神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成23年 6月
 投稿者の敬称は略します


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齋場御嶽(セイファーウタキ) 投稿者:琉球松 投稿日:2011年 9月19日(月)08時54分21秒 返信・引用
 神奈備さんへ
 「アジマサの島見ゆ」と歌ったのは仁徳天皇だったでしょうか。太陽の沈む方向に奄美沖縄が存在するのは偶然ではないように思います。
 写真は、久高島から望むセイファー御嶽(中央のトンガリ)。

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フボー御嶽 投稿者:琉球松 投稿日:2011年 9月18日(日)16時16分31秒 返信・引用
 隣りの掲示板では、ついついシャシャリ出て、申し訳なく思っています。
 写真は、久高島の「フボーウタキ」の入り口。「フボー」は神が降臨されるクバ(ビロウ・アジマサ)の木の意。
 それと、島で「グソー(あの世)」に設定されている海岸のエリヤ。

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長浜神社 投稿者:勇者ロト 投稿日:2011年 8月30日(火)09時15分59秒 返信・引用
お久しぶりです(^^ゞ
久しぶりに、未参拝だった神社に行ってきました。出雲の長浜神社です。
出雲の式内社候補の一つ、式内社・出雲神社(大社の素鵞社か、鰐淵寺の諏訪社か、長浜神社かとされているそうです)
旅行記は下記にまとめました。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/izumonagahama.shtml

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尻高「尻高神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 8月24日(水)09時45分38秒 返信・引用 編集済
尻高神社(しったかじんじゃ)通称 八幡様(はちまんさま)
群馬県吾妻郡高山村尻高字北之谷
明治22年、尻高村と中山村が合併し高山村となる、
上野国神社明細帳原簿のよれば、尻高村には、村社熊野神社はじめ数社の神社があったようです、が、明治41年名久田村横尾の和利神社(吾妻神社)へ合祀された、
戦後、吾妻神社から再度、この地に遷されて、尻高神社(旧八幡宮・應永年中当村城主尻高左馬頭剣建)となったようです。
拝殿は、伊勢湾台風(昭和34年)で倒壊、再建したようです、
中山村は三国街道の宿場(本宿)として賑わっていた、尻高村は独特の文化があったようです、
気質も中山村は派手、尻高村は温厚、
明治20年には、名久田教会(キリスト教)、人形浄瑠璃の尻高人形などなど。
一時、尻高村から神社が無くなった(合祀された)?
尻高神社(八幡宮)、神楽が盛んだったようで、そんな事で、今日に至った?
写真
鎮座地裏側から、国道145号が見えます、
鳥居から参道は秋祭り前(9月15日)のためか草ボウボウです。

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徴用された朝鮮人 投稿者:神奈備 投稿日:2011年 7月23日(土)13時52分52秒 返信・引用
上段 ごった煮 から左へ8行目の「徴用された朝鮮人・・・」は間違いで、「徴用されたのではなく、任意に就職した とするのが正しい。」と足代さんから電話がありました。

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 『ニッポン猪飼野ものがたり』 投稿者:神奈備 投稿日:2011年 7月23日(土)08時59分9秒 返信・引用
足代さん大活躍です。

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秩父神社ー北辰の梟 投稿者:言蛇 投稿日:2011年 7月15日(金)01時05分9秒 返信・引用
神奈備さまへのお返事です。

> 大阪天満宮の船渡御は大阪の真夏のイベントです。
> この神社は星合池、明星池、七夕池など星にゆかりの深い神社です。
>水に写る星への信仰があったようです。それゆえに、星は天に満ものとして、
>天満宮と呼ばれました。菅原道真公を祭る神社の多くが天満宮とされるのは、
>大阪がルーツだとされています。

これはとても魅力的ですね、神奈備さまはどういう願い事をされましたか?
画像ソフト「GIMP2」のHPで大阪法善寺横町について話をふったのですが
無反応だったので、大阪人はどうなっているのか心配ではあります。
もっとも、私自身は崇敬を穂高神社一社に決めているので動けませんが・・・

写真は秩父神社・北辰の梟。
写真一番上の秩父神社祖霊社は、用材を私が崇敬する穂高神社が提供しています。
写真一番下が秩父神社本殿北の北辰の梟です。
奥秩父の人食い沢が気になって去年の秋、TAMIさんとは別件で秩父神社に お参りしています。笠取山ブドウ沢ですが、神奈備さまでしたらどのように 鎮めるでしょうか?
TAMIさんの投稿で鎮まるならそれに越したことはないんですけど、うーん(汗 テレビ局は、「楽しければ銃を人に向けてもいい!麻薬、阿片もOK!」ですから 頼りにしすぎると、そもそもの間違いになりますよね。

▼「志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ(万葉集3862.山上憶良)」

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市城「白鳥神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 7月11日(月)20時15分35秒 返信・引用
 白鳥神社(しらとりじんじゃ)
群馬県吾妻郡中之条町市城861
【祭神】日本武尊
この辺は市代牧だったようです。
白鳥神社は、吾妻川対岸に奥田「白鳥神社」小泉「白鳥神社」と当「白鳥神社」は、かつて、「白頭大明神」と云っていたそうです。
当社は明治神社合祀で伊勢町「伊勢宮」に合祀されたが地元氏子の要望で再度分霊し現在地に鎮座(元の鎮座地)のようです。
「神道集」にもあります。
吾妻川の浅瀬で渡河に最適だったようです、小栗康平「眠る男」の冒頭シーンに使われました。同監督「泥の河」秀逸作品です。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=363408&l=1385317(地図閲覧サービス)
http://sky.geocities.jp/sabutyan66/page049.html(上野国御牧年表)
参道にタケノコが生えていました。

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「佐倍神」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 7月10日(日)11時10分39秒 返信・引用
1.さえのじんじゃ【佐倍乃神社】宮城県:名取市/笠島村-日本歴史地名大系
[現]名取市愛島笠島 西台 高館丘陵から東へ延びる愛島丘陵のつけ根に鎮座する。祭神は猿田彦大神・天鈿女命など。旧郷社。近世は道祖神社と称し、明治七年(一八七四)古称にちなみ佐倍乃神社と改称(名取市史
 佐倍乃神社(さえのじんじゃ)
<通称>笠島道祖神社(かさしまどうそじんじゃ)
宮城県名取市愛島笠島字西台2
【祭神】猿田彦神 天鈿女命 (合祀)高皇産靈神 火産靈神 伊邪那美神 白山姫神 表筒男命 中筒男命 底筒男命 迦具突智命 菅原道眞 速須佐之男命
参拝のしおり
佐倍乃神社は、元禄二年俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」行脚の時、「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社で、旧社号を「笠島道祖神社」と称した。 祭神は猿田彦大神と天鈿女命で、景行天皇四十年の日本武尊御東征の時から、毎年四月二十日を祭日としている。 慶長七年野火に遇い、社殿及び古来の宝物・文書等一切消失したが、後柏原天皇の時、大永二年十月本殿造営された。文禄元年二月伊達政宗公社殿の修繕、又元禄十三年十月綱村公拝殿を建立し、祭田二貫文を寄進する等歴代の藩主厚く尊崇された。祭神の猿田彦大神は、天孫降臨の際、道をお開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の神である天鈿女命と共に人間生活の道を守ことから縁結び・夫婦和合の神と祀られており、例祭日には宮城県無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。
以上
※「石神問答」には”佐倍”はありませんでした、当て字なんでしょうか?
 祭神は、時の都合で変わるものですね、
 出雲信仰(石塚尊俊)に、出雲大社は一時、スサノウが祭神だった、出雲国造権力低下に よるもの・・・・。

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五反田「親都神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 7月 8日(金)20時58分2秒 返信・引用 編集済
吾妻郡中之条町五反田字親都220番地
 親都神社(ちかとじんじゃ)
【祭神】須佐之男命 (合祀)大日ルメ尊 倉稻魂命 健御名方命 八坂刀賣命 菅原道眞 大山津見命 保食命 大物主命 埴安姫命 (配祀)品陀和氣命
大宮巌鼓神社(吾妻郡東吾妻町原町字大宮811番地)と直線で結ばれている(鳥居参道石段が真っ直ぐ大宮神社に向いている)。
大宮巌鼓神社は、かつて、稲ヅツミ神社の里宮だった。
親都神社は、和利宮(わりのみや)と云っていた。
吾妻神社(吾妻郡中之条町大字横尾1354番地)和利宮は親都神社から遷した。
説明、いろいろです。時の支配者の都合で変わっていったようです。
5月5日背後の「嵩山(たけやま)」は、近郷近在の子供らが山登り、賑やかです。

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「報徳折田神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 6月28日(火)20時46分46秒 返信・引用
報徳折田神社(ほうとくおりたじんじゃ)
群馬県吾妻郡中之条町折田1170
旧上野国 吾妻郡    吾妻支部 07012
【祭神】建御名方命 八意思金之命 八坂刀賣命 大山咋命 火産靈命 弟橘姫命 大物主命 水分神 素盞嗚命 保食命 菅原道眞 大山祇命 日本武命 倉稻魂命 大國主命 譽田和氣命 八衢彦之命 八衢姫命 二宮尊徳 祭神不詳三座
http://yj.pn/oAFF3l
上野国神社明細帳によれば、
武田信玄旗下、折田将監、折田軍兵衛というもの永禄七年諏訪大神を勧請、天正年間武州秩父より妙見社を勧請、明治初年、妙見社に諏訪社を合併し、折田神社としたとあります。
拝殿左に妙見堂のような建物があり、「堅空地神尊」石碑があります。
その後、二宮尊徳を祀り、報徳折田神社となったようです。
妙見を守る工夫を垣間見るようです。
この地は「折田(おりだ)」苗字は「おりた」です。
JA農協の漬物がお土産に最適です。

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「疱瘡神神仏分離」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 6月24日(金)10時25分44秒 返信・引用
明治政府による神仏分離
疱瘡神の行方?
1.>山形県米沢市徳町の疱瘡神社に祀られている稚児文殊菩薩は、 同神社と同じ境内にある長慶寺(曹洞宗)によって安置され たと伝えられており、当地の疱瘡神の本地であった(なおこ の稚児文殊菩薩は、明治政府による神仏分離が発令されると 、直ちに「須佐之男命」と名称を改めている。

2.貫前神社「疱瘡神」取捨被仰付候
疱瘡神社と疱瘡神とでは違うようです。
疱瘡神は、神仏習合だったということでしょうか。

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中市原「星宮神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 6月 7日(火)18時49分54秒 返信・引用
 星宮神社(ほしのみやじんじゃ)
茨城県笠間市(旧西茨城郡友部町)中市原522
【祭神】天香香背男命
http://www.mapion.co.jp/m/36.3748322222222_140.298219444444_8/(中市原「星宮神社」)
境内石碑によれば、明治初年近くの鹿島神社に合祀されたが、村民の願いで、再度分離独立したようです。特に「眼」にいいそうです。鐘楼もあります。
神紋が「七つ星」であります。
小字桂(桂の木があったのか?)、星空を見上げるに絶好の場所のようです。
甕星は金星でしょう・

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石塚「風隼神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2011年 6月 6日(月)10時00分33秒 返信・引用
茨城県東茨城郡城里町(旧常北町)石塚1088

風隼神社(かざはやじんじゃ)
【祭神】武甕槌命
神奈備より一部抜粋
『大甕倭文神宮縁起』によれば、天津甕星神が変じた巨岩は一つは神磯として今に伝わる「おんねさま」となり、後の石は石神、石塚、石井に飛んだと云う。おんねさまは御根磯と云う小島のようだが、地図上では未確認。
 石神、石塚、石井に三社は恐らく下記の神社
 那珂郡東海村石神外宿1 石神社「天手力雄命」
 東茨城郡常北町石塚1088 風隼神社「武甕槌命」
 笠間市石井1074 石井神社「建葉槌命」
 『日本の神々11』で大和岩雄氏は、上記「石」は交通の要衝にあたる場所であり、賽の神の要素を見ている。大甕神社の前にも「泉川道」の道標が立っている。また境に埋められる伝承を持つ「甕」にちなむ土地であり、大甕山の巨岩もあって、後世に天津甕星神と関連つけられたとの指摘がある。むべなるかな。
甕星香香背男に関係する神社、
鳥居に掛かる注連縄の形が大甕神社と同じようで、何か関係するのでしょうか(マツダ自動車のエンブレム「Y」)。
石に関係するするようなモノは見当たりません。
古い歴史のある神社。
元「風華神社」、明治に改称されたようです。

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「神奈備にようこそ」