比太神社(ひだ)・磐船神社
島根県安来市広瀬町西比田2452番地 磐船神社 島根県安来市広瀬町西比田市原

比太神社

交通案内
広瀬バスセンターから西比田 比太神社its-mo 
市原別れから南へ2km 磐船神社google


比太神社の祭神

吉備津彦命、吉備津姫命
合祀 伊弉諾命、伊弉册命、菅原道眞、押武金日命

摂社
磐船神社「素盞烏尊 五十猛命 稻田姫命」市原神社とも云う。
山王社「大己貴命」
愛宕社「迦倶槌命」三社
荒神社「荒神」四社
瘡守社「祭神不詳」


比太神社の由緒

 比太神社は『出雲国風土記』仁多郡の條に比太社として記載されており、比太河は玉峯山を源流として北上するとしている。

 勧請の年月は不明とのことであるが、祭神は吉備の國の祖神である。
 吉備は出雲の南側に山々に隔てられている。瀬戸内海の海路は確保していたのだが、時の表玄関の海である日本海から朝鮮半島への海路の確保を狙っていたのである。 門脇禎二著『出雲の古代史』によると、吉備津彦などが出雲振根を討伐した伝承(『日本書紀』崇神紀六〇年)の出雲侵入ルートを 吉備の旭川か高梁川から美作から横田、斐伊川のルートを想定している。 横田から東出雲へのルートは比太川を下ることになる。

 所で比太は飛騨、日田と同じ音であり、イタに通じる。飛騨に多く鎮座する五十猛命の神名との関連が注目される。

比太神社の大社造変態の本殿


お姿

 西比太の小山に鎮座、鳥居から64段の石段を上ると広庭がある。 石段数は108段とかその半分とか、数字へのこだわりが見える。

 摂社がありその中に磐船社の名前も見える。 本殿は北向きに鎮座、立地上の問題なのか、吉備の勢力が東出雲へ睨みをきかしているのか、また神社の鎮座する山の北側にも山が迫ってきており、 この地の平地だけが狭くなっている。軍事面でも拠点のように見える。

比太神社の摂社
左から伊勢、稲荷、木野山、磐船、縄久利と社名が見える。

摂社の磐船社へのお参りで満足すれば、磐船神社の壮大な磐座を知ることはなかった。


磐船神社

 市原川沿いを2km程上っていくと、岩船神社の目印があり、それにそって上っていく。 民家に自転車を置かしてもらって、山道を登っていく。途中、狭い道で、草ぼうぼう、何とか道らしい所を山に入ると、 鳥居が立っている。そこに岩船神社まで500mとの標識がある。 山の峰伝いの道にでると、岩がにょっきりと突き出ている。船の先端のように見える。

磐船神社の鳥居 祠手前の船形石
 

 船形石の側を通り抜けて石段をすこし上ると祠があり、 その上部に大きい岩が屋根のように張り出している。圧倒される思いである。

磐船神社の磐座のイメージ

磐船神社の磐座は熊野のゴトビキ岩にも匹敵する。
祠の前からの写真を組合わせたが覆いかぶさっている雰囲気は残念ながら出なかった。


お祭り

 4月22日 例祭
磐船神社 9月26日に近い日曜日 磐船祭り


参拝 h14.6.4 10:20

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