兵主神社
兵庫県丹波市春日町黒井2967 ゼンリン

鳥居

交通案内
JR黒井駅北1.5km


祭神
大己貴大神、少名彦大神、天香山神 合祀 惠比須大神


由緒

 境内の由緒を書く石碑に少名彦大神を少名持大神と記している。大己貴大神以外は明治初年以降に合祀された。境内には古墳があり古い聖地に造営された神社と見える。鉄鏃や馬具が出土している。武神を祀る神社に相応しい。
 社殿の北側の社叢の中に巨石が祀られている。古来から影向石と称されていた。大きい欅の根がこの大石を取り巻いていたいた。地中に入り、蚣竜の球をつかめるのはこのようなものかと『春日町史』に記載されている。欅は明治中期に枯れたと言う。欅は疱瘡の神であった。

扁額


お姿
 一の鳥居から二の鳥居まで100m程の参道が続く。
 扁額は内大臣藤原基前の直筆の寄贈と言う。文化十一年。1814年のこと。
 本殿は流造、彫刻も見事である。

社殿

本殿

影向石


お祭り
  10月 9日、10日  例祭

平成祭礼CD 御由緒


当神社は聖武天平十八年(七四六年)に兵庫の守護神として鎮祭され、延長五年(九二七年)撰進「延喜式神名帳」によると兵主神社は全国に十九社あり、丹波國一社として登載された「式内社」であります。 公家武家丹波但馬播磨等をはじめ各地の人々の崇敬厚く、特に戦国時代からは疱瘡の守護神として主上御疱瘡の時、または皇子誕生の際には内侍局より御代参を立てられました。近衛関白家は代々崇敬厚く、左大臣近衛信尹は外戚の縁により慶長十年五月二十六日心願の為参拝、神前に「祈るかひあるにつけても藤原にかかる契りや春日部の郷」の歌を献詠、数多の寄進をされております。
 その時の行列は、「御長刀一振、御供廻り刀さし八人、立笠一、都合十人、台傘一、挾箱二、鳥篭二、竹馬一荷」であったといわれております。
 文化十一年、内大臣近衛基前は自筆の鳥居額「兵主社」を寄進されましたが、その時京都より沿道の住民が人夫になって御供をしました。
 また嘉永二年、近衛忠熈は其子忠房の疱瘡安全祈願を行い、程なく全快され、その報賽として種々の献上物があり、今に神社宝物として保存されております。
以上


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