高尾神社
島根県仁多郡奥出雲町高尾780

鳥居

交通案内
JR 三成駅から小馬木行きバス上高尾入り口下車 西へ2km its-mo


祭神
五十猛命、 (合祀)大國主命、布留魂神

摂社
大山祇神、天照大神、大己貴命、稲倉魂命、少名彦名命、埴安彦命


春日変態造の本殿


由緒
 『神国島根』によれば下記の通り。

 五十猛命は旧三成町(仁多町)大字高尾字田中に鎮座の五十九社神社の祭神、由緒不詳。
大國主命は旧三成町大字高尾字尾白原に鎮座の尾白神社の祭神、由緒不明。
布留魂神は大字高尾字野田原に鎮座の石上神社の祭神、ここも由緒はわからない。
 明治末期上記三社を合併、高尾神社と改称したようである。

 五十九社神社と云う名は何だろう。
五十九柱の神々を祀っていたのだろうか。十九社神社が大原郡大東町に鎮座、由緒では災害などの度に京都近辺の畿内から十六社の神社を勧請合祀したりして遂に十九柱の神々を祀るようになったのが名称の由来だそうだ。 出雲大社にも東西に十九社が鎮座、八百萬神を祀っている。それが高じての五十九社だろうか。
五十九社の訓み始めは、イソかも。安曇磯良丸なる海人族の安曇氏の祖神がいたが、まさか磯良丸が磯丸、そして磯九、遂に五十九などと。
祭神から素直に考えて、五十は五十猛命の五十、九社は許曾、伊太祁曽と同じ意味になる。これが正解か。
 鎮座地の高尾も五十猛命を示しているように感じる。但馬国藪郡の高尾に鎮座する御井神社、伏見稲荷大社の猛男社も須佐之男命を祭神としているが、 五十猛命かも知れない。ここらは単なる推測。

拝殿

お姿
 上高尾へは上り坂が続く。遠くからも杉の大きい木が見える。 神社などの聖地の木々はさわられていないので独特の雰囲気があり、神社を見付けるに重宝である。 人によっては霊気のようなものが天空につながっているので聖地はすぐにわかると云う。訓練によっては誰でも見えると聞くが、 残念ながら、未だ見たことはない。
 高尾小学校への道の西に小振りの鳥居が見えてくる。前の道が狭いので、小さい鳥居でもやっとカメラに入った。 二の鳥居は一の鳥居より大きい。石段を登ると太い注連縄の幅の広い拝殿が出てくる。今度はまた全体の写真がとれない。 後ろへ寄ると石段を下ってしまう。社日大明神の石柱がある。 山の麓に伊賀平山に面して鎮座している。

 神社から船通山の山頂が見える。少し下ると見えない。神社の立地条件の一だろう。


社日大明神


お祭り

秋祭 10月20日 例大祭


参拝 h14.6.3 16:40

出雲の五十猛命
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