鷺森神社
京都市左京区修学院宮の脇町 ゼンリン


鳥居


交通案内
叡山電鉄修学院北東1km 修学院離宮の南

祭神
素盞嗚尊 神号は鬚咫天王(しゅだ)

由緒
 修学寺の天王とも称した。本来の祭神は牛頭天王である。
 神使の鷺がこの森に群集していたのが名前の謂われとされている。 赤山禅院の側に鎮座していたが、修学院離宮の建設にともない、現社地に遷座した。
 赤山禅院との関連がないはずがなく、赤山禅院の鎮守ではなかったか、と推測できる。園城寺の新羅善神堂からの勧請と見て、五十猛命を祭神とする区分に入れた。

社殿の風景

 「森」の文字を持つ神社は相当古いのではないかと思われる。理由は簡単である。モリとは神の坐す場所を表す言葉であり、 それが社が出来る頃まで残っていたからこそ、「森」が社の名に残ったのであろう。
 京都では、藤森神社も該当するのでは、と、思っている。

拝殿

平成祭礼デ−タの由緒
 創建貞観年間(約千百年前)御祭神素盞嗚尊・御神号鬚咫天王・御神徳家内安全・旅行安全・諸願成就例祭日5月4日・5日

 鷺森神社は最初比叡山麓、赤山明神の付近に祀られていましたが応仁の乱の兵火で罹災し、今の修学院離宮の山林中に移されましたが、離宮造営にあたり霊元帝の思召しにより現在の鷺の杜に社地を賜り、元禄2年6月御遷座になり修学院、山端の氏神社として今日に至っております。

 毎年5月5日の神幸祭には、装束に行装を整え、赤山禅院に参詣し、修学院御旅所からは、宮中から御下賜になった御神輿に供奉して氏子区域を巡幸しますが特にこの祭列には鉦や太鼓の囃につれて菅笠に紅だすきをかけた着物姿、手には扇をもった小学生3年生の男児による「サンヨレ」という掛声と所作で練り歩く姿が珍しく可憐で情緒豊かであります。

 後水尾帝、霊元帝の修学院離宮行啓のみぎり御参拝もしばしばでありました。享保9年霊元帝、離宮御幸震記の御歌日記にをりゐるも所からなるさぎのもり問はでもおのが名のるはかりに又、享保14年2月3日行幸の際にもをりゐるをみし鷺の森すきかてにわけきてけふはむかふ神垣との御製もあり、境内にはこの一首を刻んだ故文学博士吉沢義則先生執筆の記念碑もあります。

 神域六千六百坪、境内に流れる宮川にはその昔御水尾帝、霊元帝も行幸された御下賜の御幸橋もあり、荘厳な社殿とともに桜樹、楓も多く四期幽鳥の声を聞く鎮守の社であり、又、最近では森林浴や紅葉の名所としても知られるようになってきております。

本殿

お姿
 比叡山への登り道の一つである雲母坂への道筋に鎮座している。

北側の鳥居  御旅所
 

お祭

例祭  5月4日 宵宮祭、5月5日 神幸祭


参考文献 寺院神社大辞典 京都山城 平凡社

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