神奈備別荘 神奈備写真付き参詣掲示板 ログ

神奈備別荘

平成23年6月
 投稿者の敬称は略します


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足利市鵤木「八坂神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年10月20日(土)19時16分2秒 返信・引用
http://yahoo.jp/sKCmoN
鵤木町(いかるぎ・まち)
境内に氏子、
明日が祭りとのこと、
後継者がいない、かたちばかりの祭り、
昭和57年改築した、
登録神社ではないようです。
雰囲気のある神社です。

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志賀山神社 投稿者:TAMI 投稿日:2012年10月10日(水)20時26分8秒 返信・引用
志賀高原「志賀山神社」
祭神不明
由緒不明
祠は奥志賀山にあります、
下ったところに鳥居、
二つ並んだ左が志賀山、右が奥志賀山

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軽井沢町峠「熊野皇大神社」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 9月30日(日)19時51分16秒 返信・引用
信州(信濃国長野県)と上州(上野国群馬県)の境にあります。
二つの熊野神社が共存しています。
信州では「熊野権現」と云うそうです。
かたや、上州ではただの熊野神社。
とにかく、ヤマトタケルの話ですから、
やはり、ああ我妻や、と言えば、群馬の吾妻郡でしょう!
信濃国は宣伝上手、上野国は質実剛健?
現状では、長野県の勝利のようです。

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止止呂支比売命神社 投稿者:やさか 投稿日:2012年 9月29日(土)20時26分3秒 返信・引用
●すみません、写真を入れようとして失敗しました。できれば前文を削除ください。
神奈備さん、こんばんは。みなさん、こんばんは。
もう十年ぶり位かも知れませんがこちらにも書き込みさせてください。

「止止呂支比売命神社」トドロキヒメノミコト…読みにくい神社名ですね。
この神社、実は神社名すら分からなかったのですが、時々乗る電車の窓から見えていたのです。
朱もあざやかな社殿が木立の合間に見えて、いつか参拝したいと思っていたのですが急行電車なので通り過ぎていました。
それで今回は、難波で用事をすませた後、各駅停車に乗り換えて見当をつけた駅で下車参拝してきました。
南海高野線沢之町駅南スグ。本当にすぐなんです。隣接しているぐらい。
とてもみやびな雰囲気があって女神が坐すにふさわしい神社ですが、祭神は素盞嗚尊、稲田姫尊の二柱でした。
ここは式内社ですが、境内には「天水分豊浦命神社」という式内社がもう一社ありました。
●詳しくは、神奈備にようこそ/止止呂支比売命神社を参照ください。
http://kamnavi.jp/en/settu/totoro.htm

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「いいなりじんじゃ」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 9月11日(火)20時01分36秒 返信・引用
 飯成神社(いいなりじんじゃ)
栃木県足利市伊勢町4-14-6
【祭神】稻倉魂命
どうやら、「いいなり」ではなく「いなり」のようです。
伊勢町4丁目自治会館
自由民主党足利支部
茂木としみつ事務所
と、飯成神社が同居しています。
足利の歴史と伝統?

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赤坂氷川神社 投稿者:言蛇 投稿日:2012年 8月21日(火)01時05分30秒 返信・引用
東京・六本木の森アーツセンターギャラリー「大英博物館 古代エジプト展」 の帰り、赤坂氷川神社にお参りしてきました。
「死者の書」は、夏休み明けにでも開きます。
所在地:東京都港区赤坂六丁目10番12号
    (江戸城赤坂御門の外、アメリカ大使館宿舎の北に鎮座)
祭神 : 素盞嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命
由緒:
天歴5年(村上天皇 951年)武州豊島郡人次ヶ原において近江国甲賀の郡の僧正蓮林が 麗夢を得たことにより祀が始まりました。以来よく祭事が行われ下って江戸時代、八代将軍 徳川吉宗公が享保元年(一七一六年)将軍職を継ぐに至り同十四年(一七二九)老中岡崎城 主 水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営しました。年あけて享保十 五年(一七三〇)四月二十六日、一ツ木台地から現在地への遷宮、二十八日に将軍直々の御 参拝をもってこの地に鎮座。

境内には
■忠臣蔵で有名になった、遙泉院の実家、浅野土佐守邸跡
■勝海舟ゆかりの四合稲荷
■西行ゆかりの西行稲荷神社
などの史跡が残っています。

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箱根町、賽の河原 投稿者:言蛇 投稿日:2012年 8月15日(水)03時28分10秒 返信・引用
「 なよ竹は 素直ならなむ 空蝉の  
        世にぬけいでむ 力ありとも(明治天皇御製)」
神奈備さま、こんばんわ。
インターネット掲示板上に投げ込まれるマルチ商法なアダルトサイト
宣伝投稿ですが、ある程度の対応をすれば収まることが分かってきま したので報告しておきます。

いったん投稿がはじまるとサブマシンガンのように繰り出される 宣伝投稿ですが、我慢して2−30件ほど反論コメントを付与すると、 その後は、宣伝効果がなくなるのでサブマシンガンのような投稿は 収まります。そのまま放置されると投稿者の営業成績に差しさわり があるからなのか、宣伝投稿が消されることもあります。
掲示板に余裕があるのなら、別レスとして対話記録をコピーして おけば、宣伝投稿が消されたあとも足跡記録が残り継続してダメージ を与えられるので、投稿者のメールアドレスとIPアドレスを控えて野 ざらしにしておくといいです。

なぜ逆援助交際のネット宣伝が性風俗としてもよくないかというと、 第一に、性病を持つ人が性交した場合に歯止めが利かなくなり性病 が拡散していくこと。第二に、風俗業で有料なのに肝心の男女関係 がギスギスしたものになって楽しくないことですね。最後に風営法 違反営業の点も付け足しておきますので、神奈備さまもネット初心 者の方を見かけたらアダルトサイトのマルチ商法の問題点をきちん と説明してくださるよう願います。マルチ商法がなぜダメなのか、 そもそもわかっていない人は多いみたいです。

写真は箱根町湖畔にある賽の河原。
明治政府の廃仏棄却によってできたものですが、アダルトサイト宣 伝者に投げつけるのにちょうどいい岩場なのでシャッターをきりま した。

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足利「芋の森神明宮」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 8月 7日(火)19時06分57秒 返信・引用
神明宮(しんめいぐう)
<通称>芋の森神明宮(いものもりしんめいぐう)
栃木県足利市南大町277
【祭神】大日ルメ命 豐受姫命 (配祀)彌都波能賣命
かつては、
”森と泉”だったようです、
社殿の奥に、湧水、天然記念物「ニホンカワモズク」自生地
弘法大師の「石芋伝説」
直ぐ隣に国道50号(バイパス)、東武伊勢崎線、
再度、訪問してみます。

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Re: ウンジャミ 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 7月 8日(日)11時04分59秒 返信・引用 編集済
言蛇さん、返事が遅れました。

 琉球圏でも神事では神酒を捧げる風習はありますよ〜。島々村々の祭りですね。
 この場合の神酒は、伝統的には乙女の唾液によって発酵させるものなんですけど、家庭では「トゥジ(刀自)=妻」の役目だったでしょうね。
 言蛇さんさんのお気に入りは「残波」でしたか、僕は宮古の「菊之露」ですね。古酒だと「長者の大主」が一番!
 本来、泡盛は神事に登場することはあまりないのですが、与論島や宮古島などに残っている風習からすると、神々と酒を酌み交わす祭事があったと考えられます。
 あと、ハブ酒なんですけど、これは需要が減ってきたように思えますね。せいぜい贈答品でしょうか。
 以下は神々(弥生中期の北部九州人&瀬戸内海人?)との交流を謡ったと考えられる神歌の例 「 "世直し" は神酒そのもので、その容器も同義。"赤椀" は福岡県のスク式土器と考えられ、やまと&やしろは桜井市と京都南部か?」

 *** やまとからくだたるあかわんのゆのーし(大和から下った赤椀の世直し)
     なかむらちうしゃくさびら(中盛らしてお酌しましょう)
     やしろからくだたるくるわんぬゆのーし(山城?から下った黒椀の世直し)
     はたむらちうしゃくさびら(端盛らしてお酌しましょう) *** ※("中盛らし&端盛らし" は
容器の中央も端っこも溢れんばかりにとの意)
写真は、旧暦5月4日の船漕海神祭「糸満ハーレー」の模様と、船魂への神酒を盛る祭壇(沖縄島南部)

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Re: 古事記学会 投稿者:神奈備 投稿日:2012年 6月23日(土)09時08分14秒 返信・引用

>  異論は出ていなかったようです。紀の分類の説は収斂しつつあるのでしょう。
氏の講演時配付資料から。

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古事記学会 投稿者:神奈備 投稿日:2012年 6月17日(日)19時29分39秒 返信・引用 編集済
 皇學館大學非常勤講師 亀山泰司さん
 日本書紀の区分で、森博達さんの分類 α群 β群 があります。歌謡の仮名に カ行の牙音字と喉音字を使う巻をβ群、カ行に牙音字のみを使うのをα群と分類している。この分類はかって、太田善麿氏、西宮一民氏などの分類とほぼ同一。

 天照大神は伊勢大神と日神と言う名で紀に記載されているが、β群はすべて天照大神の表記、α群は伊勢大神と日神のみで、天照大神はいっさい出てこない。また、神名を伊勢大神と書こうが、日神と書こうが、天照大神と書こうが文意には関わり合いがない。

 今後の課題は、何故そのような使い分けがあったのか、またβ群と古事記との近さもあるようで、それらを検討して行きたいとのこと。

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榛名山志 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 6月16日(土)08時07分16秒 返信・引用
榛名山志(国立公文書蔵)

榛名神社の祭神が元湯彦命(ニギハヤヒの孫)であったという根拠なっているらしい。

”満行権現(榛名神社中世以降名)は、元湯彦命という根拠”となっているらしい。

実物は55ページ手書き(毛筆)冊子とのこと、

本書の成立は天明三年(1783)八月は間違いないようです、

筆者は榛名神社の社家の一つので泉蔵坊を称していた佐藤寛雄のようです。

榛名山志

地名大?
榛名山 近世ノ詩人、榛名山ト云へル名ヲ雅ナラストシテ、榛那、榛山、榛嶺、春山、春名、春那、秦名、秦山、椿名、椿山、椿嶺ナト、畧シテ用タリ、
古老相傳ルハ日本紀ニ、神武天皇春二月、祭場ヲ鳥見ノ山中ニ建テ、其地ヲ名ケテ上小野榛原、下小野榛原ト云フ、以テ皇祖天~ヲ祭ルトイフ、
當山ニモ東北ノ嶺ヲ天~壇トト云ハ皇祖天~ノ祠アルユへ也、此地上世ノ祭場ト云ヘリ、然ルユヘニ、上下小野榛原ニ做ヒテ榛ヲ名ツクルト云フ、
先代旧事本紀ニハ背野國秦名~祠トアリ、延喜式ニハ椿名~社トアリ、旧記ニハ春名トカケリ、
本社 祭~三座
 東相殿 饒速日尊
 中 殿 元湯彦命
 西相殿 熟眞道命
  ~傳ハ畧シテ記サス、三~一社號ヲ
 満行宮大權現ト曰フス、人皇二世 綏靖天皇御宇鎭座
 三十二代 用明天皇御宇始建社祭焉
一 ニ吉田ノ説トテ、
 東殿 國常立尊
 中殿 伊弉諾尊
    伊弉冊尊
 西殿 大己貴命
右ノ説甚怪ムベシ、當山ニ貴宮トイフ小祠アリ、古老相傳フ、是當山ノ本主ニテ満行宮鎭坐已前ノ地主~ナリ、
祭~大己貴命ナリト、是非ヲ知ラス、

  舊事大成經
 天照國照彦天火明玉尊―熟美眞味命―元湯彦命―大根命
                      ―出雲色命

□山岳宗教史研究叢書17 修験道史料集〔T〕東日本編 昭和五十八年六月二十日発行 編者 五来 重 発行所 竃シ著出版

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岩櫃神社 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 6月13日(水)13時58分59秒 返信・引用
明治12年神社原簿によれば

上野國吾妻郡原町字城口
無各社 岩櫃神社
祭神 大山?命
本社 間口二尺三寸 奥行二尺
拝殿 間口三間   奥行二間
境内 五百三拾九坪 官有地
境内本社 五社
信徒 三百十六人
明治四十四年大宮巌鼓神社へ合併

岩櫃山(いわびつやま)の麓、岩櫃城跡(天狗曲輪)に鎮座、
字城口(じょうぐち)は、その名残

岩櫃城(いわびつじょう)は郡内一名城だった、岩櫃山(いわびつやま)803M、奇岩、絶壁がそびえ、鶏の頭に似たところから、麓に「鳥頭神社(とっとうじんじゃ)」もあります。

ところで、
あるサイトに、

御祭神 斎藤佐太郎基国命

斎藤佐太郎基国命は関ヶ原敗戦後、昌幸・幸村父子に伴い紀州へ従った275人の一人です。

岩櫃城落城後、斎藤佐太郎基国命は元の領民の安否が気になり、神照坊大天狗と化して岩櫃城へ戻り、旧領地の人民を保護したのだといい伝えられています。

とあります。

思うに、この説は、修験者のもの、ではないかと、

近くで花木の手入れをしていた年配の人に聞きましたが、「知らない」とのことでした。

写真、岩櫃山頂(見晴台から)です。

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Re: 円盤をなげる男 投稿者:神奈備 投稿日:2012年 6月10日(日)19時39分9秒 返信・引用
言蛇さんへのお返事です。
大英博物館、ロゼッタ石の奥にありました。
ローマのビーナスです。入浴を覗き見されている姿とされています。

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Re: ウンジャミ 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 6月10日(日)10時00分21秒 返信・引用 編集済
 写真の続きです。

 親ノロ(神職のリーダー)が首に掛ける定型曲玉は「丁字頭」タイプのヒスイ製(新潟県糸魚川産?)で、弥生時代中期頃の博多湾周辺で製作されたものと考えられます。

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ウンジャミ 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 6月 9日(土)23時49分38秒 返信・引用 編集済
 沖縄島北部のウンジャミ(海人祭)のご紹介です。

 終止、女性達が主導するこの祭りは旧暦7月中旬、沖縄諸島で仕事を終えた神々を奄美の方向へお送りするはずで、一月後の奄美大島では神々をさらに北へお送りします。
 これはたぶん、弥生時代後期の吉備にまで運ばれた「ゴホウラ・スイジガイ」などの貝輪の伝搬と関係するはずです。

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鼻ぐり塚 投稿者:神奈備 投稿日:2012年 6月 8日(金)08時47分39秒 返信・引用
 吉備津神社の東約1kmに福田海本部があります。宗教法人。
 ここの敷地の中に、鼻ぐり塚があります。鼻ぐり、とは牛の鼻に穴をあけてリングを通し、牛を制御するものです。農耕に牛肉に人間に貢献した牛に感謝として鼻ぐりを集めて祀っています。昭和初期からで7百万個を越えたそうです。
 吉備の神社には境内に牛神と彫った石が置かれているのが目に付きます。

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屋敷神 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 6月 3日(日)13時15分29秒 返信・引用
かなり古い社
中にあるのは、恵比寿さま?
ウイスキー(膳)の瓶再利用
「奉榊」とあります、
屋敷神なのでしょうか?

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古代のカマド信仰 投稿者:言蛇 投稿日:2012年 6月 3日(日)00時04分37秒 返信・引用
「蔭草の 生ひたる宿の 夕影に
  鳴くこほろぎは 聞けど飽かぬかも(万葉集2159)」
横浜市歴史博物館企画展「火の神・生命の神」の伽耶式カマドです。
埼玉県武良内遺跡出土の牛角掴手付亀とその底部。
底部には穴が開いていて食材を「蒸す」ことができるようになって います。。

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相模国府関連遺跡群のカマド土器 投稿者:言蛇 投稿日:2012年 6月 2日(土)23時41分30秒 返信・引用
神奈川県平塚市四之宮下郷遺跡群のカマド土器と厚木道遺跡のカマド土器。相模国府関連遺跡では東日本では例外的といえるほどカマド土器が 出土しています。
 竪穴式住居造り付けのカマドにやや遅れて古墳時代中期から持ち運び可能なカマドが朝鮮半島から伝えられました。東日本のカマド土器は西日本ほど多くないものの、竪穴住居の造り付けカマド内から出土した例 もあって注目点はあります。造り付けカマドとカマド土器が並存するということは、日常の火と祭祀の火は用途で区分けされていて区別されて 扱われていたのです。
カマド土器の大きさは餅突きの臼ほどの大きさです。

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火の神と馬 投稿者:言蛇 投稿日:2012年 6月 2日(土)23時33分12秒 返信・引用
 武蔵国分寺や武蔵国府の瓦・煉瓦を焼いていた東京都稲城市の瓦谷戸窯跡では、竈にかかれた馬の絵が全国で唯一出土していて、竈神と馬との関わりを垣間見ることができます。窯跡から陶馬や土馬が出土する例は多く、平安時代の竈やその周辺での出土例は他の遺跡でも見られる。
 中国の五行思想では馬=牛は火に配当され、竈の神である竈公を祭る際に、その乗馬の作り物をささげる風習がありました。そして現代日本でも陶工が窯の火入れに際に「左馬」の文字を書く習慣は残っており、 火と馬の関連はいまでも繋がっているといえます。
この瓦谷戸窯では横浜市域にある都築・橘樹・久良岐の3群が武蔵国分寺の瓦の生産を負担していました。
・・・火の神と馬が組み合わさって、カマドウマという虫の名前が生まれたのか???

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「神奈備にようこそ」