佐麻久嶺神社
福島県いわき市平中山宮下81

鳥居 ここから急な石段を登る。


交通案内
いわき駅東南4km its-mo


祭神
五十猛命


由緒
 陸奥国磐城郡の式内社。『式内社調査報告十四巻』で阿倍徹氏は、神社明細帳に記載の通り、紀伊国名草郡の伊太祁曽神社の祭神を勧請したものとされる。
 元禄二年(1689)の当社由緒書には「当社神霊は紀州日前神社一躰分神にして三所国懸大明神是也」とある。これに対しては日前・国懸神宮の祭神は、日像鏡と日矛鏡であって、明らかに誤記であるとされ、さらにこれ以後の文献はほとんど同じ誤りをしていると指摘される。

拝殿

写真御提供 再建にあたった(有)福住 加藤彰氏

 祭神については五十猛命で揺れがない訳ではないが、とりあえず元社探しの問題であるが、勧請の年代が不明と云う所は残るが、東国まつろわぬ蝦夷の地であり、五十猛命が勧請されたのは軍船の守護神か軍の先頭に立つ武神としてであろうゆえ、伊太祁曽神社からの勧請でいいのだろう。


 ただ、日前国懸神宮そのものは万代浜に鎮座していた伊太祁曽神社を追いやって鎮座した神々であり、日前国懸の神は紀の国の神ゆえに伊太祁曽の神と思われていたはずであり、伝承の混乱はやもうえない所がある。また三所国懸大明神と云う表記の意味が判りにくいが、紀伊三所明神と呼ばれる式内大社三社が鎮座、その内の伊達神社の祭神も五十猛命とされる。

社殿

写真御提供 (有)福住 加藤彰氏

 ついでであるが、日前神では海から漂着して祀られている事例が加古川市の泊神社等に見られるようで、当佐麻久嶺神社の神が中屋磯に赴き、潮垢離をとる「潮后降り」の祭礼から見ると、海からの漂着神であろうゆえ、日前神であっても矛盾はない。
 なお、伊豆の熱海では五十猛命が漂着している伝承がある。

半間社流造の本殿

写真御提供 (有)福住 加藤彰氏

お姿
 遠路はるばるの参詣であったが、社殿は工事中。 小丘上の巨杉のみが印象に残った神社。

 磐城平藩主内藤氏は式内社の隠滅を嘆き、調査させて当社を磐城郡七座のうちの佐麻久嶺神社と定めた。

神木の杉 樹齢千年以上 いわき市天然記念物

お祭り

 5月 4日、5日  例大祭

参考 『式内社調査報告』、

h16.7.10 h18.4.5


五十猛命ホームページ
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