国府遺跡 土師の里付近

弥生時代、今の大阪市から東大阪の大半は湖であった。河内湖である。 大和川は柏原市から北上し、河内湖に流れていた。大和への水路である。 藤井寺・羽曳野は港町でかつ大和への入り口の要所であった。古市古墳群の視点である。

 国府遺跡



 写真手前の石碑は「義侠熊日氏之碑」と刻まれている。
河内古市より国府までの南北5kmの洪積層台地の北端に位置する。大正年間の発掘で縄文土器、弥生土器とともに70余体の人骨が出土し、府下で代表的遺跡となった。 昭和33年旧石器が発掘され、この地は2万年前より人類が活動していた事が判明した。また神社祭祀跡、寺院、国府跡が発見され、複合遺跡である。 骨地(縄文屈葬人骨)、神の木(刃状石器)、惣社山(国府の鎮守跡)等が著名遺跡である。



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