三津神社
大阪市港区夕凪2−6−11 its-mo

鳥居


交通

地下鉄朝潮橋 東へ400m 南へ100m


 
祭神

天照皇大神 合祀 大海大神、住吉大神、生國魂大神、宇迦御魂大神


摂社
石中稲荷神社 富吉大神 合祀 秋吉大神
戎神社 事代主大神



拝殿

由緒(大阪府全志)

  旧奈は石中神社のようだ。
 天照皇大神・住吉大神・宇迦御魂神を祀る。寛政五年九月十八日の勧請にしてもと皇太神社と称せしが、明治五年村社に列せられ、同四十年十月七日石だ町字宮の前の村社皇太神宮「天照皇大神」を合祀し、両町名の一字づつを採て今の社名(石中神社)に改め、大正二年十月六日更に八幡屋町字イの割の無格社住吉神社「住吉大神・生国魂大神・宇迦御魂神」を合祀す。合祀せられたる皇太神宮は明治五年・住吉神社は天保二年の勧請なり。
 壱百五拾七坪にして本殿・幣殿・社務所を存す。

 
その後 『平成祭CD』
 昭和七年四月、社号を三津神社と改称されるに至った。
 昭和八年三月、田中元町五丁目に移転した。ここで三町協力し、社殿改築御造営に着工し、昭和十一年十月十六日、壮麗な新社殿の完成と共に御遷座せられたが、然るに昭和二十年六月一日、第二次大戦の戦災に罹り焼失するに至った。
 昭和四十二年三月、現在地へ移転。同年十二月二十日、壮麗な新社殿の竣工と共に正遷宮せられた。



本殿


お姿

 社殿はコンクリート造り。本殿周辺には木々は皆無である。木々は社殿の横と鳥居周辺に僅かにある。境内に欅二本を寄贈したと思われる石碑がある。掲示板の左右に欅らしき木があったが、小さく伐られている。ご近所がうるさいのだろうか。


お祭り
 
   10月 22日、23日 秋季例大祭  

摂社 稲荷神社   夷神社

平成祭CD 三津神社 御由緒

  当神社は明和元年(一七六四年)、府下豊島郡才田村の人、石田三右衛門が石田新田開発の際、工事の安全と成功を祈り守護神として、明和五年(一七六八年)、此の地(今の石田町二丁目から安治川の川中にあたる、安治川内海化計画による工事の進歩につれて、石田町と八幡屋町の一部は既に海成地となり、土地の姿を見ることが出来ぬ)に社殿を建造勧請したもので、創祀にあたり天照皇大神を奉斎して、石田皇大神宮と称し、爾来当地の開発鎮守の神として村人の崇敬篤き神社となり、現今に至っている。明治四十年十月七日、石田皇大神宮へ田中町村社の田中産土神社を合祀し両町名の一字ずつを取って社号を石中神社と改称した。後に今の石中稲荷神社に命名す。
 明治四十二年、石田神楽町へ移転遷座した。其の後大正二年十月六日、八幡屋町の八幡屋住吉神社を合祀し、三つの津、三つの社を合祀されたところから、昭和七年四月、社号を三津神社と改称されるに至った。
 昭和八年三月、田中元町五丁目に移転した。ここで三町協力し、社殿改築御造営に着工し、昭和十一年十月十六日、壮麗な新社殿の完成と共に御遷座せられたが、然るに昭和二十年六月一日、第二次大戦の戦災に罹り焼失するに至った。昭和四十二年三月、現在地へ移転。同年十二月二十日、壮麗な新社殿の竣工と共に正遷宮せられた。
 以上
 

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