社地に適せず、城代の許を得、現在地に(この地「神鳳抄」に摂津中野村厨にして伊勢神宮の旧由緒地なりという)還座し給えり。「宮田」に鎮祭の時代より大阪城守護社として豊臣氏・徳川氏の尊崇を享け、しばしば祈願供御の儀あり、惜しむらくは兵火洪水の難に遇い、神宝記録散逸せるを以って創祀の年代詳かにせず。社地は淀川の清流に望み桜樹多く陽春美観を極め、且つ東の方田園を隔てて遥かに生駒飯盛諸峰の翠薫を見るを得べく、南方には豊公の遺蹟「青湾」(湾の良水を太閤点茶の料となす)を祠前に推し、錦城又巍巍として樹木参差の間に聳え、西北は近く澱江の清潭を狭み往古は泉布観・造幣局敷地に壮麗なる権現社あり、広き境内の櫻と相対し自然の巧妙人工の雄偉皆眺望の裡に入りて霊地をして更に絶佳の境となし、殊に澱堤の桜樹は明治十八年の洪水に淵と化して旧観を失なへりといえども、尚その数多くして而も皆老幹に春風一と度訪れ花将に絳唇を開かんとするや、忽幾多の茶亭軒を連ね宴席を設けて観客を引き、鐘・太鼓ばやし等各様の見世物相競いて群衆を招き、境内更に場所狭まきに至る、名物「さくら団子」「木の芽和え」八百市岩國屋の「蓮飯」に味覚を誘ひ、花既に爛漫たるに至らば香雲漠漠として一堤を覆ひ、艶姿清流に映じて美観極りなく、江上には粋人赤毛せん・紅提燈の屋形船相ふくみ岸に上り、且つ塵埃を避けて船中に楽しむもあり、蓆座に瓢傾くもあり、「歌舞伎」「即興道化」するもあり、法界師右往左往に縫い廻り、境内提上共に賽者群列其の雑香寔に名状すべからず。花は東都の墨堤と竝び称せられ、水の清きこと彼に勝れりという、しかのみならず菜種の候は付近の田園一面に黄金世界を展開し、遠近の青嵐みな雅趣を添えて文人墨客の来遊絶ゆることなく、中秋の観月には前流の銀波後堤の虫声両々相俟ちて秋興をして無限ならしめ、四時の佳景具はり盡くせりというべし。然る所昭和の初期までやや此の情景を呈せしも、爾来都市の発展に伴い、田園は宅地に工場また林立し煤煙に樹は育せず、更に昭和二十年六月七日戦災を被り、今は昔日の俤を止むるのみにして、大阪市は近く此の風致区一円の保全に努め、市唯一の散策遊地として桜ノ宮公園に桜樹を移植して、名所の復活を企画中なりという。
  以上

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