神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成十五年 一月
 投稿者の敬称は略します


題名: 百足のお使い: 02/11 投稿者:みえこ

先日、信貴山〜大柳生へと詣りました。これは、信貴山は毘沙門天王の本堂正面扁額です。両側のムカデは、毘沙門天さんのお使いだそうで。大柳生には「多聞神社」とゆ〜のがありました。ご祭神は八柱神ですけれど、多聞(毘沙門天)ですって。
これからムカデを見つけても、殺生しないように気をつけなければ…と思った次第です。


題名:下記書きこみに関連しまして: 02/10 投稿者:ZOU

小川光三氏の「大和の原像」では、桜井市芝の春日神社が重要と見ているわけですが、この春日さんは西暦1700年代に建てられたようです。で、九日社の由緒がどこまでさかのぼるのかは今のところ知りませんが、小川光三氏が芝の春日神社に対して考えたことは、ひょっとしたら九日社に当てはまるのではないかと・・・ まあ私の方も思いつきの想像です。まゆに唾をつけてくださいね(^_^;)

画像は芝の春日神社&そこから見た三輪山です。


題名:コメント投稿 名前:ZOU 日時:02.17
國津神社拝見しました。名前まで出していただいて恐縮しておりますm(__)m
さて、芝の春日神社については、小川光三氏の「大和の原像」P100に記述されていますが・・・
少し補足です。
『奈良県史5:神社』によりますと、「宝永2年(1705)織田藩陣屋の移転に伴って、戒重から遷座したと伝える」とのことでした。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:02.17
ZOUさん ありがとうございます。
三輪山付近の神社は山を背にする西向きが多いのでは。
九日神社は東向き、どうやら春日神社もそのようですね。
箸中の国津神社はどっち向きなんでしょうかね。
題名:コメント投稿 名前:ZOU 日時:02.18
箸中の国津神社は南向きでした。三輪近辺の神社は三輪山に背を向けているのが多いみたいですね。味間の須賀神社も西向きです。玉烈神社は南向き。曳田神社はどうなんでしょうか。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:02.18
曳田神社は山を背にしています。
上賀茂神社の祠の背後の板が元々なかったようで、拝む人は祠を通じて山に坐る神を拝むと言うスタイルだった。
祠が山を向いている場合、山に坐る神の眷属神となるのでしょうかね。

題名:Re:あさひ と 呉服神社の神紋: 02/08 投稿者:神奈備

ZOUさん 思いつきへのまじめな応答ありがとうございます。
九日では 旧出雲国 秋鹿郡 に鎮座の 多藝神社の摂社で
九日田荒神(くにちでんこうじん)祭神不詳 がありました。

 全然無関係な話ですが、池田市室町の呉服神社の神紋です。クレハ。
恵比須神と呉の組み合わせ。
室町と言うのが面白い。和服では京都の室町が有名です。


題名: あさひ: 02/07 投稿者:ZOU

九日はまさに旭であり朝日ですね。例の三輪山頂より右手中腹の突出台地が、写真では電信柱のあたりです。九日社からの春分秋分の朝日が、その台地のあたりから上るのであればたいへん面白いです。
九個の太陽の話は射日神話ですね。冬至の太陽を射ぬく巨大な三輪の矢も突出台地が基準らしく、大神神社拝殿が禁足地越しに向かっているのもその台地です。台地は三輪の蛇神の尻尾または男根かもしれません。
神奈備さん、示唆的なご意見をありがとうございます。あれこれとシンクロさせて考えたくなります。三輪山がハゲ山ならもっといろいろなことが考えられるのにと思うのはワガママでしょうねえ。なんとしても九日社からの春分秋分の日の出を見たくなってきました。

題名: 國津神社(九日神社): 02/05 投稿者:ZOU

みえこさんの「ななかまど」の記事を参考にして行ってきました。
http://www1.kcn.ne.jp/~suseri/9niti.html
紹介されていた通り、石燈籠や手水鉢には「九日社」と刻まれていました。「くじつ」または「くにち」神社でしょうか。

小川光三氏の「大和の原像」によれば、桜井市芝の春日神社にはじまり次に多神社が三輪山の山頂から真西に並ぶとのことです。実はもっと何社もありまして、「ミニ太陽の道」とも呼べるラインを作っているみたいです。で、この九日社は、芝の春日神社のすぐ東わずか200mほどの場所にあり、これこそが三輪山頂から西に並ぶ神社群の起点になるのかも、と想像したくなります。いわくありげな陽石がありました。千数百年も前からあったとは思えませんが、ここが重要な場所だったのかもしれません。
画像の山は陽石から見た三輪山です。ここからの春分秋分の日の出はどう見えるかということに興味がわきます。次の春分に行けたらいいなと思っています。


題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:02.06
 九日社 くにつ 。
 国中への太陽の道の起点、朝日の昇る所、旭が九日になったのか、九個の太陽を矢で射落とした神話なんかなかったかしら。

題名: 静之窟: 02/02 投稿者:勇者ロト

島根県大田市の静之窟です。


題名:静之窟へのコメント投稿 名前:勇者ロト 日時:02.02
出雲大社と静之窟の写真は下記アドレスにも置いています。
よかったら覗いてみてくださいね。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/ryokouki1.shtml


題名:狛犬の顔: 02/02 投稿者:神奈備

昨日、伊太祁曽神社で面白いものを見ました。
昭和51年に枯れてしまった神木の枝のつけねの部分が入った板切れで、羽子板の大きい物のような形で、下の方に水滴型の茶色い部分がありました。
そこにふくよかな顔が浮き出ているのです。

伊太祁曽神社の宮司がその板に ○五十 と書いていたのですが、籠神社の海部宮司がそれを見られて、○の中に点を入れてもらいなさい、それが”魂”を入れることになりますとおっしゃったとかで、その作業を拝見させてもらいました。


題名:狛犬の顔へのコメント投稿 名前:泊瀬女 日時:02.02
アハハ・・・良く見ればお尻が顔にみえないわけじゃないですね。
おかしな顔だけど。
また怪しい写真が撮れちゃったのかと・・・
題名:コメント投稿 名前:香具 日時:02.03
狛犬。逆立ちというかシャチホコみたいに前足を屈めて、後ろ足を立てた格好でしたよね。飛びかかるようなフリの。姿は思いだすのに、見た神社が思い出せません。気になるゥ〜。

題名:相模の御霊神社・5: 02/01 投稿者:泊瀬女

鎌倉市梶原の御霊神社です。
ご祭神は鎌倉権五郎景政。
梶原は桓武平氏の末裔・梶原氏が居を構えた場所と云われます。
梶原景時・景季の系統です。
判官(源義経)贔屓だった私には、梶原景時は敵役のイメージがあります。
ひっそりとした佇まいのこの神社にお参りして考えたのは、頼朝の死後数年の後に結局は滅びてしまった梶原氏の哀れでした。
最近、源頼朝や梶原景時のことをキライではなくなっているんですよね。
それぞれの立場ってものがあったんだよねって。
境内でそんなことを考えていたら、足元をリスが駆け抜けて行きました。
よくみたら5〜6匹のリスがチョロチョロしてました。
鎌倉にはリスが多いんです。台湾リスですけど。
この神社の狛犬さん、なかなか良いでしょう。
前足の下に仔獅子を抱えて、口に牡丹の一枝を咥えています。


題名:相模の御霊神社・5へのコメント投稿 名前:神奈備 日時:02.01
この狛犬、左下に見える剽軽な顔がそうかいなと思っていましたら、やはり右上が顔なんですね。
ところで神社と狛犬、それほど古い歴史ではなさそうですね。
http://komainu.net/
題名:相模の御霊神社・5へのコメント投稿 名前:泊瀬女 日時:02.02
左下? 狛犬さんの顔に見えますか?
腰のあたりで毛がカールしているんですよ。
この狛犬は日露戦争の凱旋を記念して奉納されたそうです。

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