尾張三河の五十猛命

春日井市上田楽町3,454 伊多波刀神社

名古屋市中区栄1−31−25 洲崎神社

岡崎市能見町42−1 神明宮

豊橋市大山町東大山18 塩釜神社

稲沢市矢合町城跡2,491 三社(さんしゃ)

津島市神明町1津島神社



 
 
 

 伊多波刀神社
春日井市上田楽町3,454 ゼンリン



交通案内
JR中央線春日井駅と名鉄小牧駅間のバス南町屋下車北北西10分 (田楽 たらく)

祭神
五十猛命 *1 

 神社の説明では祭神は高皇産霊命、品陀別命、息長足姫命、玉依姫命、大山祇命、市杵島姫命、伊豆乃売命の7神である。
 愛知県歴史散歩によると素戔嗚命等数神となっている。*2

由緒
 大山祇命、市杵島姫命、伊豆乃売命を祀っていた田楽権現を八幡社に合祀したとされている。従って、素戔嗚命や五十猛命が祀られていた元の社が八幡社に代わり、そこに田楽権現をまとめたものと想定できる。 尾張の地は豊かであるだけに、争乱が多く、由緒が分からなくなったり、また祭神の交代があったのだろう。

お姿
  参道は長く、鎮守の森にはウバメガシなど多い。近くの鷹来小学校の校庭の楠木も見事である。


社殿も荘厳で地元の信心が篤い。

式内社調査報告 第八巻 尾張國春日部郡 伊多波刀神社


 【社名】諸本は、「イタハトノ神社」とよむ。『尾張本國帳』は「板鳩」、『國内神名帳』は、「板鳩天神」と書 かれてゐる。音からくるあて字と思はれる。異稱とはみられない。

【祭神】 社傳によると、高皇産靈命、譽田別尊、息長足姫命、玉依姫命を祀り、大山紙命、市杵島姫命、伊豆能責 命、品陀別尊を合祀してゐる。『特選神名牒』では、高皇産靈命の名はみられない。

 【所在】 春日井市上田樂(たがら)町三、四五四番地(東春日井郡鷹来村大字田欒字宮杢ニ、四五四番地)。
 名鐵バスセンターより、名鐵春日井驛揮下未経由小牧行バスに乗車。五〇分。バス停上田欒下車。徒歩西五分。 【由緒】 景行天皇四十二年創祀の社傳をもつ。『神社明細書』に、「往古ヨリ味岡庄十七ケ村總産土神と尊崇スル式内 ノ社ニシテ、中古慶長年間地檢ノ際マデ、地所五町八反ノ神領アリシニ、其際官没サレシ由、今猶古老ノ口碑二存ス」と あり、中世から近世初頭こかけて隆盛した神社である。中世から近世初頭の武士の尊崇あつめてゐた。源頼朝の寄進の社 傳、織田信長の寄進などがみられた。
 また、「板鳩」といはれるのは、板に鳩を畫いて奉納することによつたものである。石清水八幡宮の神の使いとし ての鳩からの連想で、中世の武士の信仰を集め、隆盛した。神宮寺として、常念寺があつたが、現在は廃寺となつてゐる 。
 神階、従二位。明治三年、郷社に列せられ、昭和二十一席二月十日付で縣社昇格認定された。『神社明細書』によ  る。

【神職・氏子數】 林達也宮司が奉仕されてゐる。氏子數は一、七〇〇世帯である。

【祭祀】 例祭日、陰暦八月十五日。當日、神事として、流鏑馬を行つてゐた。各々社僧常念寺にて甲胃を着け、夫 より社僧を初め、流鏑馬三騎に乗馬にて参詣し、様々に神拝の式ありて後、一の的にて神主祈念あり、次て流鏑馬を行つ てゐた。(『東春日井郡誌』)戦前、行なはれてゐたが、現在は、廃絶してゐる。

【境内地】 三、八五一坪。

【社殿】 本殿・渡殿・祭文殿・拝殿をもち、長い参道を備へてゐる。本殿は、八幡造である。昭和二十六年に、本 殿屋根振替、正遷宮を行つてゐる。
 境内社として、津島社、天照大神社、豊受社、熊野社、秋葉牡、白山社、熱田社、愛宕社、多度社、山王社、大日 靈社、菅原社、御靈社、淺間社、建部社がある。参道入口にみられる神明社は、境外社であつたとされてゐる。

【寶物】 
 棟札、寛永十一年より、約二十年おきに再興を記した棟札がみられる。
 兜面頬小手共 紺色威 一箇(春日餘定作)織田信長寄附せしものといはれる。
 木太刀 一口。柳生兵助入道が御前試合に使用した木太刀がみられる。
                 (釼持悦天)


*1 古代の鉄と神々(真弓常忠)学生社
*2 愛知県の歴史散歩(山川出版社)

 洲崎神社(すざき)
名古屋市中区栄1−31−25 ゼンリン



交通案内
名古屋駅東南1500m

祭神
須佐之男命、稲田姫、五男三女神(五十猛命など)
配神 布都御魂命

由緒
 往古この智は入江であり、地主神の石神が祀られていた所に、貞観年中859年、出雲の稲田宮より素盞嗚尊が遷座・奉斎されたと伝えられる。

 牛頭天王社、廣井天王社と呼ばれた。
 五十猛命を奉ずる人々は紀の国から、武蔵、伊豆、飛騨等に入植していったのである。

尾張では春日井市の伊多波刀神社にも五十猛命が祀られている。

お姿
 西側に神社の木々よりはるかに高いマンションが建ち、前の東は高速道路である。町中の一角に鎮座しているが、境内はさすがに静かな雰囲気である。


鳥居



お祭り
夏季大祭  7月の第3土曜日神事名 神事は石神鳥居くぐり

 神明宮

岡崎市能見町42−1 ゼンリン



鳥居



交通案内
東岡崎駅の北1500m



祭神
天照皇大御神 合祀 萬幡豊秋津姫命、手力男命、豊受姫命、須佐之男命、市杵嶋姫命、五十猛命


拝殿



由緒
 神明宮の創始は不詳。
 大正年間発行の『岡崎市史』には「伝承によると、もと材木町字久後に鎮座していた稲前神社を天正十八(1590)年、岡崎城域拡大に伴い、現在地に遷座したも」との趣旨のことが記載されている。
 稲前神社は三河国額田郡の式内社二座の一であるが、現在の有力な論社は稲熊町の稲前神社である。此の地は伊勢神宮の神領地であり、奉納する稲を入れておく神倉があったと伝わる。 他に上青野に稲前神社があるそうだが、未確認であるが、この三社の関係は不明のようである。材木町久後の地は宮元と云い、最も古い氏子としていることなどもあり、論社とできようか。

 ほかに『三河国名勝志』には、源頼家将軍の頃に、疫病封じのために、能見村累代の旧家の加藤新蔵、近藤九兵衛らが神宮を勧請したと云う伝説を残している。
 寛永二(1749)年社殿を再建、明治五年には村社となる。
 明治四十二年には拝殿が改築、大正十三年には境内の御鍬社、津島社、厳島社、稲荷社などを合併し、社殿、渡り殿、神楽殿、社務所、石鳥居などが建立されている。



お姿

 松王寺の後方の北東、伊賀川の南岸に近い低い台地に鎮座。 また近くの善光寺には「ぼけふうじ善光寺」の看板があった。

 境内では近所の子供達が夢中で遊んでいた。ほのぼのとした空気がただよう。境内左右には山車の格納庫が立ち並ぶ。岡崎では有名な祭礼であった。

社殿



お祭り
 3月15日  祈念祭(春祭り)
 5月第二土曜日  例大祭 前日祭
 5月第三日曜日  例大祭 神幸祭
 5月第三月曜日  例大祭 終祭
 6月30日  夏越の祓い 茅の輪くぐり

 塩釜神社

愛知県豊橋市大山町東大山18 ゼンリン

鳥居



交通案内
豊橋市駅前からバス大山

祭神
國常立命、怒猛神
配 猿田彦命、太田命、氣多命、奥玉命

由緒
 創始は不詳。由緒も不明。

 怒猛神を五十猛命と見なしたのは、五十猛命は勇猛神などと呼ばれる場合があり、可能性があろうとした。
 肥前国杵島郡に鎮座する妻山神社「祭神 抓津姫命、抓津彦命」の神体山を勇猛山と称する。 また、豊前国下毛郡の貴船神社の祭神は「たかおかみ神 合 天御中主命、勇猛神」とあり、神社本庁の『平成祭礼データ』では五十猛命で検索すると勇猛神は出てくるが、 実は怒猛神は出ないのである。今のところ、怒猛神の名はこの神社にしか見えない。

 怒猛神をして植樹神の五十猛命と見なしたのは、塩釜神社とは海水を煮詰めて塩を採取するに燃料の木々を大量に消費し、植樹し、すこやかな木々の生育を願ったからなどと想像している。

お姿
 瓦葺きの社殿で、境内は比較的広い。

 大山町は旧の草間村であり洪積世台地の地である。豊橋駅からのばすで大山に向かったが、途中に高師口と云う停留所があった。 高師山という山もあり、高師小僧が採れたようである。高師小僧とは褐鉄鉱質団塊で含水酸化鉄が樹根や蘆の根元の沈殿する、あまり良質でない鉄資源である。 高師の地名は大阪にもある。また高足、高蘆などとも記す。

社殿



お祭り
 4月3日    祈念祭
11月3旬    例祭

 三社(さんしゃ)
愛知県稲沢市矢合町城跡2,491 ゼンリン


鳥居


交通

国府宮駅から矢合観音行きバス終点すぐ



祭神

大屋津比賣命


社域



由緒

 矢合(やわせ)観音に道を隔てて鎮座。観音との関連は未調査。

 矢合観音は「十一面観音像」で、病気や怪我を治すと云うご利益と、井戸水で、近隣の信仰を集めている。


祠と石段



お姿 

  小さい林の中の土が盛られた上に鎮座している。 東向き。

お祭り


 
 9月17日 例祭

 

 津島神社
愛知県津島市神明町1 mapion

南の鳥居


交通案内
津島駅西10分 


祭神
建速須佐之男命 配祀 大穴牟遲命


摂社

居森社「須佐之男命幸御魂」

大屋津姫社「大屋津比売神」

手前から荒御魂社「須佐之男命荒御魂」
大屋津姫社「大屋津比売神」
瀧之社「弥豆麻岐神」

熊野社「伊弉冉尊」
八柱社「五男三女神」
その他多数


由緒
 欽明天皇元年(540)の鎮座と社伝にある。 弘仁元年(810)日本総社の号を得た。
 全国の天王社の総本社、分社は約3000と言う。

 当社とか京都の八坂神社は所謂式内社に列せられていない。石清水八幡宮もそうだが、仏教の匂いがつよい社、僧侶が取り仕切っている社、生ものを祭壇にささげない社は神社とは見なされず、 寺院とされたのであろう。 ただ、摂社の弥五郎社を海部郡の式内社の国玉神社の論社とする意見がある。

 居森社は最初に祭神が対馬より来臨のおりの鎮座地との伝承がある。『日本書紀』に「素盞嗚尊は、その子五十猛神をひきいて、新羅の国に降られて、曽尸茂梨(ソシモリ)の所に居いでになった。」とあるので居森社と言うとあるが、多分にこじつけ。
 尾張大国霊神社にも居森社がある。祭神は素盞鳴命。豊橋市花田町の羽田八幡宮にも居森社が鎮座、津嶋幸魂命を祭神とする。素盞嗚尊であろう。
 五十猛命の本社である紀の国伊太祁曽神社の元社を亥の森と言う。偶然ではなさそうだ。 愛媛県宇摩郡土居町鎮座の伊太祁神社の祭神を国魂飯神と言い、五十猛命であり、かつ飯族の祖神としている。飯盛山や飯盛の地名と五十猛命とも関連がありそうだが、妄想段階。

拝殿

 摂社の大屋津姫社がある。祭神は大屋津比売神である。『日本書紀』では、素盞嗚尊の御子で、抓津姫命とともに五十猛命(大屋彦神)の妹(妃か)とされる。大屋津比売神が祀られているのであるが、五十猛命、抓津姫命が祀られていないのは解せないのであるが、社務所で問い合わせても、摂社についての伝承や文書は残っていないようだし、現状の並び方が往古のままではなく、集合整理されているようだ。瀧之社「弥豆麻岐神」、大屋津姫社「大屋津比売神」、荒御魂社「須佐之男命荒御魂」と並んでおり、伊太祁曽のタキ、もしくは素盞嗚尊荒魂が五十猛命かもなどと思ってしまうがこれも妄想。

本殿

お姿
 名鉄津島駅から西にまっすぐの参道を行く。 東に向いた大きい鳥居と楼門が見えてくる。手前に神木の大銀杏。
 広い境内と大きい社殿で、社叢は結構あるのだが、朱色の社殿が目にしみる。 本殿の背後に回ると流石に人もいなく、落ち着いた神社らしい雰囲気。壮大な本殿を写す。

本殿

お祭り

 7月 第4土曜日 津島天王祭 宵祭
 7月 第4日曜日 津島天王祭 朝祭


参考 『日本の神々』『平成データ』、『神社の栞』


五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ