壬神社(みずのえ)
対馬市上対馬町泉字在所1417番地 mapfan

鳥居



交通案内
対馬空港からタクシー



祭神
 志古島神社 火雷命、猿田彦命 摂社 今宮神社 五十猛命
 舌崎神社  宗盛國、宗盛也


由緒
 社頭掲示から。
 壬(みずのえ)神社はもとより火徐(ひよけ)権現社であったが、大正三年神社昇格のため、志古島社と舌崎大明神が合祀され村社となった。

 室町時代嘉吉元年(1441)豊崎郡主・宗盛国は弟盛世と共に太宰府小弐武藤氏に味方し、足利将軍に属する大内氏と戦い、筑前春日山にて壮烈な戦死を遂げた。その時盛国の軍扇が舌崎海岸に流れ着いたと伝えられている。

 境内には神功皇后身ごもりの身を憩い給える「腰掛岩」が遺跡として存している。  上対馬町の自然と文化を守る会

 『対馬神社誌』から
 志古島神社
 旧村社 泉字志古島鎮座
 祭神  火雷命、猿田彦命
 由緒  此の島古の辺要の地なり 此の神を祀りて海上導の守護神とす 古より国主造営の社なり 明治七年六月社格村社に列せらる
 社殿  神殿
 境内摂社 今宮神社 祭神 五十猛命(素盞男命の御子なり) 

 舌崎神社
  旧村社 泉字舌崎鎮座
  祭神  宗刑部少輔盛国、宗兵部少輔盛世
  由緒  豊崎郡主宗刑部少輔盛国、豆酸郡主宗兵部少輔盛世少弐氏の為に大内氏と筑前春日山に戦ひ勝利を失ひ兄弟共に討ち死にす これを以て宝徳元年(1751)上県郡舌崎に社を建て盛国盛世の二霊を祭り舌崎大明神と号す 古は国王の造営の社なり 明治七年六月社格濡羅社に列せらる 昭和三年此の地に遷座す。

 『長崎県の地名』には、「貞享三年(1686)の『対州神社誌』に、今宮、志古島大明神、志多崎大明神、大悲権現、大嶽、地主、山房、太曽が記されている。」とある。

拝殿




お姿
 長い岬の舌崎と無人の聖地で志古島に囲まれた波静かな浦が広がる。海岸の在所の山際には弥生前期の遺跡がある。有柄式磨製剣が出土している。

 この神社はタクシーに乗って走っていると曲がり角で突然目の前に現れた神社である。 近辺に志古島神社があることは承知していたが、それが合祀されたかたちで現れたのは不思議な気がした。但し、志古島と云う島もあり、今宮神社までもこの神社に合祀されているかどうかは不明。

 神功皇后の腰掛け石を探したが、それらしい石が三個あったが、座るのに良さそうなのは一つ。

本殿



お祭 

参考 『長崎県の地名』


五十猛命ホームページ
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