焼畑農耕と火の神・木の神
 

焼き畑農耕
 

 稲作が伝わる以前に、既に、焼き畑の農耕が行われていました。 だから、稲作が比較的速く、東日本にまで浸透していったのです。

 焼き畑農耕は今でも東南アジア山岳地帯で行われていますが、決して、生産性の高い農法ではありません。 また、古代には、焼き畑で作られる作物は稗や粟など、やはり、水稲に比べると生産性の低い作物でした。

 焼き畑が終わると、農地に木を植えて森に戻してやるようにし、新たに農地を求めて次に移ります。これは一つの文化と言えます。

 「火」、「穀」、「木」の循環です。これは、記紀の神話の中にも出てきます。記紀神話ができあがって来、まとめられた時期にも、焼き畑農耕は続いていました。 いや、つい最近まで、行われていました。


燃え上がる(日本民族文化体系「稲と鉄」から)


耕す風景(日本民族文化体系「稲と鉄」から)

 

古事記の伊耶那岐命と伊耶那美命

  伊耶那岐命と伊耶那美命は国生みを終えました。更に、家屋の神の大屋毘古の神など、海の神の大綿津見の神、水戸の神の速秋津日子の神など、合わせて十神を生みました。 水戸の神々は海水の神、清水の神、水分の神、水汲みの神の八神を生みました。

 伊耶那岐命と伊耶那美命は次に、風の神の志那都比古の神、木の神の久久能智の神、山の神の大山津見の神、野の神の鹿屋野比売の神またの名を野椎の神、合わせて四神を生みました。大山津見の神と野椎の神は山野に霧がかかった様を表す八神を生みました。

 伊耶那岐命と伊耶那美命は次に、楠の舟の神の鳥の石楠舟の神またの名を天の鳥舟、次に穀物の神の大宣都比売の神を生みました。

 穀物の神を生んだ後、火の神の火の夜芸速男の神を生みました。またの名を火の毘古(かがびこ)の神、また火の迦具土の神と言います。

 この子を生んで、伊耶那美命は御陰を焼かれ、病みます。吐瀉物から鉱山の神の金山毘古・金山毘売の神、屎から埴土の神の波邇夜須毘古の神、尿から水の神の弥都波能売の神、次に、若い生産力の神の和久産巣日神がなりました。この和久産巣日神の子を穀物の神・御食津の神の豊受気毘売の神と言います。

 それから、伊耶那美命は神避りました(なくなりました)。

 焼き畑農耕を行う為の道具立ての神々が揃い踏みです。水があり、木の生えている山の野があり、穀物の種があって、初めて、火をかけて畑にします。そこに若い生産力があって、食物が実ります。 

 この様に、伊耶那美命は大地の神(地母神)の性格を持っています。また御陰から「火」が生まれるのは、火山の記憶でしょうか。それとも原始金属製錬の所作と重ねられたのでしょうか
 
 

日本書記の伊弉諾尊と伊弉册尊
 一書(第二)

 日と月の後、蛭子が生まれ、次に素盞嗚尊が生まれました。(中略)

 次に火の神の軻遇突智を生みました。そのとき伊弉册尊は、軻遇突智のためにやけどをして、お亡くなりになりました。その亡くなろうとされる時に、横たわったまま土の神埴土姫と、水の神罔象女神を生みました。 軻遇突智は埴土姫をめとって稚産霊(わくむすひ)を生みました。この神の頭の上に蚕と桑が生じ、臍の中に五穀が生まれました。 

  火の神に続き穀神が生まれる神話を、煮炊きに絡めて解釈する方もおられますが、狩猟・採取の時代にも炙るとか焼く事はなされていたと思われます。 やはり、焼き畑農耕の時代に入って栽培の時代となり、文化的変革が大きく、神話誕生のきっかけともなったのではないでしょうか。

 日本書紀のこの段では、素盞嗚尊が誕生してから、火の神が生まれ、伊弉册尊がなくなる、と言う順序になっています。 素盞嗚尊には、木種神話があります。 
 
 

日本書紀の木種播殖神話
 一書第四


 


  天照大神の岩戸隠れの後、素尊は高天原を追放されます。 その後、素盞嗚尊、其の子五十猛神を帥いて新羅国に天降り、曽尸茂梨の処にいました。 そうして「此の国にはいたくない」と言われました。そうして埴土を使って舟を作り、東に渡りました。 (大蛇退治の話 中略)

 初め、五十猛神、天降る時に、多くの樹種を持って降りました。しかし韓国には植えず、全部持ち帰りました。 筑紫(九州)からはじめて、大八州国(日本列島)に播き、青山とならない所はありませんでした。

 このゆえに、五十猛命を称して、有功の神とします。紀伊国に坐す大神はこの神です。

 この神話の主の素盞嗚尊の誕生の物語が、焼き畑農耕の神話以前に語られていると言う事は、焼き畑で荒れてしまった山地の回復のために、単に放置しただけではなく、積極的に植林が行われた事を物語っているのでしょう。 



登場する神々を祀る神社例

伊耶那美命 三重県熊野市有馬町130-3 花窟神社

大屋毘古神 長崎県上県郡上対馬町大字小鹿字大浜520番地 那須加美乃金子神社

大綿津見神 長崎県壱岐郡郷ノ浦町渡良溝1349 和多津美神社

速秋津日子神 長崎県壱岐郡勝本町立石布気字明神440-1 水神社

志那都比古神 大阪府南河内郡太子待山田3778 科長神社

久久能智神 兵庫県西宮市山口町下山口字大弓201 公智神社

大山津見神 愛媛県越智郡大三島町宮浦3327 大山祇神社

鹿屋野比売神 徳島県板野郡上板町神宅字宮ノ北45 葦稲葉神社(鹿江比賣神社が合祀)

天の鳥舟 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89 船玉神社

大宣都比売神 徳島県徳島市一の宮町西丁237 一宮神社

迦具土神 和歌山県和歌山市鳴神1089 香都知神社(鳴神社)

金山毘古神 岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1 南宮大社

金山毘売神 大阪府柏原市雁多尾畑4828 金山媛神社 

波邇夜須毘古神 滋賀県高島郡新旭町饗庭3363 波爾布神社

弥都波能売神 奈良県吉野郡東吉野村小968 丹生川上神社中社(蟻通さん)

和久産巣日神 奈良県桜井市穴師町1065 卷向坐若御魂神社

豊受気毘売神 奈良県橿原市一町南常門打鳥居502 稲代坐神社

素盞嗚尊 和歌山県有田市千田1641 須佐神社

五十猛神 和歌山市伊太祈曽558 伊太祁曽神社

焼畑の祭礼の画像のあるサイト
いのちかがやく森林文明郷・椎葉 by 国土庁

中国雲南の焼き畑を耕す民
オリザの環 中国雲南「稲の民」 by 河北新報社 東北仙台

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