住吉大社

大阪市住吉区住吉2-9-89 
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住吉鳥居  太鼓橋
 


交通
南海本線住吉公園下車 阪堺線住吉大社


祭神
底筒男命、中筒男命、表筒男命、姫神(息長足姫命)



摂社

大海神社「豐玉彦命、豐玉姫命」式内社大海神社

拝殿  本殿
 

志賀神社「底津少童命、中津少童命、表津少童命」

 
船玉神社「天鳥船命、猿田彦神」式内社船玉神社



若宮八幡宮「應神天皇、武内宿禰」


楠君社「宇迦魂命」
 

種貸社「倉稻魂命」式内社多米神社論社


大歳社「大歳神」 おいとしぼし社
 

浅沢社「市杵嶋姫命」
 

侍者社「田裳見宿禰、市姫命」
港住吉神社「住吉大神、神功皇后」
宿院頓宮「住吉大神、神功皇后」
楯社「武甕槌命」
鉾社「經津主命」
后土社「土御祖神」
市戎・大国社「事代主命、大國主命」
児安社「興臺産靈神」
海士子社「鵜茅葺不合尊」


龍社「水波野女神」    新宮社「伊邪那美命、事解男命、速玉男命」
 

八所社「素盞嗚尊」
立聞社「天兒屋根命」
貴船社「高


星宮「国常立神」

竃神住吉大神と共に星辰の神御因縁浅からず厄除の為星祭を行う
慣習古く古来竃殿に竃神を祀り、星神なりという。

薄墨社「國基靈神」
斯主社「國盛靈神」
今主社「國助靈神」

由緒

 住吉はすみのえで澄んだ入り江である。大社は和泉山脈が大阪湾に突出した上町台地の其部にあり、南につづく我孫子台地との間には細井川が流れる。なお上町台地の先端は現在の大阪城、難波の宮の地。この住吉大社の位置は明石海峡の真東に当たる。
 摂津国におかれた外港用の大津の一つが住吉津であった。五世紀末に難波堀江が開掘されたので外海にも大和川にも通じる難波津に港機能が移った。しかしその後も、住吉津は航海に於いて重要な聖地であり続けた。

 「筒男」神のルーツについては幾つかの説がある。代表的な説は以下の通り。
 @津を司る津之男神
   津(湊)津(之)男の意とする。筒は塩筒老翁の筒でもある。彦火火出見尊を竜宮へ案内し、神武を大和へ導く神でもある。航海神であり、住吉大神の現人神でもある。津々浦々と云う言葉がある。その津々の神とも云う。各地の港を守る神。

 A船の帆柱をたてる筒穴とからめる船霊説
   五所御前が聖なる神木であり、船玉神が荒御魂である。

 B対馬の豆酘[つつ]を本拠とする安曇系海人の説
   安曇磯良も塩筒老翁と同じく海導者である。安曇磯良は神功皇后を新羅に案内した「磯鹿海人名草」である。

 C「つつ」を「ゆうづつ」とする金星からの星説がある。
   星説の延長でオリオン座のカラスキ星(参星)説があり、この三つの星を三筒男神に比定する。星も海から上がってくるので、三筒男神も海底で生まれたとしても不思議ではない。 カラスキとは韓鋤であろうが、そうすると鴨の大神の味鋤高彦根神と何らかの関連があるのかも知れない。『出雲国風土記』には、阿遅須枳高日子命の后の名を天御日女命とし、この神は天甕津日女と同神で金星の女神と言える。そうすると、カラスキ星としてアジスキであるのかも知れない。

 『河内高貴寺縁起』(鎌倉時代)に面白い話がある。この寺は平石にあり、岩船神社の神宮寺であった。「風聞には当所、底筒男命、『旧事本紀』に言う饒速日尊、自ら天降りて御座す。岩船明神是也。」と書かれている。物部と星と言えば、筑紫弦田部等の祖天津赤星がいる。また、唐松神社(天日宮)に伝わる『物部文書』には、物部瞻咋連が皇后の渡韓に功ありと言われる。正体不明の底筒男神は物部の神。

 もう一つの筒男とは何か? 『播磨国風土記』に登場する韓国伊太神は九州では妙見さんと重なっているようだ。この神は紀の国魂の五十猛命とされる。紀氏の祖であれば秦氏の祖でもある。妙見信仰は秦氏が持ち込んだ信仰と言われ、これでめでたく三星が揃った。\(^O^)/ 



第一本殿




 摂社になっている船玉神は元々第四本宮(息長足姫命を祀る)の前に鎮座していた。 船玉神は第四本宮を通じて五所御前の杉の木に降臨する住吉三神を祀る神であった。 この神を紀ノ国の人々が祀っていた。船玉神は住吉三神の荒魂とも言われ、航海の安全とくに瀬戸内海の行路の安全を司っていた神であり、住吉大神の本質は航海神であったと思われる。



五所御前



 さて息長足姫命(神功皇后)は日神であり、大八嶋の天の下に日神を船出させた船を紀ノ国で祀ったのが武内宿彌である。その神々とは紀ノ国の志摩社静火社伊達社の三船玉神、紀州三所神である。武内宿彌は紀直の娘を母とする。

 紀州三所神は紀ノ国の紀氏の氏神である。
 『播磨国風土記』」飾磨郡因達の里」によれば、神功皇后の渡海の際、先導神として御船前の伊太氏の神が守ったのであるが、この神を渡しの神・木の神で名草に鎮座する五十猛神、また『播磨国風土記』「逸文・釈日本紀」によれば、赤土で危難をさけさせた爾保都比売命を、凱旋後皇后はこの神を紀の国の筒川の藤代の峰に祀ったとある。現在、伊都郡に鎮座している丹生都比売神と同じ神とされている。この神と五十猛命は共に紀の国を代表する神々である。

 また、和歌山県の伊都郡高野町には上筒香、中筒香、下筒香と言う地名が並んでおり、住吉大神のルーツであるとの伝承もある。 「住吉大社神代記」によると、丹生川上に天手力男意気続々流住吉大神の名が見える。またこの付近には丹生神社が多く、神功皇后が丹生都比売をこの地に祀ったとの伝承は何らかの根拠があったのだろう。

 住吉大社は延喜の制で名神大社に列せられ、摂津国一の宮であり、官幣大社であり、全国二千余に及ぶ住吉神社の総本宮とされる。 また住吉大神は、禊祓の神格をもって出現したので、禊祓の神であり、住吉祭は「おはらい」と呼ばれる程、神道で最も重要な「祓」のことを司る神となっている。
また、住吉大神は、「吾が和魂をば宜しく大津の渟中倉の長峽に居さしむべし、便ち因りて往来ふ船を看護せむ」と神功皇后に告げた由が『日本書紀』と『住吉大社神代記』に見え、海上安全の守護神であり、奈良時代、遣唐使の派遣には、必ず朝廷より奉幣があり、その海上無事を祈った。
 この社は国家的な軍神で綿津見の神であった。『住吉大社神代記』に出ている日本に鎮座する住吉神は以下の通り。

摂津国住吉郡住吉神社四座(当住吉大社)延喜式名神大社
摂津国西成郡 座摩社 延喜式名神大社
摂津国菟原郡 住吉社
播磨国賀茂郡 住吉酒見社
長門国豊浦郡 住吉忌宮 延喜式内社
筑前国那珂郡 住吉社 延喜式名神大社
紀伊国伊都郡 川上天手力男意気続々流住吉大神

 それ以外に、住吉神の発祥の神社として有力な対馬の鴨居瀬や雛知の住吉神社で祭神は豊玉姫である。恐らくは和多都美神社であった所へ住吉の名のみが持ち込まれたのであろう。

 海路に鎮座する延喜式内社の住吉神
壱岐国壱岐郡 住吉神社
対馬国下県郡 住吉神社
 これらの名神大社は難波津から朝鮮半島へ向かう海路の道筋に沿って鎮座している。王権による神社であった。

 遣唐使の派遣が途絶え、熊野御幸の道筋にも当たっており、風光明媚な土地柄でもあって、紀ノ国の玉津嶋神社とともに和歌の神として尊信されるようになった。古来歌道の上達を志す人が参篭献詠し、あるいは現実に姿を現される現人神としての信仰もあり、産業発展・文化・貿易の祖神と仰がれた。中世に朝廷の権威も下がり、経済的にも地元との結びつきを強め、農耕神、穀物神の性格を強めていった。一寸法師のお伽噺は住吉さんのPRの話である。

 住吉と万葉集歌

巻二 一二一 弓削皇子の紀皇女を思へる御歌
夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅鹿の浦に玉藻刈りてな
夕暮れになると潮が満ちて来るだろう。そうならぬうちに住吉の浅香の浦で玉藻を刈りたいことよ。玉藻のような吾妹子。

巻三 二八三 高市連黒人の歌
住吉の得名津に立ちて見渡せば 武庫の泊ゆ出づる船人
住吉の得名津に立って海上を見渡すと、今しも武庫の港から船を漕ぎ出して来る船頭たちよ

巻七 一一五六 作者不詳
住吉の遠里小野の真榛もち摺れる衣の盛過ぎ行く
住吉の遠里の小野の美しい棒で摺り染にした衣が色あせていく−盛りの年も過ぎていくよ。

巻七 一二七四
住吉の出見の浜の柴な刈りそね未通女らが赤裳の裾の濡れてゆく見む
住吉の出見の浜の芝を刈るな。その露に娘の赤裳の裾が濡れて通るのを見よう。

巻十 一八八六 作者不詳
住吉の里行きしかば春花のいや愛らしき君に逢へるかも
住吉の里に行くと、春の花のようにますます逢いたいと思うあなたにお逢いしたいことよ

巻十二 三〇七六 作者不詳
住吉の敷津の浦の名告藻の 名は告りてしを逢はなくもあやし
住吉の敷津の浦の名告藻のように、わが名は告げたのに、逢えもせずいぶかしい。(名を告げる=求婚)

第三本宮と並ぶ第四本宮


お姿

 社殿は、第一本宮より第三本宮まで東西に縦に、第四本宮は第三本宮の南に並び、全て西向きという他に例のない配置で、各本宮とも本殿は、「住吉造」と称せられる神社建築史上最古の特殊の様式で、いずれも国宝に指定されている。 「住吉造」というのは、丹塗・桧皮葺・直線型妻入式で切妻の力強い直線をなした御屋根に置千木と五本の四角堅魚木を備え、周囲に回廊なく、板玉垣をめぐらし、さらにその外に荒忌垣があり、正面で「住吉鳥居」と称せられる特有の四角鳥居に接続している。
 反橋は住吉の象徴として名高く太鼓橋とも呼ばれている。

摂津名所図会 住吉本社



お祭り
 住吉大社の夏祭り(住吉祭)は、ただ単に「おはらい」とも呼ばれ、国中の大祓を行うお祭りです。 七月三十一日、御例祭に続き、午後一時より夏越大祓神事(大阪府指定無形文化財)が行われ、翌八月一日には堺宿院の頓宮に渡御があり、荒和大祓が行われている。

住吉大社
由緒書
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を総称して住吉大神と申上げ、伊弉諾尊があは ぎはらに祓除せられたとき、海の中より生れた神樣です。
神功皇后は、新羅御出兵に当って、住吉大神の御加護を得ておおいに国威を輝かせら れ、御凱旋の後、大神の御神託によって此の地に御鎮祭になりました。神功皇后摂政 十一年辛卯年のことで、今から約一千七百八十年前のことでありました。皇后の御孫 、仁徳天皇が浪速に遷都せられて墨江の津を開港せられ、後に大阪、堺の発展をもた らしましたのは、実に此の時に起因しております。
後、皇后をも併せ御祀り申上げ、住吉四社大明神と崇められ、延喜の制では名神大社 に列せられ、摂津国一の宮として聞え高く、昭和二十一年まで官幣大社でありまして 、全国二千余に及ぶ住吉神社の総本宮です。
住吉大神は、禊祓の御神格をもって御出現になりましたので、禊祓の神であり、住吉 祭は「おはらい」と呼ばれる程、神道で最も重要な「祓」のことを司る神です。また 、住吉大神は、「吾が和魂をば宜しく大津の渟中倉の長峽に居さしむべし、便ち因り て往来ふ船を看護せむ」と神功皇后に御告げになった由が『日本書紀』住吉大社神代 記に見え、海上安全の守護神であり、奈良時代、遣唐使の派遣には、必ず朝廷より奉 幣があり、その海上無事を祈りました。そのほか歌神として、古来歌道の上達を志す 人が当社に参篭献詠し、あるいは現実に姿を現される現人神としての信仰もあり、産 業発展・文化・貿易の祖神と仰がれ住吉大神の広大な御神徳はあまねく世に知られて います。
住吉大社の夏祭り(住吉祭)は、ただ単に「おはらい」とも呼ばれ、国中の大祓を行 うお祭りです。七月三十一日、御例祭に続き、午後一時より夏越大祓神事(大阪府指 定無形文化財)が行われ、翌八月一日には堺宿院の頓宮に渡御があり、荒和大祓が行 われております。そのほか、踏歌神事(一月四日)、白馬神事(一月七日)、御結鎮 神事(一月十三日)、松苗神事(四月三日)、卯之葉神事(五月上卯日)、御田植神 事(六月十四日・重要無形民俗文化財)、宝之市神事(十月十七日)等の神事があり ます。
住吉大社の祭祀は、一千七百年来連綿と続いていますが、中でも伊勢の神宮と同じく 、二十年に一度の式年造替遷宮の制が、はやくも奈良時代より確実に実施せられてい ました。近世以降よりは、破損に従って修理する例となりましたが、遷宮の根本の制 は今日にひきつがれ、去る平成三年十一月には、御鎮座一千七百八十年に当たり、第 四十八回式年遷宮が執り行われました。
当社に対する御崇敬は頗る厚く、天武天皇の御奉幣をはじめ、御歴代天皇、皇族の行 幸、御神宝の御奉納などあいつぎ、特に後村上天皇は、戦乱の世の前後九年間、当社 に行在所をおかれました。また明治天皇は明治元年及び十年の両度御親拝され、昭和 天皇も大正六年に御参拝になり、昭和四十五年には昭和天皇、皇后両陛下御揃いで御 親拝されました。
初詣の参拝者は三が日で三百万人に及び、一年を通じても家内安全・商売繁昌・初宮 詣・七五三詣・交通安全・厄除など諸願成就の人が絶えません。
御社殿は、第一本宮より第三本宮まで縦に、第四本宮は第三本宮の横に並ぶという他 に例を見ぬ縦ならびの配置で、各本宮とも御本殿は、「住吉造」と称せられる神社建 築史上最古の特殊の様式で、いずれも国宝に指定されています。「住吉造」というの は、丹塗・桧皮葺・直線型妻入式で切妻の力強い直線をなした御屋根に置千木と五本 の四角堅魚木を備え、周囲に回廊なく、板玉垣をめぐらし、さらにその外に荒忌垣が あり、正面で「住吉鳥居」と称せられる特有の四角鳥居に接続しています。

摂末社

大海神社
山幸海幸の神話で有名な海神の豊玉彦、豊玉姫を祀り、本社に次いで御神格の高い社 です。御本殿は本社と同じ形式の「住吉造」で、重要文化財に指定され、社前の「玉 の井」は海神より授かった潮満珠を沈めたと伝えられています。

船玉神社
天鳥船命・猿田彦命を祀ります。天鳥船命は天上との交通、すなわち大空の船の守護 神であり、猿田彦命は天孫降臨の際先導を果たされた神様で、船の御霊であると同時 に航空の安全を守る神として全国唯一の信仰をうけています。

若宮八幡宮
神功皇后の御子応神天皇すなわち八幡様をお祀りし、湯立神事は有名です。

志賀神社
大海神社境内にあり、伊弉諾尊の禊祓の時、住吉三柱大神と共に生れ出で給うた底津 少童命・中津少童命・表津少童命をお祀りしております。

侍者社
神功皇后の命をうけて住吉大社最初の神主津守氏の祖田裳見宿祢、市姫を祀り、縁結 の神として良縁を祈願し、おもと絵馬を奉納する参拝者が多い。

楠・社
第一本宮の裏にある樹齢約千年の楠を御神木として、お稲荷様[宇迦魂命]を祀り、 商売繁昌に格別の御神徳あり、俗に“初辰さん”と称えられて毎月初の辰の日には多 数の参詣者で賑わい、特に四十八回の月詣りは有名です。

種貸社
苗見社とも称し、五穀の種が授かる信仰がもととなって、商売の資本を得たり、種貸 人形を受けると子宝を授かる信仰があります。

大歳神社
大歳神を祀り、収穫の神であるところから集金、商売繁昌、家内安全、願望成就の御 神徳があり、毎月初の辰日に祈願する人々で賑わいます。

浅沢神社
市杵島姫神を祀り、福の神、婦人の作法、芸事の守護神として崇敬されています。昔 は浅沢小野の「かきつばた」として世に知られた名所でした。

市戎大国社
事代主神・大国主神を祀り、商売繁昌の守護神で、市の守り神とされています。一月 十日の市戎大国祭[えべっさん]は、賑々しいお祭が行なわれます。

名所旧跡

五所御前
第一本宮と摂社若宮八幡宮との間にあり、杉樹が石の玉垣の内に立っています。昔神 功皇后が当社を御鎮祭のため社地をお定めになる時、この杉の木に鷺が三羽来て止ま りましたので、ここが大神の御思召のところとしてここに祀られたと伝え、「高天原 」とも呼ばれています。

石舞台
日本三大舞台の一つで、舞樂を奏するところです。南門・東と西の樂所と共に慶長年 間豊臣秀頼が奉納され、重要文化財に指定されています。

反橋
住吉の象徴として名高く太鼓橋とも呼ばれています。長さ二十米、幅五.五米、高さ 三.六米、現在の石の橋脚は、慶長年間、淀君が奉納したものが伝えられています。 池の畔に川端康成「反橋」の文学碑が建っています。

誕生石
薩摩藩主島津氏の祖島津忠久誕生の処と伝えられ、島津家代々の信仰が厚く、丹後局 の伝説よりしてここに安産を祈るものが絶えません。

石灯篭
境内の石灯篭はすべて六百余基に達し、その形も頗る壮大なもの、優雅なものなど多 く、頼山陽、池大雅、貫名海屋、篠崎小竹、五井蘭州、羽倉可亭など名家による題字 を刻んだものもあり、近世の住吉信仰を窺えます。

住吉御文庫
第一本宮の北に建つ二階建・土蔵造の御文庫で、享保八年(一七二三)に三都[大阪 ・京都・江戸]の書林が奉納、大阪最古の図書館として有名です。

高倉
第一本宮裏の森の中にある二棟の板校倉造で、井楼造ともいわれています。御神宝を 納める庫にて、室町時代の建物と伝えられています。

参考書 日本の神々ー神社と聖地ー3(大和岩雄)白水社





公式住吉大社
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