きのみや、伊豆の五十猛命

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小田原市早川 紀伊宮神社(木宮大権現)

足柄下郡真鶴町 貴船神社(貴の宮明神)

熱海市西山町 来宮神社 

熱海市 網代 阿治古神社

伊東市鎌田 火牟須比神社(来宮明神)

伊東市宇佐美 熊野神社

伊東市八幡野 八幡宮來宮神社

賀茂郡東伊豆町 志理太乎宣神社(来宮)

賀茂郡河津町 杉鉾別神社(来宮)

賀茂郡南伊豆町加納小字矢崎 黄宮

賀茂郡南伊豆町下賀茂桶詰 日ヶ原来宮神社

田方郡韮山町奈古谷 国清寺鎮守(来宮明神)

田方郡中伊豆町冷川 来宮神社

田方郡中伊豆町八幡 来宮神社

田方郡中伊豆町城 山神社

沼津市我入道 木宮地蔵権現

富士市吉原 木の宮

東京都三宅島伊豆村木ノ宮山(木ノ神社)


 来宮神社
熱海市西山町 its-mo


交通案内
伊東線来宮駅 北すぐ

祭神
大己貴命、五十猛命、日本武命

由緒
 古くは来宮大明神と称し、明治維新後は阿豆佐和気神社と称した。式内阿豆佐和気神社の論社である。
 熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、福の神・縁起の神として古くから信仰され祭典は、左の三柱である。
 五十猛命は素盞嗚尊の御子神とされ、尊と共に朝鮮に渡り、樹種を持ち帰り日本国土に播種した神である。当社へは和銅三年六月にまつられた。

 今から凡そ千三百年前の和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、一株のボク木の根がかかった。 漁師はそれを海に捨てたが、幾度もかかった。不思議に思った漁師がよく見ると神像のようにも見えたので、近くの田の畔の松の木の下に置き、麦こがしをお供えして家に帰った。 するとその夜の漁師の夢枕に神様が現れ、「我は五十猛命であるが、波の音がはなはだ耳ざわりである。 これより西方の山地に七株の楠の木があり、そこは波の音の聞こえない静かな所だから、その地に祠を立ててわれを祀れば、この里は永く栄えるに違いない。」と告げられた。 そこで目が覚めた。漁師は驚き、朝早く昨日網に入ったボクを見に行った所、神様の思し召しにかなったのか麦こがしは見えない。 漁師はそのボクを、夢のお告げの場所に運んだ。今の来宮神社の位置である。

 樹木信仰に漂着神伝説を伴っている。
 これはまた、こがし祭の由来譚である。祭りには猿田彦神が麦こがしを播きながら先導する。

 国の天然記念物に指定されている大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神を祀ったいわゆるヒモロ木神社である。

 大已貴命は素盞嗚命の御子であって又の名を、大国主命、俗に「ダイコク様」と云われ古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、此の熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い此処に住居を定めた時祀られたと伝えられている。

 日本武尊は人皇第十二代、景行天皇の御代、御東征に出陣せられ、箱根路から、此の地に軍を進められた時、住民を労り、産業を奨励した功績と、武勲を称えたゝめまつられたと伝えられる。

お姿
  境内は広い。楠木の古木が鳥居近くや本殿近く等に多くある。参詣者が多い。


拝殿


樹齢2000年の大楠



お祭
 5月 5日  大楠祭
 7月15日  例大祭
 7月15日  例大祭 神幸祭

平成祭礼データから

 古くから来宮大明神と称し、熱海郷の地主の神であって来宮の地に鎮座し、福の神・縁起の神として古くから信仰され祭典は、左の三柱である。
 @大已貴命は素盞嗚命の御子であって又の名を、大国主命、俗に「ダイコク様」と云われ古代出雲の神々が海、山を渡られて伊豆地方に進出されたときに、此の熱海の里が海、山に臨み、温泉に恵まれ風光明美にして生活条件の整っていることを愛し給い此処に住居を定めた時祀られたと伝えられています。
 A五十猛命は素盞嗚尊の御子であって、尊と共に朝鮮に渡られ、樹種を持ち帰り日本国土に播種した神であります。当社へは和銅三年六月にまつられました。
 今から凡そ千三百年前和銅三年六月十五日に熱海の海へ漁夫が網をおろしていたところ、お木像らしい物が之に入ったので不思議に思っていたところ、ふとそこに童児が現れ我は五十猛命である。此の地に波の音の聞へない七本の楠の洞があるからそこへ私をまつれ、しからば村人は勿論当地へ入り来る者も守護するからと云うと同時に童児は地に伏してしまったので、村人一同で探し当てた所が、今の此の地であり、毎年六月十五日(新暦の七月十五日)になると海岸へ出て当時を偲ぶお祭を行う。(七月の例大祭。こがし祭)当時海辺で神に麦こがしを神に供えて、尚、国の天然記念物に指定されている此の大楠は、当社の御神木(ヒモロ木)であって、太古は此の楠へ神の霊をお招きして神をまつっていました。いわゆるヒモロ木神社である事は故宮地直一、加藤玄智両博士の著書にも述べられています。
 B日本武尊は人皇第十二代、景行天皇の御代、御東征に出陣せられ、箱根路から、此の地に軍を進められた時、住民を労り、産業を奨励した功績と、武勲を称えたゝめまつられたと伝えられる。
以上


 阿治古神社
熱海市網代 ゼンリン


交通案内
伊東線網代駅 東へ干物銀座をすぎて北へ

祭神
天照大神 合 手力男命、栲幡千千姫命、譽田和氣命、大己貴命、少彦名命
元下多賀村の来宮を合祀しているが祭神に五十猛命が記載されていない。

由緒
 伊豆の来宮神は忌宮とも解され、酒を忌する断酒を目指す人々がお参りすると言う。
 網代の干物銀座ではおいしそうなイカやアジ等の干物が販売されており、これはお酒のアテにうってつけであり、ここでは断酒は営業妨害になりそうである。

お姿
 漁村の鎮守の趣である。背後の丘が崩れかかっているのか補強されている。



お祭
 7月19日  例祭 宵宮祭
 7月20日  例祭 神幸祭

  御神幸行列に続き、御神船「両宮丸」が豊漁と無病息災を願い町内を走り抜ける。 阿治古神社より海岸まで町内を引き回る「御下り」と、阿治古神社に引き返し宮入の「御上り」がある。豊臣秀吉が小田原城を攻める時、網代の漁民が船を出したのが始まりとのこと。


 熊野神社
伊東市宇佐美字中里 ゼンリン宮川の北側


交通案内
伊東線宇佐美駅 南西へ15分

祭神
素盞嗚命 配 大地主神
宇佐美字峯の熊野神社の祭神は素盞嗚命に五十猛命が配祀されている。大地主 神は五十猛命をさすのであろう。

由緒
 熊野神社は全国に多いが、五十猛命が祀られていると明確に記されている社は数十社で、1%程度であろうか。現在熊野本宮大社には五十猛命は祀られていない。かっては祀られていた可能性はあろうが、木の神としては本宮大社では素盞嗚尊のみとされているようだ。

お姿
 宮川の北側に鎮座し、村の鎮守である。



お祭
 10月14日15日  御例祭


 八幡宮來宮神社
伊東市八幡野1 ゼンリン


交通案内
伊豆急行伊豆高原駅 南西1km

祭神
譽田別命、伊波久良和氣命

由緒
 大昔、来宮の神様は、瓶にのって神社付近の金剛津根に漂着したと言われる。この神を海岸近くの洞窟(洞の穴)にお祀りしていた。後に現社地に遷された。
 来宮の神は大変な酒好きで、沖を通る船を止めてはお酒を献上させたため、船人達は困った。そこで、船の見えない岡の方に遷した。そこも少し海が見えたので、再度遷したと伝わる。
 紀州の須佐神社(素盞嗚尊を祀る)も、その沖を通る船に害したので、船が見えない場所に遷されたとあり、昔の海人の集団は一種の通行税を徴収していたのであろう。この権限が朝廷権力に置き換わった歴史を物語るのであろうか。
 伊豆の来宮の神は酒にまつわる由縁が多く、断酒禁酒や酒精の神とされてい る。

お姿
  八幡野は天然記念物の社叢である。杉の木が多い。丁度本殿を再建中であり、98年秋には出来上がるそうである。
 近くに800年以上の椎の木がある。見事なものである。


社叢と椎の木の根本



お祭
 9月15日、16日  例大祭


 志理太乎宜神社
賀茂郡東伊豆町白田167−1 ゼンリン


交通案内
伊東線白田駅 西へ5分

祭神
志理太乎宜命 併祀 五十猛命


由緒
 祭神の志理太乎宜命は三嶋大神(事代主命)と第三后(佐伎多麻姫命)との間に生まれた八王子の中の第五王子。『三宅記』には「志たひ」と書かれている神。

 創祀年代は不詳。棟札によると、康永二年(1343)に再建されたようだ。

 往古は白田来浜神社又は来宮神社とも称した。毎年12月17日より7日間酒精進の習慣がある。これは河津の杉鉾別神社の習慣と同じである。 すなわち小鳥に野火から救われた酒飲みの神の失敗譚である。
 五十猛命は日本国中に木種を播いた神とされる。実際木種を播くのは鳥である。五十猛命と鳥との関係がテーマになろう。

お姿
 駅前の丘に東向きに鎮座、背後の山の土の色は黒赤い。



お祭
 10月24日25日  例大祭


 杉鉾別命神社
賀茂郡河津町田中154 its-mo


交通案内
伊東線河津駅 北北西1km

祭神
杉鉾別命 合祀 五十猛命、少彦名命
掛川誌稿には祭神は五十猛命を祀るとある。

由緒
 御神体を浜の方に祀ると船が進まなくなるので、天城山の方角に祀ると言う。
 往古、杉鉾別命が酒に酔っぱらって野原の枯れ草の中で眠ってしまった。その時野火が起こり、命はすっかり取り囲まれて絶対絶命の状態になった。 するとどこからともなく小鳥の大群がやってきて、濡れている羽から水滴をたらしていった。いくどもいくども繰り返された。さしもの野火も消え、命は危うく一命をとりとめることができた。
 当社の氏子達は12月17日から24日までの一週間は酒を断ち、小鳥を捕らない事になっている。神社の掲示では鶏肉、卵も食さないとしているが、12月23日までとしている。

お姿
 楠木の古木が鳥居の側や本殿の横にある。本殿横は天然記念物であり、樹齢1000年とされる。 河津七抱七楠の唯一の生き残りの木とされる。


鳥居と社域


大楠木近影



お祭
 2月17日  春祭
10月14日〜15日  例大祭


アイヌ語解説ページへリンク gensさんの杉鉾別命


 来宮神社
伊豆市冷川222 its-mo


交通案内
伊東から修善寺行きバス冷川 伊豆スカイライン沿い

祭神
五十猛命

由緒
 この地域を流れる冷川は沼津の狩野川になる。沼津の我入道に木宮地蔵大権現がある。 おそらくこの海岸に漂着した五十猛命を信奉する人々が半島内部に開拓を進めていった際、川上にどんどん進み、順次氏神を祀ったのであろう。 ここは最奥だから古い信仰がそのまま保存されているのように思われる。

お姿
 伊豆スカイラインが社域を横切っている。鳥居は道の東側、社殿は西側である。
 現在神社の建物は一般家屋の様に見え、灯籠がなければ神社とは思えない。建物の正面に回ると、一応拝殿風になっている。また中には立派な神殿がある。

神殿


鳥居の階段の上はスカイライン、その上に社殿



お祭
 7月13日  かざまつり
10月13日  例祭


 来宮神社
伊豆市八幡はつま its-mo


交通案内
伊東から修善寺行きバス八幡(平)から東へ500m

祭神
五十猛命

由緒
 来宮神社は、南北朝時代の貞和年間(1345〜49)に荒廃していた社殿が再建された。現在の建物は昭和6〜7年に大改修、再建されたもの。
 神社の裏山に大きい楠木があり、根本は洞穴の様になっている。
 かっての神祀りの場所であったのかも知れない。この地域は修善寺から東へ伸びる農業地帯の端にあたる。

お姿
 西を向いて祀られている。冷川は東向きである。飛騨の日面日影の伊太祁曽神社もそうであった。セットになっているのかも知れない。
 杉の大木が鳥居の横にそれぞれある。鳥居杉と呼ばれる。

鳥居と社域



お祭
 7月14日  風まつり
10月18日に近い土曜日  例祭宵宮祭 翌日例祭


 山神社
伊豆市城536-2(じょう) mapfan


交通案内
伊東から修善寺行きバス城入口から東北へ500m

祭神
大山祇命、五十猛命

由緒
 神社の名前から推測すると大山祇命を祀る神社に五十猛命を祀る来宮が合祀されたのかも知れない。 逆に近くの八幡の来宮神社の摂社に山神社がある。

お姿
 南を向いて祀られている。急な階段の上に社殿がある。



お祭
 7月10日に近い日曜日  風祭
10月10日に近い日曜日  例祭



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