熊毛郡[クマケ]:2座並小
熊毛神社[クマケ]
熊毛神社[くまげ]「三毛入沼命、玉依姫命」 山口県熊毛郡熊毛町大字呼坂字勝間1322 玄松子の記憶
賀茂神社「玉依姫命、別雷命、三毛入野命」山口県柳井市大字伊保庄近長538 玄松子の記憶
伊保庄 賀茂神社由緒 京都の賀茂神社とゆかりの深い社は、中国筋では播州室津の賀茂神社とこの社が最も 都に知られているので、都人たちが附近通行の際は懐かしさによく参詣されました。 明応九年足利十代将軍義植が下向の途中柳井津に滞溜した節も、同行の三条左大臣公 頼、近衛中将二条良豊、持明院中納言基規の三卿が、足を運んで参詣された記録が伝 えられています。 この社には賀茂神の外に、神武天皇の御弟三毛入野命がお祭りしてあります。三毛入 野命は南に見える大座山の山上にあった、国弊を以て祭られる延喜式内社熊毛神社の 祭神であります。この社は鎮座以来二千年近くも経っているので、途中奉仕の氏人を 失って荒廃した為当社に合祭したものであります。 従って当社の祭神は |
大歳神社「素盞嗚尊、稻田姫尊、大己貴命」山口県熊毛郡熊毛町大字樋ノ口931 玄松子の記憶
岩隈八幡宮[いわくま]「三毛入野命、譽田別命、帶中津彦命、息長帶比賣命、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命」当社は、周防風土記に、「古老傳云往昔三毛入野命祖生郷天降岩熊山故名之謂熊毛今熊毛宮是也」と記載されて熊毛神社と言われている。
山口県玖珂郡周東町大字祖生7183 玄松子の記憶
岩隈八幡宮 由緒 当社は、周防風土記に、「古老傳云往昔三毛入野命祖生郷天降岩熊山故名之謂熊毛今 熊毛宮是也」と記載されて熊毛神社と言われている。しかし勧請創建年月不詳、垂仁 天皇の御世勅願を以て兵器(槍)を納めたもう今御神体を木瓜形黒漆に封じ鎮奉と申 し伝う。その後祖生郷と瀬田郷の境に鎮座木(ちんざぎ)に八流の旗が天降り給うた 故に八幡の大神の影向を知り和銅7年(714年)8月宇佐神宮より八幡大神を勧請 したと伝える。室町時代になると、祖生地方は陶氏の知行するとこるとなり、当社も また陶氏らの庇護を受けることになった。室町時代の作事を棟札銘によってみると、 永正十年(1513年)陶興房を大檀那とし楼門が再興されいる。更に天文三年(1 534年)十一月宝殿造立又、天文十四年(1545年)四月八日から二十二日にか けて上棟が行われ天正二〜三年(1574〜75年)宝殿の上棟そして元禄四年九月 五日玖珂久重山に遷宮その後災害が多く宝永三年六月の台風にて破損村民恐れ旧地に 社殿再建願いを出し宝永五年(1708年)四月十九日に本殿建立ここに鎮奉る更に 宝永七年(1710年)祝詞殿を造営、ここまで何回も造営を繰返していることから 災害も頻繁に起きていたと思われる。現実にこの岩隈山山頂は落雷も多く近世になっ て慶応の年にも火災に見舞われて幾つかの物を消失している。このことから、玖珂久 重山遷宮は、災害より逃れる為であったとも考えられる。現在の本殿は明治二年に神 殿材料全部を吉川藩主の寄付により再建されて今日に至る。尚、永正十年に建立され た楼門の礎石と思われる石が現存しています。 |
岩隈八幡宮[いわくま]「三毛入野命、磐余彦命、玉依姫命、譽田別尊、足仲彦尊、氣長足姫尊、表筒男神、中筒男神、底筒男神」 山口県玖珂郡玖珂町久重山903http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Hanamizuki/9676/jisha/numakumahatimangu0.htm独立筆の木造扁額
岩隈八幡宮 由緒 当神社の創建は定かでないが、当初熊毛郡下の時代玖珂盆地下祖生にあって、御祭神 三毛入野・磐余彦命・玉依姫命を祀る熊毛神社と称し、「延喜式内熊毛神社」と言わ れている。和銅七年(714年)宇佐神宮より八幡大神を勧請し、その後八幡の守り 神として住吉大神を奉斎し、併せ主神九柱を祀っいる。神社名もいつの頃よりか岩熊 神社となり岩熊八幡宮・巌隈八幡宮を経て、今日の岩隈八幡宮と改称されてきた。三 毛入野命は熊毛の大神といわれ、この地域で米づくりを教え指導され豊かな里にされ た。里人挙って感謝の意を表し産土の神として岩隈山へ祀ったものである。三毛入野 命のミケは米を、イリヌは親しむを意味してお、り、又、熊毛の地名のクマケは古語 でクマもケも米のことであり、祀られている。岩隈山と三毛入野命から米のよくでき る里即ち熊毛と呼ばれるようになったと言われている。元禄四年(1691年)萩藩 朱毛利氏の要請に応え、岩国四代藩主吉川広紀氏が現在地(玖珂町久重山)に遷座さ れたものである。因みに神殿は室町時代天文三年(1534年)当時の守護大名大内 義隆氏の造営にかかるもので現存している。 |
石城神社[イハキ]
石城神社[いわき]「大山祇神 配 雷神、高神」」境内に神籠石あり。山口県熊毛郡大和町大字塩田字石城山2233 玄松子の記憶
佐波郡[サハ]:6座並小
玉祖神社二座[タマノオヤ]
玉祖神社[たまのおや]「玉祖命、祭神不詳」山口県防府市大字大崎1690 玄松子の記憶
式内社、周防国一宮、旧国幣中社 玉祖神社略記 社名 祭神 由緒・沿革 確実な史料で沿革をたどると、 祭事暦 特殊神事 釣垂神事(つりたれのしんじ) 占手神事(うらてのしんじ) 例祭特殊御供 玉祖神社ゆかりの地 宮城森 八籠山 玉の岩屋(たまのいわや) 主な宝物 附 周防国一宮玉祖神社神祠重建目録 一巻 附 周防国一宮玉祖神社御神用米在所注文 一巻 重要美術品 銅製 九曜巴紋双雀鏡 一面 天然記念物 日本鶏 黒柏(くろかしわ) (注一)一の宮 (注二)国幣社 |
出雲神社2座[イツモ]
出雲神社「大己貴命、事代主命」元正天皇霊亀三年鎮座。山口県佐波郡徳地町大字堀字中久保3572 玄松子の記憶
御坂神社[ミサカ]
三坂神社[みさか]「大國主大神、事代主大神 配 速玉之男神、道反大神」山口県佐波郡徳地町大字岸見字樋ノ口557 玄松子の記憶
八幡宮「道反大神 配 八幡大神、羽明玉命」山口県佐波郡徳地町船路2617 玄松子の記憶
劔神社[ツルキ]
劔神社[つるぎ]「素盞嗚尊 配 武甕槌神、日本武尊」
山口県防府市大字高井1154-1 玄松子の記憶
剱神社由緒 樫の老木が立ち並ぶ、静かな鎮守の森に建てられている剱神社は、もと勝坂の地にあ
りました。今から、およそ400年前の山火事で社が焼け、現代の土地に移されたと いわれています。 (主要祭事) |
吉敷郡[ヨシキ]:1座小
仁壁神社[ニカヘ]
仁壁神社[にかべ]「表筒男命、中筒男命、底筒男命、下照姫命、味耜高彦根命」崇神天皇の御代。山口県山口市大字宮野下2136 玄松子の記憶
仁壁神社 由緒 仁壁神社の創建は崇神天皇の御代七年(前九一)天地地神戸を定められた時に、当社 にも『御封を寄せ給い宮野庄もなべて当社の御封なり』と記されている。また、『文 徳実録』に嘉祥三年(八五一)正月二十七日の条に天皇即位にあたり従五位の神階を 授かり、貞観九年(八六七)従四位下に昇叙されている。『延喜式神名帳』(九二七 )にも周防国吉敷郡の小一社として記載され、祈年祭二は国幣に領り式内社に列せら れる。その後度々増階され建久六年(一一九五)に正三位となる。 『周防国宮荘立券文』上司家文書建久六年(一一九五)宮野庄仁戸の社(仁壁)の旧 祉、神領の田畝数々と記載され大内矢田に仁戸田の地名があり、当社の神田神戸であ った事を伺うことができる。 古来三の宮様と呼ばれているのは大内義興公が明応六年(一四九四)に一の宮右田玉 祖神社・二の宮徳地出雲神社・三の宮宮野仁壁神社・四の宮吉敷赤田神社・五の宮朝 田神社へ戦勝報告に五社詣された故事による。 神社の鎮座されている地番は「山口市大字宮野神織機」であり古くから農業や養蚕・ 織物が盛んであり交易も頻繁に行なわれていたのではと御祭神様からも伺う事が出来る。 |
都濃郡[ツノ]:1座小
二俣神社[フタマタ]
二俣神社[ふたまた]「大物主神、八千矛神、稻田姫神」山口県徳山市大字大向1648 玄松子の記憶
式内二俣神社の由来 式内二俣神社は、今から壱千八百年前の成務天皇時代の成務五十九年(西暦一八九年 )に創建され、大物主大神・八千矛大神・櫛稲田姫命の三柱を御祭神とし、爾来地区 の氏神様として崇拝今日に至っている。 当神社は、平安時代の延長五年十二月(西暦九二七年)延喜格式の選上により、旧都 濃郡管内で一社のみ延喜式内社として登載されており、格式の高い神社と云える。 またこの間、神社の主たる造営を防長寺社由来記に見れば、室町時代、延徳元年四月 (西暦一四八九年)に多々良弘武が、織豊時代の慶長三年十一月(西暦一五九八年) 毛利輝元が造営したとされており、現存のお宮の形態が保たれているのではないかと 思考される。したがって、一に三ツ星の毛利の紋所は、この時代に附されたものと推 測できる。 社殿後背の面積約八百平方米の社叢は、樹齢約三百年の自然林の様相が保たれ、山頂 には目通りの周囲三.七米、樹高約二十米、自生の檜が一本見られる。主な大木はツ クバネガシ、ウラジロガシ、アカガシ、アラカシ、アカシデが混生し、特徴ある天然 の樹立はきわめて少なく、珍らしい社叢とされ、尊厳な鎮守の森である。 |
周方神社[すわ]「建御名方命、大物主神、八千矛神」山口県徳山市大字長穂1303 玄松子の記憶
二所山田神社「天照大神、豐受毘賣神、大國主神、八千矛神」山口県都濃郡鹿野町大字鹿野上2894 玄松子の記憶
二所山田神社の由緒 当神社は明治40年(1907)8月、二所大明神と山田権前社を合せ祀り、社号を 二所山田神社と改称したお社で、旧郷社であります。二所大明神は、昌泰2年(89 9)に鎮座され、旧毛利藩時代は、御祈祷所の格に列せられていました。山田権前社 は、天治2年(1125)伊勢国(三重県)山田郷より御勧進申しあげ建立されたお 社であります。従って二所山田神社は伊勢の内宮、外宮の大神様と出雲大社の神様が 合わせ祀ってあるわけです。 |