金刀比羅宮
香川県仲多度郡琴平町892ー1 ゼンリン


表参道の土産街

交通
JR土讃線琴平駅



祭神

大物主神 配祀 崇徳天皇

  白峰神社「崇徳天皇 待賢門院 大山祇神」、三穂津姫社、旭社、御年神社、祓戸神社、厳魂神社「嚴魂彦命」(奧宮)、菅原神社「菅原道眞」、稲荷神社「倉稻魂神」、火雷社、幽深殿



大門

由緒
 「金比羅船船♪〜」の歌にあるように、海神を祀る神社として信仰されてきた。象頭山が神体山であり、これは船を逆さまに置いた形、ここから海神となったが、山を祀ることは大和の三輪山の大物主神と共通しており、海を照らして顕れた神である。
 讃岐には大物主の神妻となった倭迹迹日百襲姫命を祭る神社は式内で2社、田村神社、水主神社。式外の船山神社、また艪掛神社が鎮座、この名前を見ても海神に仕える巫女王の姿が見えてくるようだ。

 金刀比とはクンピーラーでガンジス河のワニを神格化したもので、仏教と共に持ち込まれた名前。大物主はワニにはなっていないが、『神代紀』には、「事代主はワニになって三嶋溝杙姫命の元に通った。」との話が載っている。大物主や事代主との関連が注目される讃岐の国である。

鳥居を幾つかくぐる


祓戸社「瀬織津姫神 ほか」   火雷社「火産靈神」

 旭社は寺院であった頃の金堂であった。


旭社「天御中主神 高皇産靈神 神皇産靈神 伊邪那岐神 伊邪那美神 天照大御神 天津神 國津神 八百萬神」


賢木門    真須賀神社「建速須佐之男尊」
 

御年神社「大年神、御年神、若年神」  事知神社「積羽八重事代主神外二柱の神」
 

 785段を登り、ようやく本殿前に到着。
 神社の起源については不詳であるが、神社で頂いた由緒には「早い時期から大物主大神をお祀りして琴平神社と称し云々」とある。平安時代には広く信仰を集めていたとし、平安末期の保元の乱で讃岐国に配流されたまま当地で崩御された崇徳天皇の御霊を鎮めるために配祀した。
 室町末期には本地垂迹説の影響を受けて金毘羅大権現と改称している。明治期の神仏分離政策で全山あげて神社となった。琴平神社と改称し、さらに金刀比羅宮となった。
 江戸時代には金毘羅参りは伊勢参りと並んで一生に一度はすべきものとされ、人生最大の慰安旅行となった。各地の神社境内には金毘羅参りを記念して金毘羅大権現と彫られた石碑が見られる。


金刀比羅宮拝殿


金刀比羅宮本殿


金刀比羅宮前の楠木

睦魂神社「大国魂神、大国主神、少彦名神」

三穂津姫社「三穗津姫神」

神楽殿

厳島神社「市寸嶋姫尊」   大山祇神社「大山祇神」

お姿
 門前市を成す典型の神社。
 とにかく延々と登りが続く石段には閉口、冬の寒い日だったのが幸いした。
 時間が迫っていたので、残念ながら奧宮への時間はなかった。
 象頭山の中腹に本殿はあり、眼下の景色はよい。讃岐富士も見えたが、写真では霞がかかっていた。



讃岐富士


お祭り
 10月  9日〜11日   例大祭
 

『平成祭CD』  金刀比羅宮
御本宮由緒書
 はじめ大物主大神を祀り、古くは琴平神社と称する。中古仏教の興隆に伴い、本地垂迹説の影響を受けて金毘羅大権現と改称し、永万元年(一一六五)に至って、御相殿に崇徳天皇を合せ祀る。明治初年(一八六八)になって神仏混淆を廃し、元の神社に復り、明治元年七月、特に宮号仰出され、金刀比羅宮と改称され現今に至る。
 御祭神は、大物主大神と申し、建速須佐男尊の御子、大国主神の和魂神に坐す。当宮は、大神が国土経営の砌、暫し行宮を営まれた御旧蹟と申し伝えられており、神代の昔より御鎮座せられている御縁深い旧社である。 又、御相殿に鎮まります崇徳天皇は、第七四代鳥羽天皇の第一皇子で御名は顕仁。元永元年(一一一九)誕生、保安四年(一一二三)五歳で即位し、第七十五代の皇位を継承、永治元年(一一四一)に近衛天皇に譲位、後保元の乱にあい讃岐国綾郡松山(香川県坂出市)に配流せられ、世に讃岐院と称し奉られる。
 籠居九ケ年の間、金刀比羅宮境内古籠所に御参籠せられ、又親しく御宸筆を納められた由縁が有る。
 長寛二年(一一六四)八月二十六日崩御、御寿四十六歳。讃岐白峰陵(香川県坂出市)に葬り奉る。翌永万元年七月、御在世中の御縁故に依り、ひそかに御霊を迎えて御相殿に斎き祀る。
 桃園天皇御宇宝暦三年十二月、勅願所仰出され、同十年五月、日本一社勅願所たるべき旨、綸旨を賜り、爾来明治初年に至るまで、毎年春秋の二季に、禁中より御撫物を当宮別当に下して、宝祚悠久を祈らせる。そのほか、桃園天皇、後桜町天皇、後桃園天皇を始め暦朝皇室のすこぶる篤く、御代拝を差し遣わされたり、或いは金品の御寄付あらせられる事があり、光格上皇には天保十年、臨時御祈祷仰出され、孝明天皇には安政五年、文久三年の両度臨時御祈祷仰出される。また明治天皇には、明治十六年、御思召を以って御短刀一口御寄付仰出され、同二十一年には当宮保存会設立の趣を聞食されて金員を御下賜遊ばされる。近くは大正天皇、今上天皇の御参拝あらせられる等皇室の崇敬篤く、武門武将より一般市民に至るまで、広く信仰せられている。
 全国津々浦々からの参拝客は、毎年三百万から四百万。それぞれ深い御蔭を戴かれて居る。  以上

参考 『日本の神々』、『金刀比羅宮由緒記』

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