題名:穴門山神社 名前:泊瀬女 日時:12/30(日)
穴門山神社:岡山県吉備郡真備町妹
式内社・穴門山神社を当社と前出の川上町のどちらに比定するか決めかねて、古くから議論が分かれるところであったとか。現在のところ、真備町の当社は川上町の穴門山神社から勧進された可能性が強いと云われているそうですが、素人にはどちらとも判断はつきません。
元伊勢伝承地、吉備国・名方浜宮 比定地
神社に向かう道の途中には遥拝所らしい赤い鳥居があったり、大神宮と彫ってある常夜灯もあります。鎮座地の高山(こうやま)は400メートル弱の山ですが、結構険しい山です。
この神社の横手には背後の山から押し出されてきたような大きな岩があり、参道にもゴツゴツした岩が露出して神秘的な雰囲気を感じます。
山奥の神社なのに、社殿や境内が荒れていないのは氏子の方々の篤い崇敬があるからでしょう。
題名:穴門山神社へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/31(月)
泊瀬女さん謝。川上町高山市の方は鍾乳洞に神が坐す,真備町大字妹の方は磐座に神が坐す,と言うどちらも古い聖地だったのですね。社名が穴門山だから鍾乳洞に軍配があがったと言うことです。
題名:神体山遥拝所 名前:ZOU 日時:12/30(日)
大神神社は三輪山を神体としているとかいいながら、実は拝殿からは三輪山は見えません。拝殿後ろに木が繁りまくっているためなんですが・・(^_^;)
上は、知る限り唯一の三輪山が拝める場所です。
久延彦神社境内から。
題名:神体山遥拝所へのコメント投稿 名前:玄松子 日時:12/30(日)
三輪山全体が神体ですよね。小銭出せば誰でも登れる山頂ではなく、拝殿後ろの禁足地こそ、と思うのですが。違います?
題名:神体山遥拝所へのコメント投稿 名前:ZOU 日時:12/30(日)
玄松子さんの言われるとおりだと思います。禁足地には奥津磐坐以上に重要な何かがあるのかもしれませんね。見に行ってみたいものです。
題名:神体山遥拝所へのコメント投稿 名前:玄松子 日時:12/31(月)
何かがあるのかもしれませんが、繁っている草木の一本一本、石ころの一個一個がご神体だと思いますよ。
題名:穴門山神社 名前:泊瀬女 日時:12/29(土)
穴門山神社:岡山県川上郡川上町高山市(こうやまいち)
JR伯備線・備中高梁から地頭までバスで約30分、そこからは公共の交通手段はない。高山市から川上町へ病院に通うためのバス便が週に2往復。この神社へ行くのは諦めようと思っていましたが、問い合わせをした川上町役場の人がとても親切に計らってくれて、思い切って行ってみることにしました。地頭からはタクシーを頼みました。
元伊勢伝承地、吉備国・名方浜宮 比定地
深い山の中の谷間に神門がポツンとあり「エーッ!これを登るのォ〜」と叫んでしまうほどの高い石垣がそびえています。写真は石段の途中から撮ったもので、上にちょっと見えているのは拝殿の軒先。
社殿は江戸時代初期の再建とのことで、風化しているけれど精緻な彫刻が施され、かすかに朱色や緑色の彩色が残っていて再建当時は桃山風の華麗な建築だったことが見てとれます。社殿の背後は絶壁、左には鍾乳洞があり、この鍾乳洞の奥に豊鍬入姫が神鏡を安置したとの伝承があるとか。こんな山奥の神社が名方浜宮かと疑問に思いますが、清冽の気が満ちた神社です。無理しても行って良かった。
題名:穴門山神社へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/29(土)
ずいぶん奥の方まで行かれたんですね。参詣の道中が大変ですと,神社の印象もそれに比例するように感じます。この神社の摂社に何と!丸石神社の名前が見いだせます。大己貴命を祭神としています。
題名:穴門山神社へのコメント投稿 名前:泊瀬女 日時:12/29(土)
本殿左手の鍾乳洞入口の外側と内側に小祠が一つずつあり、本殿の右手に四つ大きめの祠が並んでいました。ひとつひとつ覗いてみたのですが、神名などが書いてないので何がなにやら分かりませんでした。
題名:穴門山神社へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/29(土)
摂社の名前、神社それぞれですね。丸石神社を見つけたらチョイト開けて見たりして。
題名:教えてー 名前:こうたろう 日時:12/28(金)
はじめまして みなさん私22歳の針灸師でございます このたび日本の伝統をしりたくて一ノ宮参りを始めました そこで質問まず新一ノ宮ではない昔からの一ノ宮にいきたいのですがわからないのです よかったら情報ください六十八社らしいのですが
題名:教えてーへのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/28(金)
門岡 淳さんの自転車ツーリングの諸国一宮一覧 http://homepage1.nifty.com/kadooka/plesure/theme/ichinomiya.html
全国 一の宮会 http://www.ichinomiya.gr.jp/ などをご覧下さい。
題名:三林の春日神社境内の穂椋神社 名前:神奈備 日時:12/28(金)
穂椋神社は上流の三林(ミバヤシ)の春日神社に合祀されていますので,ここへ参詣し,小倉山を尋ねて見たのですが、宮司さんも禰宣さんもご存じないようでした。この春日神社は和田から三林に続く春日山の南端に鎮座し,春日山から西に向かって長く、森の分厚い参道が通じていました。式内社を合祀してしまう程の大きい神社で,三林の集落も大きい家が多く、豊かそうに見えました。
題名:穂椋神社の跡に創建か?金刀比羅神社 名前:神奈備 日時:12/28(金)
念のため穂椋神社の元の場所の和田周辺の地形の確認に行ってきました。
和田には4つの山があり,実は小倉山と言う山は地元の古手の方々もご存じないようでした。ひとつの山には金刀比羅神社と金精神社(稲荷)が鎮座しており,この頂上に登ったのですが,磐座らしき片鱗もありませんでした。この辺の山の断面なんかを見てもあまり岩は見られません。秀磐説も苦しいかも。
題名:神明神社 名前:泊瀬女 日時:12/24(月)
神明神社:総社市福井
「備中風土記逸文」に賀陽の郡伊勢御神の社・・・との記載があるという。この伊勢御神の社を名方浜宮とする説があり「神祇志料」によると、総社市福井の神明神社のことであり、現在は総社に合祀されている・・・という資料の記述により探しに行ってみました。
元伊勢伝承地、吉備国・名方浜宮 比定地?
備中総社宮の北1キロ弱の田圃や畑が広がる中にポツンと小さなお社がありました。入口が分からなくて、畑仕事をしていたおばあさんに聞いたら、私の手を取って案内してくれました。お社は木目が浮き出て古びていましたが、狭い境内は掃除が行き届いています。流れ造りの小さな社殿の扉を開けて見せてくれました。着物の残り布で作ったと思われる帳、御幣が奉られお米と塩が供えられていてお榊には野菊が添えてありました。近所の5軒のお家でお守りしているのだそうです。
「このお社は古いんでしょ?」と聞くと、80歳のおばあさんは「私が子供の頃にはあったからね、100年はたっているだろうね」って。「ン?」。おばあさんはこの神社の謂れは知らないようです。
「昔は皆でここに集まってお祭りをしたねェ」と遠くを見るような表情をしました。お礼を言って帰る私をいつまでも見送ってくれたおばあさんの姿が夕陽に滲んで見えました。私はなぜか涙ぐんでいたのです。
平成21年6月18日 神明神社についてのメールを頂きましたので、掲載します。
吉備国・名方浜宮の比定地とされている神明神社についての
現在情報をお送りいたします。
現在、岡山県総社市福井字神明240番地の神明神社を祭
っている者ですが、HP上で総社に合祀されていると表示されておりますが、実際には合祀されておりません。
近所の神社の宮司さんが、御神体の鏡を持って帰られたということで、ご近所のお年寄りが合祀されたと思ってしまった様です。
私の先祖がここに住み着いてから、ずっと祭っていた一族ですが、
この土地から70年くらい離れておりました。が、2年前から再びお祭りを始めました。
現在は宗教法人 神明神社として法人登記もしてますし、県庁のほうからも認可されて、ほそぼそと活動を続けております。
題名:神明神社へのコメント投稿 名前:香具 日時:12/24(月)
総社市の先輩達は『YES』というとき『そうじゃ』と連発していました。(ホントに真面目な話しですヨ。とても印象に残っています。)
題名:笛吹大明神 名前:神奈備 日時:12/24(月)
みえこさん 小夫天神社ありがとうございます。広場と拝殿,本殿の石垣,滝蔵神社に似ている雰囲気ですね。
小夫天神社に天照大神を先導したと言う猿田彦命神の降臨の地とされる笛吹大明神の地をアップします。男の石、女の石,赤子の石があると聞いていましたが,どれがどれか分からないほど磐が多い所で、美味しい水がわき出していました。
このあたりの山は磐舟と言われ、鳥居の前の橋は磐橋と言うようです。
題名:笛吹大明神へのコメント投稿 名前:みえこ 日時:12/27(木)
; 滝蔵神社は長谷寺の奥の院といわれてきたそうですね。長谷寺といえば、天照大神の御神像がありましたよね。ほんに桜井市って、興味深いところがいっぱいですね。
題名:小夫天神社@わたしの見た目 名前:みえこ 日時:12/24(月)
瀬藤さん、昨日はどうもありがとうございました。
さて、時間差で出かけました「小夫天神社」の写真をアップさせてくださいませ。天神社では、ちょうど地元の方々のお祓い(?)にかち合い、拝殿前で参拝はできなかったのですが、大切にお祭りされている印象を受けました。境内にいらした、スピッツ連れ@地元のおぢさんに次へ向かう予定の「滝蔵神社」への道を尋ねたところ、とても丁寧に教えていただきましたし♪小夫天神社の印象は、とてもよかったのでした。(^^)
また、機会がありましたら、遊んでやってくださいませ〜。
興味深いお話をいろいろ伺う事ができて、とても勉強になりました。
本当に楽しい時間、ありがとうございました。(*^_^*)
題名:その日は早起きして・・ 名前:ZOU 日時:12/24(月)
冬至の日は曇りだったので、次の日(12/23)に、奈良県田原本町石見の「鏡作神社」付近から見た三輪山の日の出です。
さて、Setohさん、KAGさん、予定の調整に関してご迷惑をおかけしました。そのほかの皆様方にも、夜遅くまでお手数をおかけしました。どうもありがとうございます。
神社の周囲は住宅地になっていて見通しが悪いので、神社から約300m東の場所から見ました。結果として位置や日程を修正してしまったかもしれません。
ほぼ山頂からの日の出を見ることができました。良い画像じゃなくて申し訳ないんですけどぉ<(__)>
三輪の夜はあんなところです。また遊んだって下さいね。では(^^)/
題名:その日は早起きして・・へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/24(月)
; ZOUさん お世話になりました。石見の「鏡作神社」の早朝、ありがとうございます。
題名:小幡神社 名前:マルヤ 日時:12/24(月)
さすがは神奈備さん、この掲示板は斬新ですね。
神社名:小幡神社
以前にSetohさんにお聞きして訪ねたのですが、忘れられない神社となりました。その時点では神功皇后、アメノヒボコにゆかりの神社としか思わずに参拝したからです。
祭 神:開化天皇
所在地:亀岡市曽我部町穴太字宮垣内
三人の上田性の有名人にゆかりあり。
●上田主水(円山応挙)
●上田喜三郎(出口王仁三郎)
●上田正昭(現役の歴史学者、元京大教授)
この神社は、出口王仁三郎が初めて神から啓示を受けたという産土神です。また円山応挙の産土神でもあります。それで応挙自筆の絵馬が今も大事に保存されていますが、驚いたのは、この神社の宮司さんは上田正昭先生でした。
新しく建設された大阪中央図書館の名誉館長に氏がなられ、記念著作展を開かれた初日にお会いしていたからです。
そんな訳で印象深い神社です。
題名:小幡神社へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/24(月)
マルヤさん ありがとうございます。穴太と言う字の名が光りますね。
題名:小幡神社へのコメント投稿 名前:マルヤ 日時:12/24(月)
アナオは採鉱穴と見て、やはり金属精錬に大いに関係ありということでしょうか?この穴には興味津々。
題名:今伊勢内宮外宮 名前:泊瀬女 日時:12/22(土)
今伊勢内宮外宮:福山市神村
元伊勢伝承地としては一番西になるのでは・・・
元伊勢伝承地、吉備国・名方浜宮 伝承地
写真は神社入口、すぐ前をJR山陽本線と国道2号線が通っています。
つまり参道の途中を線路と道路が横切っている訳。鎮座地の山は鏡山、石段を少しあがった所に外宮があり、さらに登ると内宮。境内には荒祭宮、伊蘇宮、伊雑宮、風宮が奉斎されていて、内宮後方の山中に多賀神社まであるらしい。
外宮は西向き、内宮は北向きでした。国道2号線を通る路線バスが西にも東にも1時間に1本程度しかなく、バス待ちの時間を神社の石段に腰掛けてボーっとしてました。何だかとても幸せな気分でしたね。
題名:今伊勢内宮外宮へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/24(月)
泊瀬女さん 着々と元伊勢探訪おすすみですね。 この神社と神宮の内宮とは北緯34度27分で東西に並んでいるとか。
題名:内宮 名前:泊瀬女 日時:12/22(土)
元伊勢伝承地、吉備国・名方浜宮の比定地、内宮(ないくう)です。
岡山市浜野1−3−8
岡山市街の南、市内を流れる旭川の西岸、河口に近い場所に鎮座しています。周りは岡山製紙など工場が多く、ちょっと分かりにくい。
現在の位置は天正9年(1581年)に遷座されたとのこと。それ以前は現在地のやや南の字神明という場所にあったそうで、当時は海岸だったのではないかと想像されます。
拝殿の脇に青いシートに覆われているのは、伊勢神宮のご遷宮の際に解体された旧神殿の古材。
この材木は内宮の本殿の修理に使われるとのこと。古材といえども、伊勢神宮の神殿だった神聖な材木。こっそり触ってきてしまいました。
題名:内宮へのコメント投稿
名前:神奈備 日時:12/22(土)
; 旧社地の近くには檜原の真名古池とよく似た地名があるとか。
題名:内宮へのコメント投稿
名前:泊瀬女 日時:12/22(土)
; 神社でいただいた由緒によると、旧社地付近に神楽田・京田・真名古田・真名板田・釜原・楽庁の古名があり広壮な社だったことが推知される、とあります。
題名:伊勢神社 名前:泊瀬女 日時:12/20(木)
パソコンが使いこなせないため、画像を送ることができず、四苦八苦のあげく送信に3回も失敗しました。今度は送れるか???
伊勢神社:岡山市番町2−11−20
元伊勢伝承地、吉備国・名方浜宮(なかたのはまのみや)比定地のひとつです。岡山の繁華街の北、市内を流れる旭川の西岸に鎮座します。後楽園までは徒歩10分ほど。
本殿の屋根の千木は向かって右が外そぎ(垂直)、左が内そぎ(水平)という珍しい様式です。
題名:伊勢神社へのコメント投稿
名前:神奈備 日時:12/21(金)
; 泊瀬女さん、おめでとうございます。珍しい千木なんですね。
題名:伊勢神社へのコメント投稿
名前:玄松子 日時:12/21(金)
; 内宮が内削、外宮が外削なので、両宮を祀っているのでしょうね。
題名:伊勢神社へのコメント投稿
名前:香具 日時:12/21(金)
; 岡山の伊勢神社とはここだったのですか!ノンカミ時代が懐かしい、青春の旭川です。思い出すきっかけを有難うございます。
題名:伊勢神社へのコメント投稿
名前:神奈備 日時:12/22(土)
; 岡山県の他の伊勢神社 山陽町穂崎、瀬戸町笹岡、和気町保曽、奈義町荒内
題名:鎮女池の市杵島姫・夜 名前:ZOU 日時:12/18(火)
Setohさんこんにちは。
ここは大神神社摂社狭井神社の傍です。
夜三輪のうちでもここは妙に近寄りがたい威圧感を感じる場所です。
題名:鎮女池の市杵島姫・夜へのコメント投稿
名前:神奈備 日時:12/18(火)
ZOUさん 御投稿ありがとうございます。この前鎮女池を通りましたが,あたしゃドカンで・・
題名:熊野本宮大社末社 真名井社 名前:そま 日時:12/17(月)
*神奈備さんみなさんこんにちわ、そまと申します。(^^)ROMはさせていただいていましたけれど、投稿ははじめてです、宜しくお願い致します。
こちらの掲示板、お酒の神様のお話し→水の神様のお話しと続いておられるので、熊野に住む私からは御神水の湧く「真名井社」を。(^^)御祭神は天村雲命、毎春の例大祭で、御神輿が立ち寄る所です。地元では閼伽井さんと言われています。最近、石積がリニューアルしました。
題名:熊野本宮大社末社 真名井社へのコメント投稿
名前:神奈備 日時:12/17(月)
熊野の「そま」さん ありがとうございます。本宮の境内ですか。大斎原ですか。
題名:熊野本宮大社末社 真名井社へのコメント投稿
名前:そま 日時:12/17(月)
場所は境外で、JRバス熊野本宮駅の前の311号線を少しだけ湯の峰方面に行った所の左手です。お祭りでは大社からここ迄御神輿が進み、その後旧社に行きます。1月7日の八咫烏神事ではここの水が汲まれます。
題名:都留伎神社 名前:神奈備 日時:12/16(日)
奈良県磯城郡川西町結崎
石上神宮の南の竹之内峠の西のラインに鎮座。
社前の石灯籠に「鶴木」の文字、この「ツル」は人名で,中村垣内領内に長田池を堀り,その功績で神として祭られたと伝わる。
また寺川堤に隣村の承諾なしに用水の桶を伏せ、捕らわれて牢死したので,中村垣内のために犠牲となったのを痛み、ツルギさんの屋敷跡に神社を建てたという伝説もある。
一帯は砂地、大和平野では開発の遅れた所、畑の風景の一角に鎮座、いかにも「水」への執念の土地に思われる。
題名:松尾大社 名前:suseri 日時:12/16(日)
こんにちわ♪ 瀬藤さん、みなさん。(^^)
みえこと申します。投稿は、はじめましてです。
どうぞ、よろしくお願いします。
先日、京都は嵐山の「松尾大社」にお参りに行きました。
ご祭神さんは 大山咋神・市杵島姫命。
京都最古の神社、太古西山山麓一帯の住民が、生活の守護神として松尾山の神霊を大杉谷の上部の磐坐に奉祀したのが起源とか。
5.6世紀頃、秦氏が新羅からこの地に移住し、山城・丹後の国を開拓、農産業を興し、松尾山の神を氏族の総氏神として崇敬するに至ったとか。源頼朝はじめ、足利尊氏などの武家さんの崇敬も厚いとか。
お酒の神さまですねぇ、御神酒はちょっと辛口でした。
(^_^)
題名:松尾大社へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/15(土)
みえこさん ご投稿ありがとうございます。カ○○ケの苦手な管理人でした。
題名:沼名前神社 名前:玄松子 日時:12/14(金)
試しに投稿。
広島県福山市の、旧国幣小社・沼名前神社。
八月の初旬、早朝の参拝で、境内に入った頃、ぞろぞろと近所の方々が帰るところでした。ラジオ体操してたようですね。
題名:沼名前神社へのコメント投稿 名前:玄松子 日時:12/14(金)
「ぬなくまじんじゃ」と読みます。
題名:沼名前神社へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:12/15(土)
玄松子さん ご投稿ありがとうございます。
題名:余計な補足 名前:神奈備 日時:12/15(土)
沼名前(ぬなくま)神社の由緒を『平成祭礼データ』から
祭神 大綿津見命、須佐之男命
由緒 神功皇后西国へ御下向の際、船をこの浦に寄せられた時、海中より尺余の霊石を得たので神璽として斎場を設け、大綿津見命を祀られ、海路の安全と戦勝を祈られたのが当社の創祀と伝える。
もと渡守(わたす)の辻に鎮座したが、慶長四年(一五九九)火災により焼失し、福島正則が後地麻の谷に祇園社と並べて再建、承応二年(一六五三)福山城主水野勝俊夫人が本殿を修造、さらに貞享二年(一六八五)草の谷に社地を遷して社殿を新築した。
当時は渡守大明神と称したが、明治九年、祇園社本殿へ大綿津見命を遷座し、祇園社の須佐之男命を相殿神とし、祇園社の社号を廃して沼名前神社と以降は専称する。当社は延喜式内社であり、明治四年、国幣小社に列格した。(中略)
昭和五十年、火災により社殿を焼失し、同五十五年に現社殿を再建した。なお、境内にある能舞台は、京都伏見城内にあったものを福山城主水野勝成が拝領し、万治年中(一六五八−六一)に当社に寄進したものであって、重要文化財に指定されている。
題名:御香宮神社 京都市伏見区 名前:神奈備 日時:12/14(金)
表門は伏見城の大手門。
題名:御香宮神社 京都市伏見区
名前:神奈備 日時:12/14(金)
ごこうのみや。ごこんさんと呼ばれる。伏見はお酒の産地、伏見七名水の一の石井の御香水に社名はちなむ。清水が出る前は御諸神社(みもろ)と称したとか。地下150mから汲み上げた清水がいただける。祭神は神功皇后ほか。
本殿は五間社流造,檜皮葺き,極彩色。
表門は伏見城の大手門。
安産の神様として著名,父と娘、母と娘ずれの参詣客が目立った。