土佐国:21座 大1小20



安藝郡[アキ]:3座並小

室津神社[ムロツ]
室津神社[むろつ]「天津彦根命」高知県室戸市室津字船久保3241 玄松子の記憶

多氣神社[タケ]
多気・坂本神社[たけ・さかもと]「武内宿禰(多気神社)、葛城襲津彦命(坂本神社)」
由来書
当社の御祭神は、多気(たけ)神社は武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)で 坂本神社は、葛城襲津彦命(かづらぎのそつたのみこと)である。
共に延喜式内社であり両者は宝永の頃に合祀りされたと伝えられる。
延喜式内社とは、醍醐天皇の御世撰上された延喜式神名帳に登載される古社の事であ る。武内宿禰袮命は第八代孝元天皇の御孫にして、永く朝政に参興し、樞機に興り、 其の歴任は実に景行、成務、仲哀、應神、仁徳、の五朝の久しきにわたり長寿の仁と 称さる。又御懐妊中の神功皇后を補佐し、應神天皇の御養育につとめられた事は、今 も人口に膾炙されている。葛城襲津彦命は、武内宿袮命の御子である。
仁徳天皇の御製に、魂きはる宇智の吾兄汝こそは世の長人そらみつやまとの國にかり こむと聞くやと、御言葉があるによっても、長命であった事がうかがわれる。葛城襲 津彦命も武内宿禰袮命の御遺徳をつがれよく仁政を補弼された。命の息女、磐之媛は 履中、反正、允恭、各天皇の御生母である。ご祭神の子孫は蘇我氏であり、其の一族 布師臣、坂本臣、等が土佐の國にも点住し各地を開発し文化をひろめ産業をおこし租 神を奉齋して地域の守護神として祀った。一千有余年の鎮守の森は現在奈半利郷分七 ヶ部落の総氏神であり、延喜の古社のご神徳は広く内外からの崇敬を多しとしている。
「神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う」と云う。産業、文化 、延命長寿、安産育成。数々のご威徳は此の地に参ずる人々の、悪を抜い寿を増し命 を延べてご守護下さる。遠い遠い古代から神人共に生きぬき尚永久に続く信仰の有難 さは、何ものにも増して強く清く尊いものである。
伝説、土佐の國の古名を建依別と云う、多気神社は土佐の國の國魂であろう「讃岐國 宮社考」神武天皇の御東征は日向から瀬戸内海を通過されたと歴史上の通説になって いる。しかし天皇の御通路は瀬戸内海ではなく土佐の沿岸だといわれる、日向から高 岡郡宇佐に着かれて安芸の多祁理の宮(多気神社鎮座地)に御滞在になり、諸準備を 整え阿波を経て、やまとに向かわれたと伝えられる。「古事記に」阿岐國之多祁理宮 七年坐と記す。広島県安芸郡府中に多家神社あり。
古事記に匂う、安芸の地名や多気の御社名と共に、古代の人々が神武天皇ゆかりの伝 説を今に伝えてくれし事に、云いしれぬ心の温もりを感ず。
高知県安芸郡奈半利町字広岡3855 玄松子の記憶

坂本神社[サカモト]
多気・坂本神社 前掲


香美郡[カゝミ]:4座並小

天忍穂別神社[アメオシホワケ]
天忍穂別神社[あまのおしほわけ]「天忍穗別神 配 饒速日尊」高知県香美郡香我美町大字山川字スミカサコ 玄松子の記憶

小松神社[コマツ]
小松神社「天御中主神」高知県香美郡物部村大字別役字宮ノ谷245 玄松子の記憶

深淵神社[フカフチ]
深淵神社[ふかぶち]「深淵水夜禮花命」高知県香美郡野市町西野字へノ丸 玄松子の記憶

大川上美良布神社[オホカハカミノミラフ] 
大川上美良布神社[おおかわかみびらふ]「大田田根子神 配 大物主神、活依比賣神、陶津耳神、櫛御方神、飯肩巣見神、美良比神、建甕槌神」高知県香美郡香北町韮生野1202 玄松子の記憶


長岡郡[ナカオカ]:5座並小

豊岡上天神社[トヨオカノ・・]
豊岡上天神社[とよがみてん]「豐受姫命」高知県南国市岡豊町常通寺島字天神丸619 玄松子の記憶

朝峯神社[アサミネ]
朝峯神社[あさみね]「木花佐久夜姫命」
当社は、秀麗なる介良富士の麓に鎮座し主神サクヤ姫は絶世の美女神で不二の名にち なんでいる。霊峰富士山(静岡県)の本宮浅間神社より年代はわからねど、勧請され た宮で御祭神も同一なり。三代実録や延喜式名帳に所載の神社で土佐の国、延喜式内 廿一社の一つなり。近古長宗我部氏も尊信厚く神領田五十余ケを寄進せらる。又、藩 主山内家祈願所八社の一つにして貞万葉集古義の鹿持雅澄も歌を奉納す。安産、酒造 、農耕、養蚕、山火鎮護等、天孫ニニギノ命と結婚し一夜で妊娠し、出産の時産屋に 火をつけて燃えさかる火の中で三子を無事生んだ。火照命(海幸彦)火須勢理命、火 遠理命(山幸彦)その事を父親大山祇神が聞き喜び天甜酒(あめのたむざけ)を造り お祝いをする。サクヤ姫も酒造りが好きで、父が酒理解神である故、サクヤ姫は酒解 子神といふ。
高知県高知市介良1927 玄松子の記憶

殖田神社[ウヘタ]
殖田神社[うえた]「阿遲高日子根命」
植田部落の東方にある。延喜式内社、土佐国二十一の内の一社。旧郷社。 祭神は阿遅鋤高日子根神。古くは植田神社(土佐州郡志)、高賀茂大明神(南路志) とも称した。
創祀年代未詳であるが、当地は「和名抄」長岡郡条に見える植田郷の中心地で加茂氏 が居住していたと考えられる。したがって当社も加茂氏によって奉斎されたものと思 われる。「土佐国式社考」によれば、植田神は味鋤高彦根尊のことで、土佐国一の宮 (現土佐神社,高知市一宮)の祭神と同神であると考えられる。「三大実録」貞観八 年五月二十二日条で、「植田神」として従五位下から従五位上に昇叙した。「延喜式 」神明帳には、南国市には、「植田神社」の外に「豊岡上天神社」「小野神社」「石 土神社」がある。天正十六年の植田本村地検帳に「加茂大明神」とあり、「松木林ア リ」と注記される。現在は終戦後に檜が植えられている。
高知県南国市植田字東野1267 玄松子の記憶

小野神社[ヲノ]
小野神社「天足彦國押人命」高知県南国市岡豊町小蓮字宮ノ前1189 玄松子の記憶

石土神社[イハツチ]
石土神社「磐土神、赤土神、底土神」 石土神とも言われ、伊予の石槌神社の奥宮と伝えられる。高知県南国市阿戸字石土4327 玄松子の記憶


土佐郡[トサ]:5座大1小4

都佐坐神社[トサノ・](大)
土佐神社「味高彦根神」
土佐神社参拝の栞
大国主命の御子であらせらせ、御称名も数多く土佐にます神、土佐高加茂大社・高加 茂大明神などとも称えまつり日本書記によれば、創建年代は遠く上古時代とも言われ ます。とくに皇室の御崇敬あつく勅使の参向もしばしば有り、平安時代、朱雀天皇の 御代・天慶三年(世紀940年)には神階を正一位に進ませられ、土佐の国総鎮守一 の宮として当時は武門の崇敬厚く室町時代、正親町天皇の御代・元亀元年(世紀15 70年)には長宗我部元親が本殿・幣殿・拝殿を再興し安土桃山時代、後陽成天皇の 御代・慶長六年(世紀1601年)には山内一豊、封をこの地に享けるとともに以前 の社領を免許し、二代忠義に至って摂社・末社を始め、鳥居・桜門・鼓桜を増築して 土佐の国、最上の祈願所としました。延喜の制が布告された平安時代、後醍醐天皇の 御代(世紀901〜923年)には大社に列せられ、明治四年(世紀1871年)土 佐神社と称して格を国幣社に列し、戦後昭和二十一年(世紀1946年)には永年つ づいた神社制度は終わりを告げて宗教法人になりました。
一言主神が土佐へ流されているが、この神と味耜高彦根神とを同一視を示唆する古典もある。高賀茂の神については大和葛城の神社でも混乱がある。高知県高知市一宮2499 玄松子の記憶

葛木男神社[カツラキオ]
葛木男神社
延喜式内社葛木男神社
勧請年月日縁起沿革等は未詳であるが第六十代醍醐天皇延喜七年(皇紀1567年) 神祇官の延喜式神明帳に登録せられた延喜式内社で土佐国二十一座の一である。
古来より布師田の総鎮守で中古高結大明神と称す。 「度会氏曰く「姓氏録云葛木直高魂命五世孫剣根命後也鎮魂祭伯結木綿取此義魂字訓 牟須比」
即ち葛城氏は高皇産霊神五世孫剣根命の後裔布師臣武内宿禰の男葛城襲津彦命を祖と する葛城氏族は布師としての仕事を営む傍ら生活の糧を得るため、布師田の原始林を 開拓し永住の地と定め太祖高皇産霊神を氏神として奉祀したものである。
近世は布師田金山城主源重信も太祖神を斎き祭りしものである。
布師田は布師の人の住む里なるが故に布師と号け昔より田地の多い処なるが故に布師 田と唱え今の地名となりたりと伝えられる。
延喜式内社葛城襲津彦命妃命を奉祀する葛木・神社は社屋老朽化し昭和四十七年十二 月合祀しました。
「高皇産靈神 合 葛城襲津彦神、葛城襲津妃神」高知県高知市布師田字西谷宮ノ辺1358 玄松子の記憶

葛木神社[カツラキヒメ]
葛木男神社に合祀 前掲
葛木盗_社 高知県高知市布師田下附  玄松子の記憶
郡頭神社[コホリツ]
郡頭神社[こおりす]「大國主神」
かもべの大国様郡頭神社
延喜式巻第十(神祗十)神名下(南海道神)土佐国廿一座のひとつである。 『続日本紀』神護景雲二年十一月戌子の条に「土佐国土佐郡人神依田公名代等四十一 人賜姓加茂」とあり、『新撰姓氏録』に「鴨部祝賀茂朝臣同祖大国主神後也」とある ことからも加茂氏一族の当地に於ける繁栄と、大国主神を奉斎し崇敬したことがうか がわれる。
延喜式内社であった当社は、明治五年郷社に列し、昭和二十一年神社制度の変革によ り、神社本庁に所属し同年五月十七日宗教法人となった。
昭和五十六年五月二十七日、御社殿及び社務所が炎上したが、御神体間近まで燃え迫 った炎は自然に消え御神体は御安泰であった。更に、御神体に関する不思議な霊威は これにとどまらず、社務所神殿に安置された御分霊もあます所なく焼け落ちた廃拠に 無疵で御安泰。仮殿に遷座すべく奉仕した神職共あまりの神威の高さに慄然とした。
昭和五十八年より一年有半を経過した工事により、本殿、幣拝殿、社務所、神倉、境 内所設備等を再建新設した。
高知県高知市鴨部37 玄松子の記憶

朝倉神社[アサクラ] 
朝倉神社「天津羽羽神、天豐財重日足姫天皇」天津羽羽神は天石帆別神、天石門別神の御子。斉明天皇の御陵地は当社から3km西南の鵜来巣山にあるとされている。 高知県高知市朝倉丙2100 玄松子の記憶 朝倉神社夏祭りに見た絵金の屏風絵


吾川郡[アカハ]:1座小

天石門別安國玉主天神社[アマノイハトワケノヤスクニタマ]
天石門別安國玉主天神社[あまのいわとわけやすくにたまぬしてん]「天石門別安國玉主天神、高神」高知県吾川郡伊野町神谷755 玄松子の記憶
天石門別安國玉主天神社「天手力男命」高知県高岡郡越知町黒瀬1566 玄松子の記憶


幡多郡[ハタ]:3座並小

伊豆多神社[イツタ]
伊豆田神社[いずた]「?」高知県土佐清水市下ノ加江字西高知山3135 玄松子の記憶

高知坐神社[タカシリ・]
高知坐神社[たかちざ]「都味齒八重事代主神 配 大國主神、素盞嗚神」高知県宿毛市平田町戸内4233 玄松子の記憶

賀茂神社[カモ]
加茂神社「別雷神」高知県幡多郡大方町入野6930 玄松子の記憶


延喜式神名帳目次


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