桜山八幡宮
岐阜県高山市桜町178番地 its-mo

大鳥居

交通案内
高山駅から北東へ1.5km


祭神
應神天皇 配祀 熱田大神、香椎大神
摂社
秋葉神社「火結神」、照前神社「難波根子建振熊命」、稲荷神社「倉稻魂神 配祀 猿田彦神、松尾大神」、天満神社「菅原道眞」、琴平神社「大物主神、崇徳天皇 配祀 大穴牟遲神、少名毘古那神」

磐座 狂人岩



由緒
 秋の高山祭りは当社を中心に行われる。屋台と称する山車の小型が並ぶ。この中にはからくりの仕組みがあり、神前で奉納される。
 神社の摂社に照前神社があり、難波根子建振熊命を祭神としている。仁徳天皇の時代にこの地域にいた両面宿儺を討伐するべく派遣された。この時、先帝の応神天皇の霊を奉祀し、戦勝祈願を行った。
 聖武天皇と清和天皇の時代に諸国に八幡宮を祀ることが奨励され、この時に飛騨ではこの神域を八幡宮境内と定めて、社殿を整えた。

拝殿


お姿
 秋の高山祭りの範囲は狭い地域に多くの人々が集結するようだ。屋台の曳きそろえが行われ、夕刻には提灯が点灯して曳き別れが行われる。境内では布袋台のからくり奉納がある。

 狂人岩は神社・神域を汚す者がこの岩を触ると気が狂うと言われる。何となく触る気がしなかった。

本殿 拝殿の右側に見える。


お祭り
9月16日 例祭

摂社 照前神社

高山祭の屋台の曳き揃え

『平成祭礼データ』lから


飛騨国櫻山八幡宮

 創建は遠く仁徳天皇即位(三七七)の御代にさかのぼると伝えられる。当時飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という蛮勇豪猛の凶賊がおり、天皇の命に叛き猛威を振るい人民を脅かしていた。この両面宿儺討伐に、難波根子武振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)が朝廷より征討将軍に任命された。武振熊命は官軍を率いて飛騨国に入り、先帝(御父君)応神天皇の尊霊を奉祀し、戦勝祈願せられたのが桜山の神域であったといわれている。その後、聖武天皇の御世と清和天皇の御世に諸国に八幡宮が祀られたとき、飛騨ではこの神域を八幡宮境内と定め御社殿は整えられたといわれる。室町時代の大永年間、京都の石清水八幡宮を勧請し更に郷人の敬神思想は高められたが、その後戦乱の時代が続き一時荒廃していた。元和九年(一六二三)高山の領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡宮旧跡の桜山老杉の傍らに応神天皇の御神体として奉安し社殿を再興、神領を寄進し、高山の安川以北を氏子と定め、神事を管理高山府の総鎮守府とした。飛騨が天領となってからも、地域住民をはじめ代々の郡代の篤い崇敬を集めて興隆の一途を辿った。明治四年(一八七一)郷社に指定、同八年に高山の大火にあい、惜しくも秋葉社を除いてほとんど類焼したが、同三三年に御社殿を復興、昭和七年に県社に指定、同二六年に式年大祭再興、昭和四三年屋台会館完成、同五一年に総檜造りの本殿並びに拝殿・神門・瑞垣の御造営と神域は見違えるようになり、別表神社に加列、同五十五年社務所参集殿を改築、同五十六年五月飛騨国中三百余社の神社を招請して式年大祭を再興し今日に至る。当桜山八幡宮は、氏子崇敬者の信仰にささえられ、当神社の例祭は「秋の高山祭」として全国からの参拝者で賑い、年間を通じて百五十万人の参拝者がある。
   以上

公式桜山八幡宮
神奈備神社一覧中部北陸

神奈備にようこそ