大山祇神社・大三島宮
愛媛県今治市大三島町宮浦3993 ゼンリン


大三島の最高峰の鷲ヶ頭山 中央の遠い山

交通
しまなみ街道大三島 フェリー今治−宮浦



祭神

大山積神 またの名を和多志の大神(伊予風土記)

  上津社、下津社、十七神社、御鉾神社、八重垣神社、宇迦神社「宇賀神」、姫子邑神社、祓殿神社、阿奈波神社「磐長姫命」、御子宮神社「大直日神」、厳島神社、轟神社「啼澤女神」、天神社「天之御中主神 高産靈神 神産靈神 (配祀)菅原道眞」、八坂神社「素戔嗚命 少彦名命」、五穀神社「宇賀御魂神」、祖霊社


鳥居と社号標(日本総鎮守)


由緒
 山の神を祀るのに相応しい山々を背に鎮座しつつ、和多志(渡)の神としての性格は大三島と言う島に鎮座していることでもわかる。付近には島々が密集しており、現在は島と言っても「しまなみ街道」と言うハイウエイでつながっている。

 『伊予国風土記逸文 釈日本紀』に次のような話が載っている。
 乎知の郡。御島においでになる神の御名は大山積の神、またの名は和多志(渡海)の大神である。この神は難波の高津の宮に天の下をお治めになった天皇(仁徳天皇)のみ世に顕現なされた。この神は百済の国から渡っておいでになり、摂津の国の御島においでになった。云々。御島というのは津の国の御島の名である。 
 摂津の御島の神とは摂津国嶋上郡(高槻市三島江)の三島鴨神社の祭神の大山積神のことである。祭神としては事代主神もいるので神社名に鴨が付いている。

乎知命御手植の楠 樹齢2600年


 さて、百済から渡来したとすれば先に難波に来るのには疑問がある。先ず、孤立した島に拠点を置いて、列島なり四国の内部を探るのが常識的だと思われるからだ。五十猛神も渡の神の神格を持つが、対馬・壱岐・隠岐・能登島・佐渡と島に上陸している。
 『伊予国風土記』の物語は、以下の事が神話化したのかも知れない。『伊予盛衰記』に、白村江の戦いに参加し、逃げ帰って来た越智直守興の子の玉興が伊予国の政務と同時に当社の祭祀を司ったとあり、これが百済からの渡来伝承を生んだ可能性があと思う。彼が先に難波に行ってから当地に戻ったのかも知れない。
 大山積神は大山祇神とも記され、南方から九州南部に到着したネシア系の神ではなかろうかと考えられる。黒潮の道を渡海をして来たことは渡海の神の神格もあり、わざわざ百済から来て頂く必要はなく、日本の神でも最も古い神の一柱だと思われる。これは背後の山々から打製石器や弥生土器が発見されており、また巨石信仰を示す長さ7mの花崗岩や「よめいわ」と呼ばれる性器信仰にもつながる巨石群が存在することでも言える。

 当社の祭祀にたずさわったのは「小千国」の越智氏であった。越智氏には二系統があって、薩摩の坊津を根拠として小千命系の越智氏か饒速日尊を遠祖とする越智氏の一族とされる。薩摩からやって来たとするのが大山積神に相応しい。

 平安時代に太政大臣藤原実頼の孫の佐理が夢に現れた三島明神に乞われるままに「日本総鎮守大山積大明神」と雄渾にしたため奉納したのが契機で天皇から「日本総鎮守」との名号を賜ったと言う。

十七神社 室町時代
長棟造にて平安様式が残されており、当大山祇神社は伊予国一宮でありますので、ここに国中の神々を祀った建物です。特に内陣には木彫の御神像(いずれも重要文化財指定)が安置されております。

神門

 拝殿は天授四年(1378)再建され、昭和二十八年に国庫補助を受けて解体修理を行った際、応永三十四年(1427)の墨書が発見された。継続して補修されて来たものと思われる。

拝殿

 本殿とその左右に上津社「大雷神、姫神」、下津社「高神、姫神」が鎮座する。

本殿と神水の井戸「水波能売神」

背後から 手前から上津社、本殿、下津社

本殿真後ろの姫子邑神社「木花開耶姫命、火々出見命、火須勢理命」

八重垣神社「素盞嗚尊」、酒殿神社「大山積神」   御鉾神社「御鉾大神」
 

祓殿神社「大禍津日神 ほか」・伊予国総社・葛城神社「一言主神」  宝筺印塔(鎌倉時代)
 

お姿
 背後の山々には古代の遺跡や磐座に相当するものが多いようだ。
   大山祇神は鉱山の神でもある。鉱区開発の都度、勧請され、全国に1万社と言われる。当島と隣の生口島との間の大橋を多々羅橋と称する。当地でもタタラ製鉄が行われたのもと思われる。

 神格が多岐に渡るので、多くの奉納宝物がある。斉明天皇が奉納したと言う「禽獣葡萄鏡」などの古鏡数点。鎧など、中には源義経奉納説のものがある。刀剣類は二八五口。他に写経。


お祭り
 4月  22日   例祭
   また一人相撲は有名である。
 

『平成祭CD』  大山祇神社
大山祇神社由緒
 御祭神大山積大神は、天照大神の兄神で山の神々の親神に当たり(古事記・日本書紀)天孫瓊々杵尊の皇妃となられた木花開耶姫命の父神にあたる日本民族の祖神として、和多志大神(伊予国風土記)と申し上げる。
 海上安全の守護神である。 地神・海神兼備の大霊神として日本の国土全体を守護し給う神であるところから古代より日本総鎮守と尊称され朝廷を初め国民の崇敬は各時代を通して篤く中世は四社詣、五社詣の中心となり、平安時代既に市が立ち現在に続いている。
 御分社は全国に10,000余社祀られ、延喜式名神大社に列せられ伊予国一の宮に定められた。明治以降は国弊大社に列せられ四国で唯一の大社としして尊崇されている。  以上

参考 『日本の神々』、『大三島詣で』

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