稲荷神社
大阪府泉南市信達市場1471番地 its-mo

  鳥居

祭神 豊宇気毘賣神

由緒

  『大阪府全志』から
 天仁元年(1108)伊勢神宮外宮からの勧請。中世の沿革は不明。明治末期には牛神社、梅宮神社(赤井神社)を合祀した。

 ここは市場村と云われたのは江戸時代に商業の中心地となり、年末には歳の市が開かれ、正月用品の買い入れに近在より人々が集まり、大いに賑わったと云う。
 市場村の前には御所村とよばれていた。熊野詣でを行う後鳥羽院白河法皇等の泊まる仙洞御所があった故である。

鳥居と拝殿

  南面する。拝殿の東側は西側の倍の長さがある。
 本殿の近くに大きい楠木があるが、何故か手前の楠木に注連縄がなされていた。

本殿

 祭礼 10月 9日 例大祭

平成祭礼データ

 主神 豊受姫大神は第七十四代鳥羽天皇の御代天仁元年(皇歴千七百六十八年)に伊勢外宮より御観請して斎き祀る
 配神 赤井神社(又は梅の宮)は淡輪文書にあるまぼろしの大巨刹仏性寺の守護神であった仏性寺は織、豊、の根来攻めに焼失したと云われ後年大阪府史蹟に指定され現在跡地に碑が建立されている
 配神 牛神神社は牛の守護神で毎年七夕の早朝農家はそれぞれ牛を追うて参拝するをならわしとしていたが現在市内一頭の牛もなくこの風習は廃絶した

 鎮座地 市場村の由緒
 信達市場は当時日根郡信達荘御所村と称され遠く平安朝天皇家貴族を始めとして一般民衆の間に熊野詣でが盛んに行われその際の宿所となり特に後鳥羽院白河法皇等熊野への行幸のみぎり止宿される仙洞御所のあった故を以て御所村と云われた、後世江戸期より信達荘(泉南市の大半)の商業の中心となり特に毎年年末に村内の往還数丁にわたって歳の市が開かれ正月用品の買入れに近在より人々が集まり賑わいがあり御所村を市場村と改めたこの歳の市も戦中以後廃絶した

以上


稲荷神社参詣記録

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