筑紫津神社
大阪府高槻市津之江町北町18番地水戸  its-mo

鳥居

交通

阪急富田駅 東1500m



祭神

素盞嗚尊

摂社
竜王神社「市杵島姫神」
石柱 天照大神、熊野三所権現

由緒

 境内の神社の由緒書きから
 芥川の水流自然の低地に流れ、紆余曲折して澱江に入る。高月の西方平坦の地あり、土俗此の地に住む。
 太古、素盞嗚尊、筑紫より御幸の際、本地に御仮泊、旅程の安全を祈るため、道祖の神を祀る。(上田の道祖神社はその古祀という)
 住民、尊の威徳を敬慕し鎮守の神として奉祀す。筑紫津神社は即ちこれなり。

 続いて、津之江起源
 本地は古来嶋上郡に属し、筑紫津と称す。当時澱江、本地の南方に流れ、風景絶佳の地なり。その後、御神号の津を頂き、水に因みて津江と称す。 是れ、津の江の起源なり。以上境内由緒板から

 当地の北1.5kmの地に今城塚古墳がある。どうやら継体天皇の陵墓のようである。阿蘇産の石棺石材も使われている。出土品の中には円筒埴輪にヘラで「帆船絵」が描かれていたものがある。発掘指揮の高槻市立埋蔵文化財調査センターの森田克行所長は、「今城塚の船絵は、大型船の停泊を表している。淀川に大きい津があった」とされ、磐井の乱とこの船絵との関係を指摘されている。

 平安時代の歌謡「催馬楽(さいばら)」
 原文 名无波乃宇美 名无波乃宇美 己支毛天乃保留 乎不祢於保不祢 川久之川万天尓 以末須己伊乃保礼 也万左支万天尓
 読み 難波の海 難波の海 漕ぎもて上る 小舟大船 筑紫津までに 今少い上れ 山崎までに
 難波から淀川を遡って、山崎までの手前に高槻があり、まさに此処に筑紫津神社が鎮座、琵琶湖とゆかりの深い継体天皇と海運、水軍、筑紫の君磐井の乱、古墳の石棺、王朝交代の謎を秘めた地域である。

拝殿

 素盞嗚尊は東遷しているようだ。
 行橋市大字天生田に鎮座している清地神社の由緒に「素盞嗚尊と御子の五十猛命がこの国を経由した時に豊日別命(猿田彦命とされる)が出迎えて接待した。」との伝承が記されている。
 豊中市庄本町鎮座の椋橋総社には「素盞嗚尊が高天原より鯉に乗って神前(神崎)の水門を経て、当荘に降臨、これにより崇神天皇七年、椋橋部連の祖、伊香我色乎が齋い定め祀った。」と伝えられている。これは筑紫からとはしていないが、東遷の一こまではなかろうか。



本殿

お姿

 南から入り、社殿は東向きのようだ。鳥居をくぐると左手に竜王社が鎮座、赤い鳥居。
 本社の社殿横に消えかかった由緒書きがあった。
 本殿の向かって左に天照大神と彫られた石柱、また右には熊野三所権現の石柱がたっている。クロガネモチの大きい木がある。



熊野三所権現


お祭り
  10月13〜14日  例祭 宵宮と本祭
 

参考 『大阪府神社史料』

『大阪府神社史料』

 筑紫津神社 三島郡如是村大字津之江

 筑紫津神社は字木戸にあり、速素盞嗚命を祀れり、由緒は詳ならず、明治五年村社に列せられる、境内は二百四十五坪を有し、本殿、拝殿」を存す、末社に早苗神社、伊弉册命神社、皇大神社、中王神社あり、氏地は本地にて、祭日は十月十四日なり (大阪府全志)

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