祝園神社
相楽郡精華町祝園柞の森1 its-mo


鳥居


交通案内
 JR学園都市線 祝園駅から北東へ20分開橋手前西
 JR奈良線棚倉下車南西15分木津川の開橋渡る西

祭神
 奈良興福寺の支配下にあったので、江戸時代は春日社と称し、祭神も天児屋根命、健御雷命、経津主命とされていた。
 風土記には羽振苑社とし、大歳神、伊怒比女神、曾富理神とあり、この祭神のほうが古そうだ。

境内には「有効神社」が鎮座。五十猛命を祀る。何故存在するのかは不明。

由緒

 式内社。
 神社の南に武埴安彦破斬旧跡の石碑がある。古事記によれば「崇神天皇十年、孝元天皇と河内の青玉の女の波邇夜須毘売の間に生まれた建波邇夜須毘古が朝廷に反逆し、越の国を制圧に向かう大毘古の命の軍に敗れたとあり、 その御魂鎮めのために四十八代称徳天皇の御代に創建されたとある。

武垣安彦破斬旧跡の石碑

 社地は「柞ノ森(ははそのもり)」と呼ばれる。古くはハフソノと呼ばれた。「ハフル」の意は死体を投げ捨てる場所の説明されている。
 ハフルは一方では「祝部」をハフリベと読むことから神職を意味し、葬送を司る事も役割であったのだろう。
 安康天皇の皇子が皇位をめぐって争い、負けた兄の首を埋めたのが 祝園の「いずの森」で、胴を埋めたのが棚倉の涌出森であるとの伝説があった。この神社と涌出宮とにはこれにからむ「居籠祭」があり、天下の奇祭と言われる特殊神事がある。


 
お姿

 大きい鎮守の森で、柞ノ森(ハハソノモリ)と呼ばれる。

お祭
 特殊神事「居籠祭」 正月 (京都府無形民族文化財指定)
第一日 風呂井の儀 風呂の井と言う井戸で秘密の祝詞を奏し、玉串を納める。
第二日 大松明を祭場に運ぶ。この時神主が鈴をならせるが、村中が消灯し一切の物音を謹慎しする。
第三日 氏子が竹の輪を曳き合う行事で、神を迎え豊かな稔りもたらす予祝儀礼である。
村人が物忌みに服する所に意味があり、神は祟る神にもなる。この神社では武埴安彦「別説では長髄彦」である。

五十猛命ホームページ
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