神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成十五年十一月
 投稿者の敬称は略します


題名:熊野荒坂津神社: 投稿日時: 11/26 投稿者:神奈備

 神武天皇の上陸伝承地の大きい看板があり、そこに熊野荒坂津神社が鎮座、明治100年を記念して造営。昭和40年頃。

この辺りを「おな神の森」といい、ニシキトベの塚があるようです。
下記HPを参照下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~ue1k-ootn/0481dozyo.html


題名:ダブル神奈備: 投稿日時: 11/25 投稿者:神奈備

この辺りまで近づくと大きく見えてきますね。
金と銀を結ぶと片や高野山、片や比曽寺にあたるとかありませんかね。ダブル神奈備ライン?
題名:コメント投稿 名前:マルヤ 日時:11/25

比曾寺から金・銀の峰を延長すると、高野山の陣ヶ峰(1106m)辺りになりますね。興味がそそられます。
吉野から高野山方面といえば以前に神奈備本庵で話題になっていました「南山」ですね。

私は幕末の国学者の著した「南山踏雲録」を思います。
また比曾寺といえば、天武天皇が籠った吉野寺はこの比曾寺だともいわれ(宮坂敏和などの説によれば)日本仏教のルーツを考える意味でも興味深いと思います。


題名:車坂峠より南方の眺望: 投稿日時: 11/24 投稿者:マルヤ

唐笠山南方向にある今木峠(車坂峠)より南方の眺望実写です。
以前に写し、自分のHPにアップしている写真ですが、「カシミール」のシュミレーションの方向に比べると、少し北北東にずれた位置から眺めたようになると思いますが、
唐笠山の頂上から南方が見えるとすれば、ほぼこのように見えると思います。
手前の円錐形の山が栃原岳(黄金岳)でその左向こうに白銀岳が少し見えています。
櫃ヶ岳は、はっきりとは確認できません。


題名:吉野にようこそ 掲示板の参考画像: 投稿日時: 11/13 投稿者:神奈備

 昔、葛城御歳神社から歩いて大穴持神社へ行ったことがあります。神奈備山のような山が見えたような気もするんですが、それが唐笠山とはわかりませんでした。

 遠方の吉野の山々を祭祀すると言う発想は面白い。

 残念ながら現在の鎮座地からは木がなければ見えるのかも知れませんが、この場所である必然性が薄いようですね。
 唐笠山の山頂には磐座があり、山中にはタタラの跡と思われる金糞があるようで、谷川健一著『青銅の神の足跡』では、五百家まで通じる鉱床の存在を言う人もいるようです。

 カシミールと言う地形ソフトで
1.鎮座地から南〜南東方向を眺めたイメージ
2.等笠山の北北西側から唐笠山方面を眺める。

このイメージを神奈備別荘にアップして見ました。


題名:袋井市の社宮司社: 投稿日時: 11/03 投稿者:AYA

  

 袋井市の社宮司社です(写真1)。「おしゃもっ様」と呼んで、おしゃもじを奉納します(写真2)。
祭神は猿田彦之命と天●(「金へんに田」。読めますか? どうも金へんの字は苦手です。お金に縁がない女ですので(苦笑))女之神です。
西遠地方では、「社宮司社=石神説」が有力です。
この神社でも、本来の御祭神は祠の中ではなく、祠の横の石(写真3)かも?


題名:阻まれた出石神社: 投稿日時: 11/02 投稿者:神奈備

淡路島の南東の角に生石崎と言う突端と小島がある。エトワール生石と言う施設の横の駐車場奥から堤防を越えて海岸に降りる。そこから南へ岩壁や石がゴロゴロする海岸を歩く。出石神社が鎮座すると言う。
 実は歩いたのだが、途中で絶壁と海とで進むことが出来ず、その場で遙拝して引き上げたことがある。心残り。もう2〜3時間待てば引き潮が一段とすすみ歩けたはずで、前日の夕刻には神職氏子何人かが祭礼に行っている。こちらは時間の都合で引き上げざるをえなかった。
 参詣の条件は充分な引き潮の時、波が荒くない時、天気の良い時と言える。

 この神社の由緒は天日槍の孫が垂仁天皇に日槍が持ってきた宝物を献上させた際、刀子は神庫から姿を消し淡路島へやってきたと言う。これを祀っている。
出石神社の裏山を佐比山(さび)と言い、さびは剣の古語とか。

 写真は行く手を阻んだ壁と遠きに小さく見えている島は多分「ダイミョシさん)と言う岩でこの向かいの陸地に神社が鎮座する。


題名:コメント投稿 名前: 日時:

「神奈備にようこそ」