『京都伝説散歩』(京都新聞社編)から
市電(今は市バス)熊野神社前で下車。東に百メートルばかり歩くと、左手に大きく、あでやかなお稲荷さんがある。
♪京の風流キツネほ碁の好きな宗旦キツネと琴の上手なお辰キツネ…・
で、名高い聖護院の森の、御辰稲荷である。宝永年間、東山天皇の側室・新崇賢門院の創祀である。
社伝によれば、ある夜、新崇賢門院がやすんでいると、夢枕に白キツネが立って、
「禁裏御所の辰(東南)の方角に森があるから、そこに私をまつっておくれ。夢、夢、疑うことなかれ」
と、お告げを残してドロン。新崇賢門院、翌朝起き出すと、たずねた。なるほど森があった。人に知られた聖護院の森である。さっそく、小祠をたてた。キツネのお告げが辰の方角であったので、ほこらは″御辰稲荷″と呼んだ。
江戸時代にはいって隆盛、御辰の″辰″は達成の″達″に通じると、願望成就に人々の信仰を集めた。そんなころのお話である。
御辰神社
白川橋のほとりに貧しい夫婦が住んでいた。夫は野菜を売り歩き、妻はきょうはこちら、あすはあちらと子守りに呼ばれて家計を助けた。
妻は御辰稲荷を深く信心していた。
「いつかしあわせがきますように・・・」願いはいつも同じだった。そして、ある日、百日の願をかけた。
満願の日だった。
お参りを終わって、ホッと安心したのか、妻はいつしか境内でウトウト。どれほど時間がたったろうか。妻はえり首に冷たい凰の吹き込むのを感じて目をさました。と、右手になにやら堅い感触がある。開いて見れば、真黒の小石である。
「きっとお稲何さんが授けてくださったにちがいない」
妻は石を持って帰ると、神ダナにまつった。そのうち妻は身ごもって、玉のような女の子を産んだ。女の子は美しく成長した。そして、ある大名の目にとまり、お部屋さまとなった。
「これもお稲荷さんのおかげじゃて・・・」
貧しい夫婦はしあわせに暮らしたという。
福石大明神
福石の伝説は、人々の間に広く伝わった。真黒のの石を持ってはたずね、幸運を祈願した。この風習はいまも続いている。
御辰稲荷はもともと、聖護院の森、つまり、いまの丸太町通の市電軌道内にあったとか。そはに大きな松の木があって天然記念物に指定されていたそうだが、大正八年、風害で倒壊。以後、市電の軌道がひかれ、いまの地に位置した。聖沸護院の森を通ると、お辰キツネの琴の音がするといわれた、さみしい森もいまはしのぷべくもない。
祭礼 5月 3日 例大祭 |