立虫神社(たちむし)
島根県出雲市斐川町大字併川258 its-mo

鳥居


交通案内
JR 出雲駅下車、一畑鉄道の大津駅下車、東へ歩き斐伊川の橋を渡り北へ500m。


祭神
五十猛命、大屋都比売命、抓津姫命

拝殿


由緒
 神社の由緒書きによれば、素戔嗚命と五十猛命は仁多郡島上の峰に天降り、五十猛命は妹の命とともに植林、耕地の開発など農村に由縁のある神で、もともと神立橋の大津よりに祀られていたのを、今の地「万九千神社」に合祀されたとされている。
 旧社地は神立橋付近に一ヶ所の島地があり、社島と呼ばれていたが、斐伊川大改修によって既にない。

例祭は10月10日。

 社家の伝に、「素戔嗚尊の毛髪を納めた。」とある。毛には呪力があった。だから素戔嗚尊は放逐前に髭を切られたのである。

本殿



万九千神社(まんくせん)

 祭神 櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命、八百萬神

拝殿


旧暦10月10日に神迎え神事を行い、出雲大社に集まった神々は、出雲大社から17日に佐太神社、それから25日にこの社にこられ、ここから帰国するとされている。地名は神立と云う。旧暦10月26日に神等去出(からさで)祭りの神事がある。国家禎祥、宝作万歳、五穀豊穣を祈るのである。なお、神々が集まって会議をするので、その期間には音を出すのを控えるとされている。かすかに鈴の音が聞こえるとのことである。 年に一度、大穴牟遅命の一族が新羅や出雲で採取された「鉄」の配分を相談したのかもしれない。古代版日本海サミットとの説もある。

例祭は11月26日。

本殿はない


お姿
 特別神社立虫神社の石碑は左側に、万九千神社の石碑が右側にある。
 さっぱりとした雰囲気の神社で、地元の景色に良く融けている。南の方角に神奈備山である仏経山が見える。この辺たりの家々は立木に囲まれており、一見神社と見間違う程である。築地松と言う、歴史的な風景であり、長く後世に伝えてほしい。
 また、この辺たりでは、日の出は宍道湖、日の入りは日本海と水平線からである。山陰地方と言うが、太陽の恵みの多いところでもある。

仏経山

 境内に摂社の祠が多い。天照大神、金刀比羅社、秋葉社、稲荷社、和田津見社、大地主、才の上社、旅伏社、天社。

『平成祭礼データ』lから

 御由緒略記
 延喜式、出雲風土記等所載の最も古い御社であります。
 三柱の御祭神は、父神の須佐之男命と共に、仁多郡鳥上の峰に天降られ、木種を四方に播き植えられた後、当地に下り来たりて鎮座なさり、植林、耕地の開発、建築等諸産業の発展に努力されたという農村には誠に由縁の深い神々であります。
 もともと当社は現在地より、未申方七町余り隔てた所(今の斐伊川中で神立橋のほぼ大津寄り)に、御鎮座なさっていましたが、寛文年中、斐伊川の川床の変遷により、万九千神社の境内に転社されたものであります。
 さらに大正15年、千家部落に鎮座の客神社を合祀
 客神社の創立年代不詳なるも、旧鎮座地の村名を千家村(出雲大社領)といい、この社は千家国造崇敬の社であり、毎年11月大庭の神魂神社において、火継儀祭執行の際、千家の里に宿泊所を設け、その折、この社に供物を捧げて祭事を執行されたと伝えられています。
 以上

出雲の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ