小倉(おぐら)神社
和歌山市金谷692 ゼンリン

交通案内
阪和線  天王寺→和歌山 (60分820円)
和歌山線 和歌山→布施屋 南東1000m

 
祭神
伊弉諾命、伊弉册命、伊曽猛命、蛭子命、大日霊貴命
坂上田村麿他多くの神々が配祀されています。

由緒
 坂上田村麿が金峯大神を勧請したと伝えられている。鎮座している山は金峯山、亀甲山と呼ばれている。
 伊曽猛命は「いそたける」と読み、五十猛命である。五十猛命は武勇の神でもあり、日本武尊も福島県の苔野神社に命を祀っている。 坂上田村麿もここに五十猛命を祀ったのであろうか。
 また紀州志略によると五十猛命を「大峰釈迦嶽科戸明神」と記しており、吉野の金峯大神社との繋がりを示している。

お姿
金峯山が神域であり、頂上に鎮座されている。




お祭り
11月3日 例祭


紀伊續風土記 巻之三十五 那賀郡 小倉荘 金谷村から
○蔵王権現社  境内周四町十八間
    伊弉諾尊
    伊弉册尊
    子守神
    勝手神
   蔵王権現
   伊太祁曾神
   衣 美 須
   廳     鐘楼    藥師堂
   阿彌陀堂  觀音堂   搭址
   大門址
村中小名明樂にあり 吐前金谷田中大垣内満屋五箇村の産土神なり 觀音堂は東の方にありこの堂一寺の本堂にて蔵王権現とは別なりしに今は権現と同境内にあり 寛永記に龜貌山光明寺と號し明樂山に伽藍建立して本尊十一面觀音を安す 此觀音旧名草郡おひしの峯に在りしに 名草郡におひしの峯といふ所なく那賀郡におひしの峯といふありこれをいふか然れは名草郡といふは誤ならむ  野火にて堂焼失しそれより明樂山に移す その後蔵王権現を金峯山より勧請して一地に祭りしより今は社地の内の小堂の如くになれり 大抵佛堂は皆觀音堂に附属せしなるへけれとも今は混して分きかたし 寺領は樂匠寺村 樂匠寺村は今の名草郡藥勝寺村の事なるへし  半分を以て寺領とせしを天正十三年(1585年)に没収せらるとあり未の方三町許に辨天ノ祠あり奧ノ院といふ 古は明神の神幸ありし地なりとそ境内の外に二町の馬場今にあり 鳥居の傍ら秤石といふ石あり古堂社供養のとき尼カ辻村の五智坊を頼みて供養せしに五智坊唯六字名號はかり唱へける故氏子等六字名號はかりは利益あるましといひけれは名號を大なる石とかけくらへて見よといひけるに因りてかけて見しかは名號の方重かりしより今に秤石とて傳はるといふ 一説には光恩寺の開山信譽供養の時此事ありしといふ此説誤ならむ




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