湊川合戦の折り、楠木正成公は堤防上に立っていた松の大樹を目印に一族郎党の集合を命じ、一同が身につけていた神仏の護符が血に汚れるのをはばかって、その松の木の根元に祀られていた稲荷の祠に納めたという。
その松の木は、大正三年の社殿を造り替える時に切られ、残っいないが、正成公ゆかりの松という訳でこれに因んで松尾稲荷という社号になった。
当社は、戦前まで福原遊廓に近く、昼夜を問わず多くの酔客・芸妓の参詣で賑わっていた。そのせいか「提灯もちのお稲荷さん」とも呼ばれ親しまれていた。
又、当社には、ビリケン様というアメリカ渡来の福の神が祀られている。これは、1907七年アメリカの女流彫刻家が、夢に見た福神を制作したものが世界的に流行したもので、キューピーのモデルともいわれている。当社に祀られているものは、大正の中頃に本物をまねて日本で作られたもので、米俵の上に腰をおろし、右手に打出のコヅチ、左手に瑞玉を持ち、背中に大判を背負うという和洋折衷のビリケン様である。
鳥居は朱、石、朱、石と並ぶ。本殿は暗い室内に鎮座、その周辺に摂社の小祠が所狭しと並ぶ。神仏混淆の匂いがする。ダキニ天が祀られているのだろう。
拝殿
本殿
ピリケンさん
お祭り
7月 22日 例祭 |