養老神社
岐阜県養老郡養老町養老公園1288番地の1 mapfan

鳥居 社殿へは数百米。

交通案内
第三セクター鉄道養老線養老下車西側


祭神
元正天皇、聖武天皇 天照大神、菅原道眞
主祭神を菊理媛神とする意見もあるようだ。泉の名は菊水泉。

御旅所 元正天皇の行宮と言う。



由緒 
 創建年代は不詳。養老の滝にまつわる「孝子伝説」の源丞内縁の神社とされ、奈良時代養老年間以降(717〜)の創建と思われる。平安時代の『美濃国神明帳』には、「養老明神」と記載される。

 以下、『続日本紀』の記事。
 養老元年(717)八月、多治比眞人廣足を美濃國に派遣し、行宮を造らせた。現在御旅所になっている。
 同年九月、元正天皇は美濃國へ行幸。當耆郡に至り、多度山の美泉(菊水霊泉)に接した。10日間滞在。

 同年十一月、靈龜から養老への改元の詔があった。
 朕は今年九月、美濃國不破行宮へ行き、數日間留まり、當耆郡多度山の美泉に接し、手面は皮膚が滑らかになった。また痛い箇所につけるとなくなる。また、この水を飮む者は白髪が黒く戻り、髪がない者は生えてくる。目が見えない者は見えるようになり、歯痛は治る。老いを養う水の精である。
 昔の事と聞いているが、後漢の光武帝の時、泉が湧きだし、これを飮む者は、皆病気が治ったとある。
 天下の80歳以上の老人には、物を賜り、位を授ける。孝行を尽くす子を表彰する。

 元正天皇は、翌年にも美濃國の泉に行幸している。

 天平十二年(740)十一、聖武天皇も美濃國當伎郡に行幸している。

 謡曲「養老」と菊水泉
 元正天皇の御代、美濃国に貧しい男がいて、苦労しながら老いた父を養っていた。ある日、酒の香りがする泉を見つけ、男は喜んで毎日汲んで帰り、なお孝行に励んだ。うわさをお聞きになった天皇は、当地に行幸され、そして、めでたい泉の出現は孝養の徳のたまものとして、年号を「養老」と改められた。
 謡曲「養老」は、この伝説を基に作られたもので、孝養と長寿と平和をたたえた初能物です。謡曲では最後に裏山の山神が現れ、尽きない泉、尽きない平和の御代を願って舞います。
    謡曲史跡保存会

拝殿



お姿
 老人を大切に扱う平和な世の中のようだ。特に親孝行する者に格別の思いがある時代。後期高齢者医療保険制度は孝養をつくす子供達と老親を無理矢理切り離す愚作である。与党と役人は只酒を飲まずにここの水を飲め。  養老公園入口近くには養老寺が鎮座、国宝の木造十一面千手観音像が保管されている。鎌倉時代のもので、黒光りをしている。その手に持たしていた剣もあり、また徳川家康が寄進した太刀(国光)も保管されている。

 お寺から御旅所まではさほど遠くないが、御旅所から神社までには結構歩く。滝まではさらに遠い。

本殿


お祭り
 10月 8日 例祭

菊水霊泉


杖衝坂 海津市南濃町上野河戸605 mapfan


 『古事記』に「倭建尊が伊吹山で冷たい氷雨にあい、重病になり、養老山地の東側の伊勢街道を故郷大和へ帰る途中、このあたりが急な坂であったので重病の尊は、杖にすがってあえぎあえぎ登っていったので、「杖つき坂」と言うようになった。」と記している。四日市市にも同名の坂があるが、尊の帰路は 伊吹山 → 当芸(養老町) → 杖つき坂 → 尾津(多度町)とあり、四日市市では逆向きになる。

杖衝坂

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