羽曳野市野々上五丁目 its-mo
高野山真言宗に属する寺院で、本尊は薬師如来。 聖徳太子の創建と伝えられ、太子縁の河内三太子の一つである「中の太子」と呼ばれている。
ちなみに、「上の太子」は大阪府南河内郡太子町太の磯長山叡福寺、「下の太子」は八尾市太子堂の大聖勝軍寺。 一方、この地域に多い百済系渡来人の船史王後(ふねのふひとおうご)の創建とも伝わる。矛盾はしないのだろう。本堂の後ろに地蔵堂があり、前に半島系渡来人と思わせる石像がたっている。それほど古いものではなさそうだが。 創建時は竹内街道に面して南大門があった大きい寺院だったようで、境内に、塔の跡や金堂の跡などの飛鳥時代の伽藍配置の一部が国指定の史跡となっている。 この塔の心礎は大きな円の孔に半円形の支柱孔が三つ(花びら形)と舎利孔あいている珍しいもので、礎石そのものは亀の形に刻まれている。ようは亀に乗っているのである。明日香で、酒船石の下に亀石が発見されているが、道教の影響や神仙世界への憧憬が感じられる。同じように明日香の橘寺にも同じ花びら形の石礎が残っている。橘の花か実と葉のイメージかも知れない。
羽曳野市野々上622番地
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