関大明神社
大阪府三島郡島本町山崎 mapfan

社殿

交通

阪急山崎駅 西200m



祭神


大己貴命、天児屋根命又は大智明神


由緒

 当社のはじまりは不明ですが、当地が古代、摂津国と山背国の関所である山崎の関の跡といわれ、関守神または辻神を祭ったのが起こりではないかと思われます。東に「従是東山城国」の石碑が建っています。
 この関所は当時、交通の要であり、時には朝廷が兵を派遣し守らせるほど重要な所でした。 しかし平安時代のはじめのころには関は廃止されていたらしく、その跡地には関戸院という施設は置かれ藤原道長や平家一門など貴族や官人の宿泊に利用されていたようです。
 源氏に追われて、西国に落ち延びる平家の一門が、安徳天皇の輿をここに据えて、対岸の石清水八幡宮に京都還幸を祈ったといわれています。
 現在の本殿は室町時代中頃に建てられたと思われ、大阪府の重要文化財に指定されています。 祭神は大己貴命・天児屋根命又は大智明神。

 関戸明神との云う。山城、丹波、摂州の境に鎮座しているが、元は摂州水無瀬の里に鎮座、洪水によって山城の社を国中へ置くと伝わる。



和様に唐風をましえた鎌倉期の手法の一間沙流造の本殿がこの中にある

お姿

 天王山と淀川の間の要所。嵯峨天皇の河陽離宮造営の頃には関所は廃されていたようだ。 しかし疫病流行のおりには疫神祭が行われていた。 関は咳、堰に通じ、疫病だけではなく淀川の氾濫を鎮めるべく祈ったのであろう。
 淀川北岸から都に通じる西国街道に面する。国道171号線の前身であるが、この付近にはそのまま残っており、情緒を感じる。 歴史に名を残した人々、また残さなかった幾多の人々がこの道を思案しながら通って行ったのである。 おそらくは会釈をし、拝礼していった。


お祭り

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