棒屋神社 松阪市菅生町
社景
交通案内
近鉄山田線 櫛田駅 北へ1.5km its-mo
祭神
五十猛命
由緒
捧屋と書くのが正しいようだ。オイクラノ、オサヤノと訓むようだ。 屋をクラと訓むとすれば、座の意味があるのかも。 オイヤと訓むとすれば大屋に通じ、大屋比古を五十猛とする『先代旧事本紀』の記述にあう。
地元の方のお話では、神職さんはスギヤと訓むと言われているとか。地元ではボウヤで通っている。
式内社の棒屋神社は当地と西数百米の飯野郡立利村(松阪市立田町)また度会郡大宮町船木などがあげられている。
鎮座地候補と祭神とはどちらが先か判らないが、船木は素盞嗚尊五十猛命の樹種を植えた神話からの想像かも知れない、
またスギヤはやはり樹木に関係し、ボウヤなどは大屋に通じ、五十猛尊を祭神としたものだろう。
社景
お姿
元々現在地の西北の天王社の森にあったようだが、奈々美神社に合祀され、昭和四十三年になって遷宮を行ったとのことである。 公民館の背後の一角に鳥居と小祠がある。遠くからでは神社とは見えない。
祠の屋根に角材があり、屋根の上の棒のように見える。棒屋のイメージか。
社景
お祭
例祭日
式内社調査報告 5頁、4・3頁、2・1頁
参考 『式内社調査報告』
五十猛命ホームページ
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