神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成二十年十月〜十二月
 投稿者の敬称は略します

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尾上神社(丸亀市・本島町笠島) 投稿者:晴代 投稿日:2008年11月25日(火)17時14分23秒   返信・引用
尾上神社(丸亀市・本島町笠島)
本島町笠島地区の神社です。
ここの神社の社殿は、塩飽補習工業学校の10歳から13歳の生徒によって建てられています。

中国四国の神社仏閣は、彼ら塩飽大工による物が多いようです。

http://kagawa.bine.jp/jinnjya/marugame/138onoue/138onoue.html

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洞口「諏訪神社」 投稿者:多美 投稿日:2008年11月15日(土)20時47分18秒   返信・引用
国道292号草津道路、洞口(ほらぐち)地区の「諏訪神社」、賽銭箱もありません。
近くのお婆さんに聞きました。
『神社〜、あんまりねえ!』・・・・・。
神社案内にも載っていません。

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金毘羅と十一面観音 投稿者:多美 投稿日:2008年11月15日(土)14時25分39秒   返信・引用
国道292号(草津道路)際、長野原町大津の立石(たついし)地区の氏神(地元話)。

急で狭い石段を上ると頂上に「金毘羅」、途中に「十一面観音」があります。

近くのオジサンの話によると、元は諏訪神社から別れたらしい、賽銭箱は鍵を壊されると修理代の方が高いので・・・・。とのこと。

地元に密着神社の一つの見方(私見)として、賽銭箱の有無もあるのでは?

神仏習合ということでしょうか。

Re: 金毘羅と十一面観音 投稿者:神奈備 投稿日:2008年11月15日(土)15時59分2秒   返信・引用
> No.559[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

近くのオジサンの話によると、元は諏訪神社から別れたらしい、賽銭箱は鍵を壊されると修理代の方が高いので・・・・。とのこと。

壱岐では賽銭箱の置いていない神社が多く見受けられました。

賽銭箱の鍵をつけると、鍵や箱そのものを壊されて修理代がかさむので、普段は鍵をしない神社もあるようです。祭日など金額が多い場合のみ鍵をするとか。

所で賽銭とは人間の穢れ(これがお金に集約される)を祓ってもらうべく、神様にささげるものです。賽銭箱のお金は神様のものなのです。「神様、ちょっと頂きますよ。」と言って、くすねるとします。これは賽銭泥棒でしょうか。もし逮捕されたら、神様が「よっしゃ、持っていけがいい」と言ってくれたと抗弁したらどうなんでしょう。

最大の賽銭泥棒は神主そのものだったとか。

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鳥居発見 投稿者:多美 投稿日:2008年11月14日(金)22時18分44秒   返信・引用
国道292号草津道路、洞口(ほらぐち)遅澤川(おくれざわかわ)畔に鳥居があります。

「荒澤不動尊」とあります。

鳥居は神社?と思っていましたが。

例外もあるのでしょうか?

Re: 鳥居発見 投稿者:ヤスダ 投稿日:2008年11月15日(土)09時26分53秒   返信・引用
> No.555[元記事へ]

多美さん こんにちは

神仏習合時代の名残のため寺院でありながら鳥居を残している所のあります。

   ↓ 以下 参考になれば幸です。
光秀=天海で有名な 江戸崎 不動院もそうです。
http://inashiki.com/jb/hudouin.html

不動明王と毘沙門天 は、江戸末期までの 神仏習合 の時代には、四国・讃岐の 金毘羅(こんぴら) さん に祭られていた仏像です。 ... それ以降、江戸時代の末に至るまで、日本では 「神仏習合」 の信仰形態が広く見られました。
歴史とネコさんのHP
http://www.ne.jp/asahi/rekisi-neko/index/konpira.html

鳥居は塞(境)
塞の神とも混合して村や路の守り神とし, ... 不動明王が胎蔵部大日如来の教令輪身であるから,同尊に次いで重要視され, 両尊が大日の脇侍ともなる(尊勝曼荼羅)。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/houenji/page042.html

塞の神(さいのかみ)とは,村や地域の境界や道の辻にあり,村に疫病や邪悪なものが入ってこないようにする神様である。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/hn/Misc/2001_Aug_08.html

天照大神と大日如来が同体として信仰されたことなど ... この様に、神仏習合をもって「但馬妙見信仰」 ...
http://www.fureai-net.tv/myoukensan/page007.html

 ご無礼 いたしました。

Re: 鳥居発見 投稿者:神奈備 投稿日:2008年11月15日(土)15時49分55秒   返信・引用
> No.558[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

ヤスダさんへのお返事です。

やすださん、ありがとうございます。

大阪の四天王寺の西門の鳥居は結界を示しています。俗界との区分です。

http://kamnavi.jp/mn/osaka/sitenouji.htm

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嬬恋「三原神社」 投稿者:多美 投稿日:2008年11月14日(金)00時08分43秒   返信・引用
嬬恋「三原神社」
浅間山麓、嬬恋村三原にある「三原神社」

神奈備案内に「崇神天皇を祀っている神社」。

地元老人会による案内看板に、

祭神
日本武尊
素戔鳴尊
大物主命
伊弉那岐命
崇神天皇
菅原道真

他七神十一社を合併す、とあります。

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小雨「諏訪神社」 投稿者:多美 投稿日:2008年11月 6日(木)21時33分45秒   返信・引用
群馬県吾妻郡六合村(くにむら)大字小雨(こさめ)649番地
標高1000メートル超にある、諏訪神社。
国道292号(ロマンチック街道)から少し入った所にひっそり鎮座。
近くには人家もほとんどない。



続小雨「諏訪神社」

状況

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星宮神社 投稿者:多美 投稿日:2008年11月 3日(月)21時26分14秒   返信・引用
足利市山川町にある「星宮神社」

祭主 ニニギノミコト

区画整理で移転したそうです。

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星宮神社 投稿者:多美 投稿日:2008年11月 3日(月)21時16分14秒   返信・引用
足利市常見町にある「星宮神社」

渡良瀬川(わたらせ・かわ)に架かる「福猿橋」近くにあります。

祭主不明。

近くのオジサンに聞けば『昔から住んでいないので祭主は解らない。昭和22年の洪水で近くから移転した。』とのこと。

天香香背男を祀っているのか?


Re: 星宮神社 投稿者:神奈備 投稿日:2008年11月 4日(火)08時15分45秒   返信・引用
> No.543[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 足利市常見町にある「星宮神社」

栃木県には 星宮神社 が沢山鎮座していますね。157社。

足利市常見町
瓊瓊杵命 (合祀)譽田別命 火産靈神 奧津毘古神 宇賀能魂命 奧津比女神

他に祭神としては、磐裂神・根裂神 、軻遇突智神、香香背男命 など。


Re: 星宮神社 投稿者:多美 投稿日:2008年11月 4日(火)17時36分29秒   返信・引用
> No.545[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>香香背男命 など。


同じ星宮神社でも香香背男を祀っている星宮神社は「貧乏神社」が多いような感じがします。

これは、出雲の神(大和朝廷は太一信仰を禁止説)の影響なんでしょうか。

何だか「隠れキリシタン」に共通するところでもあるのでしょうか。

神奈備案内から10社程度、参詣確認したいと思います。

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飯有(いいあり)神社 投稿者:多美 投稿日:2008年11月 3日(月)20時15分48秒   返信・引用
>交通案内
東部伊勢佐木線福居駅 北500m

祭神
伊邪那岐命、伊邪那美命 配 五十猛命、大雷命

お姿
  祭神は島田町の稲荷神社と同じである。飯有も稲荷であろうか。境内もは広く、背の高い木々が多い。

神奈備より

念のため、
交通

「東武伊勢崎線」が正解です。

『東武鉄道』浅草駅より日光方面(東武日光線)、伊勢崎・赤城方面(東武伊勢崎線)です。ライバルは西武鉄道(西部ライオンズ)です。 東京・池袋駅から東武池袋線、西日本方面の人には馴染みがないかも。


飯有神社境内

霊?

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谷川健一著『青銅の神の足跡』 投稿者:Jun 投稿日:2008年11月 2日(日)17時14分11秒   返信・引用
> No.526[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。


> 谷川健一著『青銅の神の足跡』に、天目一神社や青玉神社(二座ありますね)のことが触れられています。

地内の神社が書かれていると言うことで興味を抱き、この本を読んでみようと思いました。
検索しましたが、amazonでは在庫がなく、Yahooではプレミアが付いて3倍のお値段になっていました。
それで掲示板に書いたら、北海道の方がご親切にも蔵書を送ってくださいました。
なんでも、「北海道には本当の意味の神社がなく、読んでも理解出来なかったので、差し上げます」と言うことでした。
現在、まだ出だしのところですが、面白い記述がありました。
お婆さんの神様が甘酒を作って別の神様のところに届けるのですが、その時に火の車に載っ乗っていくので、それに出会ったら事故を起こす、だから今でも交通事故が多い、と言う話です。 確かに、当地にはその様なお話があり、また私の上司は一代前まで鍛冶屋で、自宅にはふいごの神様を祀る神棚があり、年に一度ふいご祭りをしていたそうです。

今日は地元の青玉神社と隣の丹波市の鹿野馬神社に行って来ました。どちらも大公孫樹があって、色づくのを楽しみにしていますが、まだ青いです。


http://tacci-junm.blogspot.com/
Re: 谷川健一著『青銅の神の足跡』 投稿者:神奈備 投稿日:2008年11月 3日(月)08時18分42秒   返信・引用
> No.539[元記事へ]

Junさんへのお返事です。
> それで掲示板に書いたら、北海道の方がご親切にも蔵書を送ってくださいました。

 それほど、入手がしにくい本になっているのですか。

 古書店を回りますと、時々置いてあります。

 それにしても、ご親切な方がおられますね。Junさんとその方の人徳が偲ばれます。

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柳田康雄講演 投稿者:多美 投稿日:2008年10月28日(火)02時18分33秒
先日、柳田康雄氏の講演会にいきました。

「伊都国と邪馬台国」というテーマでした。

この話の中で、

@吉野ヶ里遺跡の復元に、当局は支柱を原寸の三倍の太さにしている。
A寺は掘ってもいいが、神社は掘っても価値がない。これは、神社を否定しているのではないと思われます。

@当局の担当者が『観光用と史実を使い分けている』ということらしい。
A寺と神社の有り様の問題なんでしょうか。

Aについて、納得できる回答はないのでしょうか?

Re: 柳田康雄講演 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月28日(火)08時30分53秒   返信・引用
> No.532[元記事へ]

> A寺は掘ってもいいが、神社は掘っても価値がない。これは、神社を否定しているのではないと思われます。
>
> @当局の担当者が『観光用と史実を使い分けている』ということらしい。
> A寺と神社の有り様の問題なんでしょうか。
>
> Aについて、納得できる回答はないのでしょうか?

 丹生川上神社上社がダムで水没するので、移転しました。その跡地を発掘した報告がなされています。縄文時代からの祭祀の跡らしいものも出土されています。

http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/koramu/omosiroi2002niukawakami2.htm

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伏拝 投稿者:佐々木 投稿日:2008年10月27日(月)19時23分39秒
 神奈備掲示板[9169] 浪速の道の物語 荒坂峠(文:席亭神奈備さん)に刺激を受けまして、絵図の収集をしていたところ、伏拝を見つけました。
 伏拝の記載は、古道でよく見るのですが。
 古い地図と米軍の空中写真等を片手に現地訪問し、やっと絵図の推定場所を特定できました。
 現在は古墳のような盛土にアラカシが密生しています。
 しかし伏拝する対象の見当がつかないのが課題でありますが。

 場所は京都府八幡市八幡中ノ山から福禄谷で、旧地名は綴喜郡八幡荘幣原:しでわら(四手原)郷。周辺には弥生後期の高地性集落(幣原遺跡)が広く分布していたようです。
この伏拝より南へ桜並木が続くのですが、新興住宅地内にも関わらず、古道?沿いに残っていました。さらに行けば枚方の招堤(日置)郷に至ります。

Re: 伏拝 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月28日(火)08時26分52秒   返信・引用
> No.530[元記事へ]

佐々木さんへのお返事です。

>  神奈備掲示板[9169] 浪速の道の物語 荒坂峠(文:席亭神奈備さん)に刺激を受けまして、絵図の収集をしていたところ、伏拝を見つけました。

 流石、探求の人ですね。

 熊野古道の伏拝は高い場所から4〜5km先の川に囲まれた大斎原を拝むとされています。
 結構、遠い場所を拝んだのかも。近ければ行けばいいし。

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お稲荷さんのこと 投稿者:Jun 投稿日:2008年10月25日(土)19時51分58秒
私が生まれたのは和歌山県のみなべ町と言う町で、家のすぐそばが海、母の実家に行けば毎日必ず砂浜で遊び、鹿島を眺めていました。みなべの人にとって、鹿島は津波から町を守ってくれた有り難い島で、勿論鹿島神社の神域です。春のお祭りの「明神講」は母がいつも懐かしそうに語っていました。
ところで、母の実家の裏手に稲荷神社があります。名もない神社なので検索しても地図にすら出てこないのですが、地元の人には大切なお宮さんです。永らく荒れていたのを、亡くなった祖父が世話をして鳥居も造ったそうです。お稲荷さんの裏手には広場があって、子供の頃はそこで遊びました。現在は地区の集会所になっています。
お稲荷さんは全国に何十万とあるので、歴史を調べるのも容易ではないですね。
写真は伏見稲荷の「割れた鳥居」です。

Re: お稲荷さんのこと 投稿者:神奈備 投稿日:2008年11月 1日(土)09時08分59秒   返信・引用
> No.528[元記事へ]

Junさんへのお返事です。

稲荷神のルーツは紀伊半島にありそうです。
大和の国吉野郡に属するのですが、玉置神社が根元社とする説がありました。
また、有田の稲荷大神社も伏見稲荷の元社と自称しています。
http://kamnavi.jp/kumano/kii/itoga.htm

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裏山の祠 投稿者:Jun 投稿日:2008年10月25日(土)15時15分24秒   返信・引用
初めまして

以前からこちらのサイトを知っていまして時々訪問しては記事や写真を楽しんでおります。
今日は、我が家の裏手にある小さなお宮さんの写真を持ってきました。
中に
「天龍大明神」と書かれた木札があります。
お宮さんの後ろは防災ダムで、池になっています。恐らく、ダムの保全と村の安全を祈願して最近(と言っても古いですが)造られたのではないかと思います。
背後の山は銅鉱脈が走っており、式内社 天目一神社 ( あめのまひとつじんじゃ )現在の名前を青玉神社と言う大きな神社があります。 -----------------------------------------------------------------------------

Re: 裏山の祠 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月25日(土)15時40分25秒
> No.525[元記事へ]

Junさんへのお返事です。

紀州のお生まれとか。

谷川健一著『青銅の神の足跡』に、天目一神社や青玉神社(二座ありますね)のことが触れられています。

レス 早! 投稿者:Jun 投稿日:2008年10月25日(土)16時00分3秒   返信・引用
早いレスをありがとうございます。
ここに投稿した後でブログを更新しておりましたら・・・

>紀州

そうですが、育ったのは神戸市です。
垂水区の海神社が載っていて嬉しいですが、もう一つの瑞丘八幡神社はないですね。海神社の陰に隠れていますが、そこそこ地元では有名なお宮さんです。
http://tacci-junm.blogspot.com/

Re: レス 早! 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月26日(日)08時19分38秒   返信・引用
> No.527[元記事へ]

Junさんへのお返事です。

> もう一つの瑞丘八幡神社はないですね。海神社の陰に隠れていますが、そこそこ地元では有名なお宮さんです。

 このポイントです。地域の人ではない場合、どうしても有名(一宮、式内、重文 など)の神社に目がいきますね。

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伏見金札宮 投稿者:佐々木 投稿日:2008年10月20日(月)19時41分40秒
 京阪電鉄または近鉄丹波橋駅から西へ、伏見板橋小学校に行く途中に金札宮がありました。
 これは天平勝宝2年(750年)に創建と謂れ、清和天皇の御代、橘良基が阿波国より勧請したものとも伝えられてます。
 本来は久米村の産土神だそうですが、天太玉命(白菊翁)、天照大神、倉稲魂神を祀っています。
 拝殿前に樹齢千年を越すという、天然記念物のクロガネモチノキがあり、きれいな実がついていました。
 写真の右の恵比寿様は社殿の裏側にあったものです。
 また耳の下に貼り付けたものは、明治時代のおみくじでした。現在も使用可です。


Re: 伏見金札宮 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月20日(月)22時22分51秒
> No.523[元記事へ]

佐々木さんへのお返事です。

> 天平勝宝2年(750年)に創建と謂れ、清和天皇の御代、橘良基が阿波国より勧請したものとも伝えられてます。

謡曲に登場する神社ですね。
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Nohpage/Nohfurusato/Furu05Kinsatu/NohFuru05.html
上記のサイトは小生の先輩のHPです。

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立石の諏訪神社 投稿者:多美 投稿日:2008年10月19日(日)02時33分12秒
老夫婦でやっている有名なラーメン店「風来軒」の裏にある、素朴な神社です。
「風来軒」はネットでも有名店、北関東一円からやってくるらしい。
敷地内に地元の公民館が一緒にあります。
共存関係でしょうか。
場所は、群馬総社駅近く。

健御名方命
八坂刀売命

絹笠・八坂・琴平・愛宕(境内本社)

百庚申
二十二夜様

とあります。

立石の諏訪神社本殿 お城みたいです。

境内にあります。
が、何と読むのでしょうか。

Re: 何て読むのでしょうか 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月19日(日)22時40分26秒
> No.519[元記事へ]

多美さんへのお返事です。

> 境内にあります。
> が、何と読むのでしょうか。

惣邨中

Re: 何て読むのでしょうか 投稿者:多美 投稿日:2008年10月20日(月)04時20分53秒
> No.520[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。
惣=総
邨=村

「宋=中」とも読めるのですが、「惣邨中」の三文字は何のことなんでしょうか?


この地区は、総社村と言われていたらしいのですが、又、近くに国分寺跡などあり歴史は古いらしいです。

近くには「総社神社」がありますが、この「立石の諏訪神社」との関係は?


Re: 何て読むのでしょうか 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月20日(月)18時01分38秒
> No.521[元記事へ]

多美さんへのお返事です。
> 惣=総
> 邨=村
>
> 「宋=中」とも読めるのですが、「惣邨中」の三文字は何のことなんでしょうか?

 総社としての全ての村の人々の仲間が建立したと言う意味でしょう。

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どんたくさんご提供の図 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月17日(金)08時35分25秒
 西南日本の過去2000年間の考古磁気永年変化の図
長友恒人編 『考古学のための年代測定入門』古今書院 2001年5月 P。44

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雀神社 投稿者:多美 投稿日:2008年10月13日(月)23時02分18秒
ショッピングセンターの中央に在る「雀神社」。
周辺神社合併、足利・大田の境界にあるらしい。

神社の今後を占う様相か?

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(無題) 投稿者:PONTA 投稿日:2008年10月12日(日)17時37分13秒
 駿河国庵原郡の式内社は、御穂神社(現在の祭神は三穂津彦命(大己貴命)、三穂津姫命ですが、本来の祭神は仲哀天皇で、三穂津彦命&三穂津姫命は、境内社の羽車神社(旧・羽車磯田祠)の祭神)、久佐奈岐神社(写真)、豊積神社の3社です。

 日本武尊を襲った国造は、登呂遺跡に住んでいたとされ、日本武尊を焼津神社、または草薙神社付近に誘い出して火責めにしたとされています。(PONTA説では、火責めの現場は賤機山〜麻機山です。)

 久佐奈岐神社の社伝では、「日本武尊が東征の際に当地に本宮を設け、後に東征の副将軍であった吉備武彦が当地を治めることになったときに、本宮の跡に社殿を築いて日本武尊を祀った。かつては日本武尊の東征に随伴した9万8千の人々を祀っていたことから「九万八千社」とも呼ばれ、祭祀の時には9万8千の幣帛を奉納していた」とあり、境内社の「九万八千霊社」も見てきました。

 『先代旧事本紀』(第10巻「国造本紀」)によれば、駿河国造(珠流河国造)以外に、庵原国造(廬原国造)がいます。ということは、その昔、駿河国は、駿河国と庵原国に分かれていたということであり、日本武尊を火責めにしたのは、駿河国造ではなく、庵原国造であって、日本武尊を火責めにしたことで処罰されたことによって空位になった庵原国造に吉備武彦を任命したとも考えられます。しかし、『先代旧事本紀』には、駿河国造も庵原国造も成務天皇が任命したとありますから、『先代旧事本紀』が正しければ、国造は日本武尊東征の時代(景行天皇の御世)にはいなかったことになります。

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鞍佐里神社 投稿者:PONTA 投稿日:2008年10月12日(日)17時00分23秒
 日本武尊が国造に火責めされたのは焼津市の焼津神社付近とも、静岡市の草薙神社付近とも言われています。草薙神社周辺の土が黒いのは、その名残だそうです。草薙神社は有度山麓にあります。有度山には5つの嶺があり、その1つが東照宮で有名な久能山(秦久能が開山?)であり、日本武尊が国見をした日本平(「にほんだいら」と読みますが、日本武尊から取った名ですので、「やまとだいら」と読んだ方がいいかと)です。この草薙神社と日本平の中間に山の神神社があります。

 日本武孫はさらに東の磐城山(山頂に山の神神社)の山賊にも火責めされたそうで、今度は馬の鞍の下に逃げたものの、鞍は焼けてしまったと、写真の鞍佐里神社(西倉沢。「倉沢」の語源)の社伝にあります。

 日本武尊は、まつろわぬ民と荒ぶる神を平伏させるために東征したのですが、山にいる土着神(山の民、山賊、山姥、・・・)を倒したものの、結局は伊吹山の神に倒されるという構図なのかな?

 PONTAでは、「神」という字の「申」は落雷(神が雷となって依り代である岩に降臨するシーン)の象形文字であると聞いてから、注連縄の稲藁で作った縄は蛇ではなく竜であって、ギザギザの紙が稲妻かなと思うようになった(蛇は空にはいませんから)のですが、縄は雲かもしれません。この神社の注連縄の縄のれんは雨に見えます。



http://www2.wbs.ne.jp/~ponta/manyou/miti.htm

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鹿島神宮 投稿者:神奈備 投稿日:2008年10月 9日(木)08時27分30秒   返信・引用
西から入り、右に折れる。

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三王朝交替説 投稿者:PONTA 投稿日:2008年10月 4日(土)23時40分39秒
「天皇家は万世一系ではない」ってことですね。
水野氏の説は、崇神王朝(三輪王朝)、仁徳王朝(応神王朝、河内王朝)、継体王朝(近江王朝)の3王朝が存在し、現在の天皇は継体天皇の末裔とし、神武天皇〜崇神天皇の前までは、架空の人物(欠史八代)とする説でしたっけ?
鳥越氏の説は、欠史八代は実在し、葛城王朝とする説ですね。
江上氏の騎馬民族征服王朝説が正しいとすると、征服者とは仁徳天皇のことでしょうね。
古田氏の九州王朝説は、倭国の首都は北九州の大宰府で、白村江の敗北でヤマト王権に滅亡させられたとする説ですね。

確かに、現在の天皇の祖先をたどっていくと、学説では継体天皇までということですが・・・推古天皇の時代、中国の記録では、日本国王は男性となっていますから、中国の記録が正確であれば、日本の国王は、関氏のいうように蘇我蝦夷が天皇だったか、聖徳太子が上宮天皇だったか、あるいは古田氏のいう大宰府にいた倭国王であって、異説無く正確にたどれるのは天智天皇までってことです。

日本神話では、日本を治めていたのは大国主で、高天原の人たちに日本を譲ります。高天原の人たち=天皇家の人々として、高天原の人たちがどこから来たかというと、雲の上からというのは非現実的なので、高天原=朝鮮半島とか、高天原=メソポタミア(シュメール人)という説が生まれました。天皇が、自らのルーツは朝鮮(百済)にも関係ありと発言したことが韓国では超話題になりましたね。白村江で破れた百済王の妹が斉明天皇で、息子が天智天皇と天武天皇(つまり、現在の天皇の祖先は斉明天皇)ということでしたっけ?
白村江で破れて、百済人が200万人も日本に移住して、滋賀県・奈良県・大阪府・京都府・神戸市に住み着いたそうです。最先端の技術を持った人々が200万人も一気にやってきたら・・・で、その移民集団の長が天皇に就任したら・・・まさに王権交替ですね。邇邇芸命+五伴神の6柱ならともかく、200万人ですからたまりません。

http://yoichi38.town-web.net/omoide/korea_life/2001/trip/news1.htm

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青草掲示板関連 投稿者:琉球松 投稿日:2008年10月 1日(水)00時20分21秒
画像は、沖縄島西海岸の遺跡から出土した「混血児」・宜野湾市教育委員会発掘調査記録『集団墓編 1994』より

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「神奈備にようこそ」