蔵人 稲荷神社
大阪府吹田市豊津町38-1 its-mo

祭神 保食大神 (配祀)天照大神 豐受大神

摂社 八幡宮「應神天皇 神功皇后 武内宿禰」
辨天宮「市杵嶋姫命 大國主命 事代主命」


 地下鉄御堂筋線江坂駅西へ800m、名神高速道路の北に鎮座する。木々が多く、広々としている。

 創建の年月は詳らかではない。字名から蔵人稲荷大明神と呼ばれている。『豊島郡誌』に、「姓氏録摂津諸蕃に、蔵人、坂上大宿禰同祖、阿智王之後也、蔵人は武庫郡の著姓なり、この地も阿智王を祭れるにや」と記されている。字蔵人の伝説には、往時は清林庵と言う宮寺があり、社僧これに奉仕し、当地隣地がその跡という。 

拝殿

 境内の説明から。

 当社は主祭神に 穀物・食物の神「保食神」をお祀りし、蔵人地域の鎮守の神として創建以来、広く住民の崇敬を集めて来ました。
 この地域は、北に千里丘陵があり、南には東西に流れる神崎川の堤がさえぎり、東側に糸田川、西側に高田川と千里丘陵から流れる雨水を神崎川へ導く築提で四方を囲まれた地にあります。わたしたちの祖先は、古来から水と深くかかわりをもち、幾多の水難を克服しながらも、稲作を生業として暮らしてきました。
 五穀豊穣を祈って「保食神」を主祭神にお祀りした祖先の願いが伝わってくるようです。
 元禄五年(1692年)に書かれた「榎坂村蔵人村寺社御改帳」に、「神社の勧請年暦は久遠のことでわからないが、今は境内に御本殿・拝殿・鳥居・宮道が揃った神社である」と記されています。このことから、当社は蔵人の村が成立したときからお祀りされるようになり、十七世紀に後期(第五代将軍徳川綱吉の頃)には、すでに 現在のような景観を成していたと思われます。
 神社には、創建当初から近年まで、神職は不在で、氏子が順番で神役を務めたとされ、また、社殿などの維持・管理は、氏子から寄進された宮田からの年貢や氏子の割り持ちの寄金によって運営されてきたことが、記録に残されています。
 さらに当地は江戸末期まで、旗本森氏三家が支配するところとなっていましたが、この三家は、神社への崇敬の念篤く、毎年御供米の献上がなされていたとの記録がありまた、氏子が森氏の武運長久を祈って奉納した絵馬が現存するなど、古い時代の政の一端を今に残しています。

本殿

辨天宮  八幡宮
 


お祭り

春期大祭 5月15日 
例大祭 10月第3日曜日

稲荷神社参詣記録

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